第二部 シュトラーゼンのメイド

第21話 紅き悪魔の呪い

 昨日は確かに気を抜いていた。


 まず、ずっと練習していたこの世界由来の魔法がようやく実戦で扱えるレベルで習得できたのだ。ちなみにヒルダ、リーヴのお墨付き。

 この魔法はダーカスの事件後すぐにリェラに紹介してもらった魔法屋で購入したモノ。ダーカスが扱えるという『パワード』は扱えないことが判明したため、劣化版で誰でも習得できる『フェイクパワード』という魔法を購入し、取得した。

 そこからその魔法の練習が始まる。足を折り、腕をもがれ、顔面を強打するなどという怒涛の初日から始まり、エイルの泣き言と一ヶ月という長い訓練を経てようやくスタートラインに立てた。自分の才能の無さが恨めしいが、まずはスタートラインに到達できたことの嬉しさの方が大きい。


 次にリェラから、ひいてはギルドから直接クエストの依頼が申し込まれた。

 ブロンズランクにしては珍しい事らしく、しかも「三人の能力を差し引いてのことです」というリェラの言葉は他の冒険者の耳にも届いた。

 仲が良くなっていた先輩ギルド冒険者のテルが気前よく奢ってくれたことも嬉しい事だ。その道の先輩に実力を認められるってのは、いつの時でも気分がいい。


 そんなこともあり、この世界に来て気が緩んでしまったのだろう。

 日々の生活がサバイバルから日常へと変わり、同じ職場の先輩方とも打ち解け、精神的に緩んだんだ。


 やっべぇ、体調崩した。


 テルに奢ってもらった席では肉体年齢を理由に酒を飲まなかった。だから、二日酔いとかではない。

 けれど、今まで感じたこともないような激痛が腹をのたうち回り、頭も割れ鐘を叩いているかの如く痛いし、体に力が入らない。強い吐き気もする……。

 ガンガンと痛む頭の痛みをどうにか耐えて助けを呼ぼうと体を起こそうとしたところで、テントの入り口からヒルダの声が聞こえてくる。


「マスター、そろそろお時間です……マスタ!?」


 見張りの交代でテントの中に入ってきたヒルダが俺の苦しそうな姿を見て駆け寄る。

 俺は痛みに耐えつつ、ヒルダに握られた手を握り返す。


「ゴメン……なさい。体調を崩してしまったみたいで」

「なんで……、昨日まではお元気でしたのに!」

「なんだろ……、気が抜けたのかなぁ。一番気を付けてたことなのにゴメンね」


 日本人らしく風邪を引いたことに対して謝る。実際のところは“悪い”とは一切思ってないけど、職場ではこう言わないと先輩から小言をいろいろ言われたので癖みたいなものだ。


「謝らないでください。マスター、エイルを呼びましょう」

「んー……呼べるのかなぁ」

「弱気にならないでください。リーヴ!マスターが体調を崩されました!手伝ってください!」

「えぇ!?」


 テントの中に飛び込んできたリーヴとヒルダに両肩を貸してもらい、テントの外へ出る。

 デッキブラシを装備する気力もなく、地面に座り込んでエイルを召喚する。

 夜の闇に輝く白き光。その神々しいまでの煌きの中から文字通りのカワイイ天使が舞い降りる。そして、エイルはその足を地面に付ける前に俺の異常事態に気づいて近寄ってきた。


「マスター!どうしたの?」

「ごめんなさい。体調を崩したようで……フルヒールとキュアをかけてもらえる?」


 そう言いながらコンソール画面を表示させる。

 エイルはすぐに頷き、詠唱に入る。

 詠唱中にステータス画面のHP、MPを見ると、どちらも最大値が八割減っている。だけど、状態異常欄は空白。状態異常でもないのにHP, MPの最大値が減るってバグじゃない……?

 このMP量とかエイルを呼べただけでも奇跡の数値だよ?


