第22話 二つ名

 二度目に目を覚ますと体の不調も朝ほど酷くなく、体を起こしても頭の痛みは響かなくなっていた。

 ベッドから降り、立ち上がって背筋を伸ばすと心地の良い痛みが残った眠気を覚ましてくれる。


「あぁ、起きてたのね」


 部屋の入口からひょこッと顔を出したのはトゥーリ。

 朝に見た寝間着姿とは違い、ラフな半袖シャツとジーパンのようなものを穿いている。パツンパツンに張り詰めたシャツと、赤い口紅のせいでトゥーリから溢れ出す色気が留まることを知らない。

 大きなメガネも朝みたいに寝癖と共にあるとだらしのない印象を与えていたが、今は優しくやわらかな印象を与えている。


「おはよう……ではなくて、お疲れ様です」

「アハハ、おはようでもいいわよ。それより体の方はどう?」


 そう言ってトゥーリは持っていた籠をその場に下ろし、部屋の中に入る。


「薬が効いているのかお昼に一度起きた時はだいぶ良くなっていて、今も痛みはほとんどありません」

「それならいいけど」


 俺の前まで来ると、おもむろに右手を伸ばし俺の左胸に触れてきた。

 服の上からモミンと指を動かされ、何とも言えない感覚が全身を襲う。慣れない感覚に思わず後ろに跳び退くとそこにあったベッドに足を取られて、ベッドの上に背中から落ちる。


