第32話 リーヴの暗躍

「さて……」


 アンナはマスターがいなくなってすぐに何かを取り出す。手には手のひらに乗る程度の四角い箱。ミニチュアの宝箱のようにも見える。

 それに魔力を流したかと思うと、部屋の中にいた三人の姿と声が一瞬で掻き消えた。


「へぇ……?」


 監視・盗聴防止用のナニカ……ですか。これはヒルダにも伝えておきましょう。

 ハイドチャットによるメッセージを飛ばしながら私は潜んでいたところから動き出す。

 このままアンナの思惑が聞けないのは避けなければならない。だから私は急いで周辺にいた程度の低い監視役を三人気絶させ、潜んでいたところの一つにあった木箱へと押し詰める。まぁ、怪我はしていないはず。

 面会のための理由を作ってから私は宿屋の一階屋根の上へと飛び乗った。


「ごめんください」


 窓をノックして中の人達に呼び掛ける。すると、呆気なく窓が開いて中からアンナの訝しむ顔が私の目を見つめてきた。


「どこのどいつだい?」

「あ、リーヴ」

「あん?アンタらの知り合いかい?ギルド員じゃないみたいだけど」


 私の姿を見て、プレートの有無を即座に判断するところは流石の一言。私が表情を崩さずに笑みを浮かべていると、マスターのご友人の一人が口を開く。


「アンナさん。彼女はマナの召喚獣の一体です」

「あぁん?あのエイルと同じって事か」

「リーヴ、マナから何か伝言でもあるのか?」


 色黒の方は何を言っているのか……。チャット機能があるのだから緊急時でもそれを使うだろうに。わざわざ私を使う理由なんてどこにもない。

 私は先ほど用意した理由を彼らに説明する。


「この部屋を監視していた愚かな三名を気絶させました。回収を手伝って欲しいのですが」

「それはマナの命令かい?」

「ええ。その通りですが」


 言葉の上では肯定するが、マスターがこんな無駄な事を命令するはずがない。もちろん私の独断だ。

 少しでも情報を集めるためには仕方がなかった。まだ距離としては時間があるけど、さっさと済ませよう。


「場所はこの宿から三つ先の小さい路地の木箱の中です。ゴミと一緒に仲良く埋まってます。気絶させているので少なくとも三十分程度は起きないかと」

「それで?ここに来た理由はそれだけかい?」


 アンナの物言いに私はこめかみをヒクつかせ、笑顔をより一層華やかにする。

少しは自分の頭で考えて欲しい。そんなわけないだろう。

 マスターを無下にして、雑魚扱いして、無能扱いしておいて、なにも察せずにいる愚か者を今この手で誅殺したいくらいだけど、マスターの意思に反するので思い留まる。


「いいえ。監視を取り払えば、マスターに伝えられていない部分のお話を伺えると」

「そういうことかい。んじゃ、入りな」

「お邪魔致します」


 翼は最小限にたたみ、窓から私は部屋の中へと入る。アンナに促され、部屋の真ん中へ移動。

 三人の手練れ(笑)に囲まれながら、私は本題を急がせる。


「マスターとの距離が活動限界範囲外にまで離れ切る前に終わらせたいので手短に説明を要求します」

「まずマナはどこまで気付いている?」


 説明の前にマスターがどこまでお気づきかを確かめようとするアンナ。

 私は時間が無いと言っている。そういう答え合わせは時間のある時にだけ行って欲しいものだ。


「マスターが囮としてこの街を出たという事くらいです」


 マスターがどこまで読めているかなんて私程度にわかるはずもない。この接触は私個人の考えによるものだから、ヒルダを介してマスターにお尋ねするのも間違っている。だから、私は掴めている最低限の部分だけを口にする。


「狙われることを承知の上で出て行ったんだとすれば大した胆力だ」


 上からの物言いがイチイチ癇に障る。

 でも、この場で私が動いてもこの二人によって阻まれる。今、死んで退場するわけにはいかないから、私は内に湧き出る激情を抑え込むしかできない。


「今回の石化解除、アタシは失敗を前提に動いていた」

「その事を本人に伝えなかったのは監視があったからですか?」

「ああ」


 あぁ、事情を知らせずに失敗させて落ち込ませて終わりにしたかったと。

 そんな浅く、くだらない考えにマスターを巻き込んだと?


「だから、ただ失敗するだけなら問題なかった。だけど、いざ治療が始まった時にエイルが余計な事を口走った」

「何を?エイルからその時の会話は聞いてますが、変な事は言ってなかったかと思いますが」

「『キュアペイン』を知らないって事さね」

「はい?」


 キュアペイン?

 石化しか治せないとかいうこの世界の三流治療魔法のことか?