 こうやって座っている今でもエイル召喚に使用したMPは回復していない。今起こっている現象だけ見れば、状態異常“虚弱”に掛かっているはずだが、アイコンはやはり見えない。


 “虚弱”はゲーム内に登場する状態異常の一つ。HP, MPの最大値が八割減り、それぞれの自然回復が出来なくなるという悪夢の状態異常。さらに状態異常を治しても最大値が元に戻るだけで、減った分のHP, MPは戻らない仕様。


「マスター、まずは『キュア』!」


 本当にこの子たちは賢いなぁ。頭の痛みに耐えつつ、彼女の行動に感心する。

エイルは真っ先に状態異常を治した方が良いと判断して、キュアをかけてくれたのだ。そして、その効果を確認せずに次の魔法の詠唱に入った。

 ヒルダが俺の体を横に倒し、頭を自分の膝に乗せる。そして、俺の頭を撫でながらエイルの代わりに質問をした。


「体調にお変わりはありましたか?」

「全然……最初は状態異常の“病気”なのかと思ったけど、違うのかもしれません。目に見えている効果としては“虚弱”に近いんですけど、状態異常欄にはどちらの記載もないので」


 俺の説明の途中でエイルはいち早く反応し、詠唱中の魔法をキャンセルする。そして、再度魔法の詠唱に入った。

 そんなエイルの行動がわからずジッと見ていると、詠唱が完了する。


「マスター、次『ライフブレッシング』」


 エイルが使用した次の魔法はまさかのライフブレッシング。

 “ライフブレッシング”は一定時間、対象の最大HPを65%も上昇させ、再生と同じくHPが四秒に一回最大HPの5%回復ずつ回復する持続回復スキル。


「これならマスター、死なないよ」

「うぅ……ありがとー」


 “虚弱”の効果を知っているからこその判断にガチで涙。

 だるい感じの方はだいぶ楽になったけど、頭痛と下腹部の痛みは残ったままだ。


「マスター、お加減は?」


 リーヴがどこかから戻ってきたように地面に着地する。

 そう言えば、外に運んでもらってから姿が見えなかったな。


「エイルのおかげで何とか……。でもまだ頭痛と腹痛がある」

「行動範囲限界のところにギルドがあったので、リェラに事情を説明してきました」

「リーヴ流石ぁ。ありがとー」

「お礼なら別の形でお願いします」

「あ、はい」


 元気になったらね。

 俺はヒルダに抱えられ、シュトラーゼンへと入る。

 街門近くにはリェラがおり、心配そうに駆け寄ってくれた。門から少し離れたところで地面に下ろされ、ヒルダの足に背を預けながら地面に座り込む。

 リェラは目線を合わせるようにしゃがみ込む。


「体調を崩されたとの事ですが、大丈夫ですか?」

「はい。エイルのおかげで何とか。ただ、医者を紹介して欲しくて」

「腕のいい医者には数人知り合いがいます。初期症状はどんな感じですか?」

「朝起きたら体が重くなってて、頭痛がして、腹痛もあって……。ちょっと吐き気がします」

「熱は?」

「無いと思います」

「失礼」


 リェラの手が俺の額に押し当てられる。

 額と額で熱を測るのも憧れはあったけど、これはこれでイイ!


「熱はないようですね」


 至福の時は十秒と持たなかった。


「とりあえず、ここから一番近い医者に行きましょう」


 リェラの言葉に頷き、ヒルダとエイルに引っ張ってもらって立ち上がる。

 すると、リーヴが目を見開いた。


「マスター!?血が!」

「え?」


 リーヴの叫びに地面を見ると、座っていたところにほんの少し血の跡が見える。お尻を触ってみるとスカートが濡れており、手には血液が付着していた。


「血便……?」


 エイルの言葉にフラッと来る。

 まさかの病死エンド?異世界転移モノとして一番面白くないパターンの奴だろそれは。

 グルグルと己の不甲斐なさを悔やんでいると、リェラは毒気を抜かれたような表情になっていた。


「まさかとは思いますけど……紅い悪魔の呪い……では?」


 リェラの言葉に俺も含めて四人が首を傾げる。


「悪魔の呪い?」

「でも、状態異常には含まれてなかったって」

「そもそも呪いはマスターに効かないような気もしますけど」


 ヒルダ、エイル、リーヴがそれぞれ考えを口に出す。

 リェラはそんな反応を見て、呆れたように溜息を吐いた。


「まぁ、冒険者で扱われる隠語ですし、マナさんの故郷ではカタロニアと別の言い方をしているのかもしれませんけど……。少しは思い当たってもいいような気もしますね」

「え?」


 俺の疑問をよそにリェラはくるりと反転して一歩踏み出す。


「まあいいです。その病に詳しい医者が一人います。性格に難はありますが腕は確かですし、マナさんなら格安で受けてくれます。皆さん、付いて来てください」

「「「「はい」」」」


 よくわからないまま、医者の元へと案内される俺ら。

 着いたのは普通の一軒家。住宅街の中にあり、ギルドからもさほど遠くない。病院らしき看板も見当たらないが、リェラはまるで自分の家に入るかのような気軽さで玄関を開いた。