「あらあらごめんなさい。もう一度、調べようと思って」

「む、胸を触る必要ありました?」


 それなりに堅いベッドの上。背中を打った痛みを我慢しつつ、トゥーリを見上げて聞き返す。

 すると、トゥーリは俺の胸を触った右手の指をワキワキと動かし


「それはほら。アタシが気持ちいい」

「特に意味は無いんですね」


 ベッドに座り直し、服の乱れを直す。そのままトゥーリを見上げていると、なぜか何も起こらぬまま数十秒が経過した。


「あの……調べないんですか?」

「いや、真剣にこのまま襲っていいのかを考えてて」

「襲わないでください!オールスキャンって魔法を掛けるんじゃないんですか!?あと、私はまだ呪い掛かってるんですからそういうことはNGのはずです」


 俺の言葉にトゥーリはわかりやすく肩を落とし、俺の目の前で膝をつく。

 再度、伸ばされた手は俺のお腹に当てられる。


「『オールスキャン』」


 朝とは異なり、詠唱が短い。しかも、対象者に触れている。

 体の中を魔力が巡るのは一緒だったが、発動までのプロセスに明確な差が出来ていた。


「トゥーリさん」

「うん。安定はしているわね。まぁ、三日から五日くらいは不調が続くと思うから」


 トゥーリはそれだけ言うと立ち上がる。

 俺も立ち上がって彼女の手を握った。


「ありがとうございました」

「愛の……告白?」

「感謝の言葉です」


 雰囲気作ろうと顔を赤らめて目を逸らさんでください。


「元気になったのなら良かったわ。今、食事作るからちょっと待ってて」

「あ、いえ!お世話になったので私が」


 と、言いかけたところで額にものすごい衝撃が来る。思わず体が後ろへ傾き、再度ベッドの上に落ちる。

 何が起こったのかくらくらする頭と歪む視界で何とか確認すると、トゥーリがデコピンをしたのだとわかった。なんだその威力。


「病人は大人しく寝てなさい。そういえばあの三人は?」

「いつまでも心配そうに部屋の前を陣取っていたので帰らせました」


 心配してくれるのは純粋に嬉しい。

 動けない俺の代わりにトゥーリの家の片づけを難なくこなしてくれた事には感謝しかない。

 だけど、心配そうにいつまでも見られていては眠れるモノも眠れないので帰ってもらった。相変わらず、帰還命令時の精神的ダメージは大きい。


「あらあら、心配してくれてたのにつれないわね」

「心配してくれているのは嬉しいんですけどね。心配されているのはツラいんですよ」

「病人あるあるね」

「あるある……なんですか?」


 思わず聞き返すとトゥーリは何も言わずに俺に背を向けて歩き出す。部屋の前に置いてあった籠を手にして無言のままどこかへと行こうとした。

 俺はバッと立ち上がって彼女の後を追う。


「病人とか怪我人って心配して欲しい人とそうでない人に分かれるのよ。孤独で不安がある人は心配して欲しいし、逆に人から愛されている人は心配して欲しくない」


 台所に入って籠の中からパンやら肉やらを取り出しながら、俺の疑問に答える。


「そういうものなんですかね?」

「そういうものよ。孤独な人は弱っている時に繋がりを求める。そうでない人は弱っている自分をあまり見せたがらない。うちの診療所でもそういう人は多いわ」


 軽やかな手つきでナイフを取り、コッペパンみたいな細長いパンを水平に切る。半分に分けられたパンにバターのようなものを塗り、野菜を乗せ、薄く切った肉を乗せた。


「食事はとれそう?」

「あ、はい。実はだいぶお腹が減ってまして」

「うふふ、じゃあおいしい食事にしないとね」


 肉の上に黄色い実の入ったドレッシングみたいなものをかけ、もう半分のパンで挟み込む。俗にいうサンドウィッチ。


「お酒…はダメだからぶどうジュースでも」

「そうですね。ジュースでお願いします」


 二人分の食事が完成するまで、俺は喋らなかった。

 なんというか……、さっきの話にトゥーリの身近な人が関わっている気がしたから。下手な事を言ってしまいがちな俺としてはファインプレーと言っていいくらいに会話をストップさせることができた。