「アンタらの世界じゃどうかは知らないけど、この世界で石化の解呪と言ったら『キュアペイン』だけだ」


 アンタらの世界……。

 他の二人の反応を見るに事情を喋ったのはコイツらか……。まったく……二人が余計な事をしたせいでマスターへの報告義務が出来てしまった。


「つまり『キュアペイン』ではない石化解呪の魔法をマスター……いえ、エイルが持っていると敵側に判断されたわけですか」

「ああ、その通りだよ。それがどんなものかわからない。『キュアペイン』同様に一人にしか有効でないかもしれないし、複数人に有効な魔法かもしれない」

「首謀者からすれば事実がどうであれ封殺すべき事だと」

「わかってるじゃないのさ」


 なるほど……。最初から囮に利用する予定ではなかったと。

 たまたまエイルが狙われる要因を作ってしまったがゆえにアンナはそれに乗っかった。石化解除が成功しても失敗しても守れるように二人を配備し、安い芝居でシュトラーゼンに戻る理由を作ってまで……。


「その説明だと、あの場にいたジェラルド、ティモシーの両名を怪しんでいるということですか?」

「ああ。事件拡大の手際の良さと、石化した人間を癒すことで得られる利益を考えるとね。こんなことにジェラルドが手を貸しているとは考えづらいけど、ティモシーだけじゃあこんなにスムーズに被害者は増えない」


 そこまではっきりと言うとなると、ほぼ犯人と断定してこの女は動いているわけか。


「そちらのお考えはわかりました。ちなみに、この二人とマスターが同郷というのはいつからご存じだったのですか?」

「この仕事が始まる前からだよ」


 アンナはそう言うと視線を色黒へと向ける。その視線を受けて色黒の男が口を開いた。


「シュトラーゼンからギルド冒険者の選定が終わったって言って話が来た時に先行でライザックさんだけがアルミ・ナミネに来た。その時に話を聞いてオレらの知ってるマナだと確信した」

「僕らは元々、素性をアンナさんに明かしていたからマナには悪いと思ったけどね。知らないフリをしてくれるっていう事でマナの戦力についても全部話していたんだ」


 ッ……ふざけてる。

 自分の能力のすべてを晒すことでさえ、愚かしいと言えるのに他人の、浅ましくも友人と名乗るその口でマスターの能力を明かした?

 歯を食いしばりたい気持ちを抑え、表情を一切変えずに質問を続ける。


「その上でお尋ねします」


 やれば必敗の負け戦。だけど、返答次第ではこの激情を抑えきれそうにない。


「今、狙われているマスターに対してアンナさんはどんな対策をしておいでですか?」


 アンナの表情が変わる。

 残る二人の方も私の雰囲気が変化したことを察して、武器に手を掛けた。


「アタシと同じプラチナランクの冒険者で“カタリナ”って奴を向かわせてる。仮面で顔を隠している若い女だが、実力は保証する」

「アナタは監視されているはず。合流を妨害される可能性はゼロではありません」

「安心しな。伝言はライザックに頼んであるし、ちょっとやそっとの妨害で辿り着けなくなるようなレベルの低い冒険者じゃあない。だから」


 そこで言葉を止めると、アンナの体から魔力が湧きだす。

 強い圧力の魔力がまるで突風のように駆け抜け、実体のないはずの魔力風で衣類が揺れた気さえした。


「ちょいと怒りを鎮めな。アンタにとって大切な人を危険に晒していることは承知の上だ。そして、アタシらはアイツに怪我をさせないようにと考えて、十全に策を練った上で動いてる」


 一触即発。

 この場で動くのは無駄な行為だと私は割り切り、怒りを無理やり抑え込む。


「わかりました。浅薄な考えから威嚇してしまい、申し訳ありませんでした」


 その証明として、静かに頭を下げ謝罪。

 アンナの方も魔力を収め、この部屋に充満していた緊張感は静かに霧散した。

 なるほど……認識を改める必要がある。この大女も向こうのプレイヤー並みの力はある。少なくとも、近接戦闘では私にとって分が悪いと感じるくらいには強い。


「気にしなくていいよ。それよりもマナに一つだけ伝えて欲しいことがある」

「なんでしょうか?」

「まだアンタにはここでやることがあるから相手が動くまではゆっくり歩いてな。さっさとシュトラーゼンに帰ろうとするんじゃないよってね」

「わかりました」


 伝えるべき内容のみ、ヒルダに宛ててハイドチャットのメッセージを飛ばす。

 私の沈黙もこの三人からすれば報告の時間と捉えてくれたようで安心した。その程度には空気が読めるらしい。


 だから、私は当初の思惑を完遂するために這い寄る。


「私の方からもう一つだけよろしいですか?」

「ああ。なんだい?」


 私が今から尋ねるのは、マスターのためではなく私のための質問。


「アンナさん。そちらのお二人からマスターの御力について説明を受け、実際にその目で見てみて、マスターはこの世界のギルド冒険者としてどの程度のランクの強さにいますか?」


 この私の質問にアンナは一瞬だけ顔を強張らせる。他の二人も息を呑んでいる。

 それほど変な質問ではないと思うけど、どういう反応なんだろう?


