第1話 変わらないものなどない
列車を乗り継いでバスに乗り換え、降り立ったバス停留所は『
日本各所に『ミズチ』は点在し、『螭』、『蛟』、『蜃』、『蛟龍』など呼び方も様々だ。
昔の人が見た姿から当て字にした説が濃厚で、この地には三頭竜の奇怪な生き物がいたとされている池があることから『三頭池』と呼ばれていた。
『水の妖怪』や『水神』もしくは『水神の使い』とも言われている。
毒気を吐いて人間に害を成したり、大雨を降らせると言った逸話もある。
あの頃、ぼんやりとそんな話をされた気がする。
ストーリーなどはまったく覚えていない。
今ではお目にかかることがないので、現代人としては空想の域を出ない。
『古い信仰』とか『古いしきたり』などは記憶にない。
確か……『昔、ミズチさまが雨を降らせてくれたから村が街になったんだそうだよ』、そう街長が言っていたと思う。
風習などあったとか、詳しくは聞いていないように思う。
……バス停留所を降りるまで思い出しもしなかったのに。
無意識に身震いする。
───ポツ、ポツ、ポツ、ポツポツポツ、ポツポツポツポツポツ。
雨が降ってきた。
今日は降る予定だったろうか。
慌てるが、送った荷物に入っていて手持ちにない。
バス停の軒下から出られずにいると、肩を叩かれ、ビクッとする。
おっかなびっくり振り返ると、傘を差した青年が立っていた。
「……灯里ちゃん? 」
「え───? 」
狭い軒下に入り、傘を下ろした青年の顔に見覚えがあった。
「か、甲斐くん? 」
「うん、久しぶり」
人懐っこい笑顔にメガネの青年。
あの頃のままの、優しい笑顔。
「わあ、久しぶり! 」
「灯里ちゃん、変わってないね」
「甲斐くんだって! 」
「俺は……。まあ、いいや。園村さんに言われて来てよかったよ。ここって天気不安定だからさ」
言葉を濁された。
お互い大人だ。多少何かあるものだと思う。
「ホントびっくりした! さっきまで晴れてたのに降りはじめちゃって……」
「わかる。ずっと住んでても天気予報よりも慣れた感覚の方が信じられるよ」
「そんなに降るの? 」
「うん、うちは『雨の街』って噂されるレベルだからね」
ふと違和感を感じた。
あの頃はよく晴れていた気がしたのは気の所為なんだろうか。
雨が降らなかったわけではない。
一般的には降っていたような。
「へえ……」
「ああ、灯里ちゃんがいた頃は結構晴れていたっけ。この地の神さまは気分屋なんじゃないかな」
神さま……。停留所の看板を振り返る。
『三頭池』。ミズチ。
「あまり、覚えてないんだけど、『ミズチ』って神さまがいるってことだけ聞いたかも。あの頃」
「園村さんが子どもたちに言っていたからね。ほら、彼の家の裏手に大きな森があるの覚えてる? そこには行ってはいけないって言い聞かされてた。そこにはね?
大きな池があるんだ……」
池……三頭池……。
「大昔に棲んでいた、そう聞かされただけだからね。ねぇ、覚えてない? 俺たちでこっそり探検しに行ったの」
探検……10年以上前で色々が朧気だ。
でも、記憶の断片に森に行った記憶があった。
「あまりハッキリしないけど、行った……と思う」
「あー、よくよく考えたらもう10年以上前だっけ。ごめん、ごめん」
屈託なく笑う彼にほっとした瞬間、私は見てしまった。
彼のカラーを。
視界の端だった時は、都内で見てきたもので麻痺していたのか気が付かなかった。
何かもやもやとべったり黒ずんでいる。
ゾワリとした。
こんなハッキリと見えたことはない。
彼は甲斐くん? 本当に甲斐くん?
成長し、面影を残しつつもカッコよくなっていた。
でも、あの頃の淡いパステルカラーではない。
「……りちゃん? 灯里ちゃん? 」
ハッと我に返る。
「ごめん! 何? 」
「ううん、急に心在らずになってたから。そろそろ行こうよ」
「そうだね」
もうひとつの傘を手渡され、差して並んで歩く。
「手荷物持とうか? 」
「大丈夫だよ、これくらい」
私はよく人の好意を無にする。
謙虚と言ったら聞こえはいいけど、遠慮し過ぎる。
大概それで人は離れていく。
わかってはいる、わかってはいるけど……、甘えるのは怖い。
何も返せないから。
「……気にしないの! 古風に言うなら奥ゆかしいんだろうけど! 都内から結構遠かったでしょ? 」
さっとトートバッグを持っていかれた。
……手馴れている。
「ありがとう……」
思わず見上げた時にはあの嫌なカラーは跡形もなくなっていた。
気の所為にしてはリアルすぎた。
暫く黙って歩く。
雨の音と水溜まりを踏む音が静かに響く。
「……ねえ、灯里ちゃん」
「ん? 」
甲斐くんがふと止まり、足を止める。
「あの頃話してたことなんだけど……」
どの話だろうと思案に耽りそうになる。
「『灯里ちゃんをお嫁さんにする』って。今でも有効かな」
「え───? 」
確かにプロポーズされる度に思い出していたから忘れたことはないけれど。
「あの……」
「いつ帰ってくるかも帰って来ないかもわからない灯里ちゃんを、俺は待っていたんだ」
振り返り、優しい眼差しで見つめられた。
「だってあの頃の甲斐くんは小学生で……」
「子どもだから本気じゃないと思ってたんだ? 」
怒るでもなく、笑みを深くした。
こんな風に笑う子だったろうか。
ふわっと笑う子ではあった。
大人になったということなんだろう。
あどけなさがなくなったのは少し寂しい気がした。
……私は何を求めて帰った来たんだっけ?
ああ、あのパステルカラーに癒されたかったんだ。
けれど時と共に薄れてしまうもの。
それが大人になるということ。
割り切りながらもあの頃を懐かしみ、羨む。
おなじなんてないんだと少し落胆しながら見とれてしまう。
求めていたものは遠い昔に追いやられ、どこにもない。
現実を受け止めたいのに受け止めきれないでいた。
あの頃のままではないと分かっていたはずなのに、あの頃のままの優しいパステルカラーを夢見た。
そんなものはもうないと分かっていたはずなのに……。
夢アカリ 姫宮未調 @idumi34
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