 代わりにトゥーリの作業を見ていたのだが、微かな違和感が頭に残る。

 テーブルの上にマットが敷かれ、お皿が載り、サンドウィッチがドカンと置かれた。周りにはカットしたフルーツが乗っている(何かは不明)。

 両側にはナイフとフォーク。右手奥にはグラスが置かれ、中にぶどうジュースが注がれた。

 一人暮らしだからこういうのにも慣れているんだろうけど、いろんな仕草の中に気品が感じられた。


「さて、食べましょうか」


 トゥーリに促され、対面に座る。

 そして、この国の風習通りに両手を軽く握り合わせて、祈る様に少し首を前に倒す。

 かつて国教があった時の所作の名残らしい。日本のように「いただきます」とは言わない。


 静かな食事。

 サンドウィッチもフルーツも美味しいんだが、ワイワイと喋りながら食べることに慣れている俺にとっては若干、居心地が悪い。

 それでも食事の量が大したことないので三十分もしない内に双方のお皿とグラスが空になる。


「そういえば」


 話を切り出してくれたのはトゥーリ。

 手にしていたグラスを置き、お酒で紅潮した顔を俺に向けて微笑む。


「マナちゃんって他の国から来たんだよね?」

「ええ。ニホンという遠い国から来ました」


 もう先に自分の国名を言っていくスタイル。これでバレンティンの刺客という不名誉な疑いを回避できるはず。

 しかし、トゥーリの目は少しだけ驚いているようにも見えた。一瞬で取り繕われてしまったから見間違いかもしれないけど。


「ニホン?聞いたことないわね。どんなところ?」

「んー……私が生まれたのは“ホープ”という街です。シュトラーゼンよりは小さいですけど、同じような城下街で」


 リアル日本の説明よりはここに似通った部分のあるゲーム内での話をメインにする。

 俺のこの体が出来たのはそこなので間違ってはいない。

 そうやって街の話だとか、その土地での友人(フレンド登録者)だとか、生活の話をした。

 こんな姿だからか「どこかに仕えてたの?」とも聞かれたけど、「コスチュームプレイです」って正直に返したらすごくウケた。


「まさかメイドさんが可愛いからメイド服を着るって発想は思いつかなかったわ」

「でも可愛い服を着たいという気持ちはわかりませんか?」

「んー、メイドさんが可愛いなら好きな子にメイド服を着て欲しいって言うのはわかるけど、自分で着ようとは思わないかなぁ」

「えぇ~?トゥーリさんもそんなに綺麗なんだから似合いますよ」


 夜のご奉仕とか絶対にうまそう。終始、マウント取られそうだけど。

 変な事を考えていると、トゥーリは俺の言葉にキョトンとしていた。

 そんな反応をされると俺の方が不安になる。


「え、あれ?どうされました?」

「いや……真正面から褒められたから驚いて」


 あぁ、照れてるだけか。酒のせいで顔が赤いからよくわからなかった。


「あー、うん。あ、“お掃除メイド”ってさ」

「あからさまに話を変えましたね」

「褒められるのは慣れてないの!それで“お掃除メイド”って二つ名あったでしょ?二つ名ってやっぱり周りの人が勝手に呼ぶの?」


 この国での二つ名は基本的にそういうもの。

 実力があると判明した時点で周りが勝手にそう呼び始める。だから、本人はその二つ名が自分を指していると気づかない場合も多いらしい。

 逆に自分で二つ名を名乗るのはかなり恥ずかしい行為とのこと。


 俺がギルド冒険者たちから声を掛けられなかった理由の一つとして、その恥ずかしい行為を真っ先に行っていたというのもある。ヴィンクスから聞いた時には顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。


「ええ。数ある二つ名の中でも一番可愛いモノを私が公式認定しました」

「え?可愛い?」


 いや、疑問に思うのは当然だ。

 “お掃除メイド”という言葉に可愛さを表しているのはメイドの部分だけだろう。あと、戦闘職が扱う二つ名に可愛さが必要なのかという点もわかる。


「言いたいことはわかります。でも、他のが酷過ぎて私からすればこれ一択でお願いしますと周りに言うしかなかったんです」


 自然と握りしめていた拳に力が入る。

 そんな俺の姿を見て、トゥーリは恐る恐る口を開く。


「ちなみに、他のはどんなのがあったの?」

「一番長く、そして多くの方に呼ばれていたのは“頭のおかしいメイドさん”です」

「うわぁ……」


 思わずこぼれ出た声が物語っている。

 これ言われたいって奴いるか!?

 この間もリーヴはためらい無く発言してたけど、こういう風に言われて気分がいいわけないだろう!でも、リーヴは許す!可愛いから!


「なんでそんな名前が付いたの?心当たりとかは?」


 トゥーリの質問に俺は静かに首を横に振る。


「予測ですが、戦闘の場にこんなフリッフリの衣装で登場して、歌って踊って召喚獣を呼んで、そんな間に敵を倒す姿からそう呼ばれたのではないかと」

「それは確かに……頭がおかしく見えなくもないけど」


 やめて!あいまいな表現で隠しつつ、俺の頭がおかしく見えるって言わないで!


「あとは“天使を従えた悪魔”、“非常識メイド”、“リアルルールブレイカー”、“最下層メイド”」

「さ、最下層メイド?」


 まだまだ言い足りないくらいだがトゥーリが興味を示したのでそこで二つ名を唱える時間を止める。今挙げた分だけでもまだ良い方だしちょうどいい。


「うちの国の近くに地下ダンジョンがあるんです。そこは二〇〇階層も地下に伸びていて、そこの最下層である二〇〇階に到達した時に呼ばれた名前ですね」


 どう聞いても地下アイドルっぽいイメージしか浮かばないのでやめて欲しいと叫んだ。

 一ヶ月くらいは言われ続けたかもしれない。


「非常識だとか悪魔だとか……マナちゃん何をしてきたの?」

「こっちが教えて欲しいくらいですよ!」


 キレる相手が違うが思いっきり叫ぶ。トゥーリの家だという事を思い出したけど気にしない!


「私は純粋に楽しみながら頑張ってきたんです。魔法の一つ一つを理解して、何度も何度も繰り返して扱って、努力して……。可愛い服を買い漁って他の女性を集めてファッションショーをしつつ、ヒルダたちにも可愛い衣装を着せて撮影会をしつつ!」

「ファッションショーと撮影会には心惹かれるわね」

「この国での生活が安定したらまた始めるつもりなので是非。開催するときには一番にお知らせします」

「あ、ありがとう」


 どこか俺の申し出に引いている感もあったが気にしない。

 なんか久しぶりに向こうでの話をしたからか、お酒も飲んでないのにタガが外れてしまっていた。

 この後も俺の暴走は続き、トゥーリに迷惑を掛けつつ甘えまくった。


 ただトゥーリが楽しそうに俺の相手をする反面、どこか悲しげな表情をするのが気にかかった……。

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