「そうだねぇ……」


 アンナはわかりやすく腕を組んで考える。そして、十数秒経ってから答えた。


「アンタら召喚獣の能力を加味しなくても、そこの二人と同じく“アダマンタイトランク”の強さを持ってるだろうね」


 ギルドが一般人に与える最高ランクの称号。

 そして、アンナの言う“加味しなくても”という言葉が耳に残り、酷く不安を煽る。


「このお二人も……強さだけはアダマンタイトクラスなんですか?」

「ああ。そのやけに性能の良い鎧や衣服、武器を差し引いてもそのランクに位置するだろうね」


 装備を外してなお……この世界で最高峰の強さを持つ?

 私の考えでは装備品の質だけがこの世界と前の世界の明確な差だと思っていたが……そうではない?


「失礼とは承知の上ですが、この世界の人々はそこまで弱いのですか?」

「ああ。アンタらの世界とは違って、各自鍛えはするが基本的に“戦わない”からね」

「あぁ……なるほど」


 アンナの言葉に私の頭は素直に納得してしまう。

 私たちのような召喚獣と違い、マスターや彼女たちは死んだら終わりだそうだ。以降に目を覚ますことはなく、それまでの経験や積み上げてきたものすべてがゼロへと還るらしい。

 だから、そもそも戦闘を避ける。強敵相手には逃げ、必要であれば策を弄して勝つ。そうやって戦ってきたからこその弊害。


「個人としての戦闘経験が圧倒的に少ないんですね」

「そういうことさね。あんまり自分の世界を貶めたくはないが、そっちの世界の人間との大きな差はそこさ」

「その上で戦技、魔法をオレらはたくさん習得している。手数の多さもそれだけでも“アダマンタイト級”の強さに繋がってる」


 色黒が口を挟んできたけどアンナは静かに頷く。

 戦闘経験の低さが戦技や魔法の取得率の低さにつながっているんだろう。


「召喚獣としちゃあ、自分の主の実力がそれほど上だと嬉しいんじゃないかい?」


 予想していなかったアンナの言葉に私は思わず素の反応を返してしまう。


「はぁ?」


 普段は見せない私の本音。偽らざる感情。それが私の意思とは別に顔と声色に出てしまった。

 咄嗟に繕おうと表情を消し、笑みを形作るも、時はすでに遅い。


「思ってもみない……反応だったね」

「お願いします。どんな命令にも従います。なので……今のを見なかったことにしてください」


 私に彼らへの交渉の手駒はない。実力的にこの場での口封じも出来ない。

 完全に相手に主導権を握られた状態のダメ元の“お願い”。

 今の私の反応だけはマスターにお見せしたくはない。そんな浅ましい私の頭は容易に私に膝をつかせ、頭を地に付けろと命令をしてきた。頭だけではない。感情も、理性も、僅かに機能している打算もすべてがそうしろと体に命令し、私の体はその命令に欠片も抗うことなく実行した。


 僅かな間を開けることなく行われた土下座に三人が息を呑む。私は今、生殺与奪の権利を相手に差し出している。

 なぜ?

 マスターに嫌われるのだけは絶対に阻止しなければならないから。こんな自分を見せたくはないから。僅かにある“嫌われる可能性”など潰してしまいたいから。


「事情は知らないけど、アタシらが告げ口する理由はないよ。顔を上げな」

「ですが、私には差し出せるものがありません。黙っていて貰うための対価がありません。差し出せるのはこの無駄に肉の付いた体のみです」


 マスターにしか許すつもりのないこの体。今はそんな些細な事よりも大事なモノを守らなければならない。だから、私は伏したまま再度願う。


「マスターに嫌われては私の生きている意味がありません。マスターに見捨てられれば私は死んだも同然です。お願いします。どうか、この身一つを受け取るだけでご容赦頂けないでしょうか」


 私のお願いにアンナは溜息を吐く。そして、私に近づき私の髪を掴んで引っ張り上げ、無理やり顔を上げさせた。


「アタシらにアンタの秘密をバラす理由はないよ。あと、アンタの能力にも体にも興味はない!グダグダ言ってないで顔を上げな!さっきまでの冷静なアンタはどこ行ったんだい!?」


 いかつい顔にシワを寄せて私を叱りつけるアンナ。

 私はただただその言葉を聞くだけだった。


「はぁ……」


 再度の溜息と共にアンナは私の髪を手放す。

 そして、私を見下ろしながらこう言った。


「保証も何もできないが、今この部屋での出来事はアタシらの胸の中に留めておいてあげるよ。そこの男二人もいいね!?」

「あ、え、はい!」

「わ、わかりました!」


 二人が向けられた視線に気圧されて返事をすると、アンナは私にこう言葉を浴びせた。


「アンタはこの石化事件の解決に尽力しな。アタシにその働きっぷりが伝わったのなら、それを保証の代わりにしてやるよ」

「……寛大なご処置、ありがとうございます」


 私は伏せたままの目に涙を浮かべ、顔に感謝の意を出しながら、心の奥底に決して消えぬよう小さな炎を灯した。

 いつかどうにかしなければならない。

 いつか漏れるという不安は消さねばならない。


 これはマスターには決して話すことのできない……私だけの決意。

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