「トゥーリ!起きてますか?」


 居間に入ってすぐリェラが大声を出す。すると、二階から下着姿の女性が降りてきた。

 ぼさぼさの赤い髪に、ちょっと大きめのメガネ、下着はちょっと派手な赤のボインな女性。頭とお腹を左右の手でそれぞれ掻きつつ、あくびをかみ殺しながら声を出す。


「おひへはおひへは。ふぁーあ」

「起きていた人の恰好じゃないですよ」

「それよりどうしたの?家に直接来るのは珍し……まさかリェラもそっちに目覚めた?」

「違います!急患がいるので診て欲しくて」

「急患って……まぁ、可愛い女の子ならお嬢さん。どうしました?あぁ……、こんなに顔が青くなっていても可愛いなんて罪よアナタ。さぁ、お姉さんとベッドに行きましょう」


 濃い濃い濃い!なんだこの濃い女性は!?

 いきなり初対面の俺の顔を間近で覗き込んで、ベッドインを促してきたぞ!?リーヴに慣れてきたとはいえ、こういう感じの女性の扱いに慣れたわけじゃないぞ!

 痛ッッッ!!!くぁー……頭痛いときに心の中で突っ込みさせないで欲しい……。


「紅い悪魔の呪いに罹っているようなんです」

「あらら~、それじゃあお楽しみはできないわね」


 残念そうに背を伸ばし、家の奥を指さす。


「お楽しみをしないにしてもベッドに入ってもらうよ。そこの亜人さん、こっちに運んで」

「はい」


 ヒルダはトゥーリに促されるままに歩き出し、ベッドに着いてから俺を下ろす。

 ベッドに横になっても体調がよくなる訳じゃない。頭痛も腹痛もまだまだ元気だ。


「ちょっと調べるよ。魔法掛けるけど変なのじゃないからあんまり体に力入れないように」

「わかりました」


 トゥーリの手に魔力が集まる。何かの魔法詠唱の様だけど思った以上に時間がかかり、十数秒後に魔法が発動した。


「『オールスキャン』」


 トゥーリの手から放たれた光球は速度無く俺に近づき着弾する。

 体全体に魔力が広がるような感覚が一瞬だけすると、フッとその魔力が掻き消えたように感じた。


「ふぅ~ん。ヤバ目のものじゃないね」

「やはり紅い悪魔の呪いでしたか?」

「うん。ほら、呪いもさ。悪魔じゃなくて死神になる場合もあるから。発症例は少ないんだけど、死神の方だと一分一秒を争うからね」


 悪魔だの死神だのと言っているが未だにその正体が掴めない。

 頭が痛いからか考えたくもないし、二人の話をただ聞いていようと耳を傾ける。しかし、トゥーリが俺の顔に顔を近づけ、ニンマリと笑う。


「良かったね。ただの紅い悪魔の呪いだ。それにしても毎回こんなに酷いの?」

「い、いえ……こんなに酷いのはこの国に来て初めてです」


 毎回?定期的にこんなクソツライ状況になるのか?

 トゥーリの言葉に戸惑いつつも、適当に話を合わせておく。


「この国?」

「マナさんは別の国の生まれなんです。諸事情あってこの国に飛ばされてしまったようで」


 俺の代わりにリェラが答えてくれる。


「なるほどね……。まぁ、環境変化によるストレスとかでも酷くなる場合があるからね」


 ストレス性のなにか?

 でも、ストレス蓄積マッハな向こうの現実世界でもこんな痛みは経験したことないぞ?

 あれか?片頭痛って奴か?


「一応、痛み止め出しておくし、今日はここに泊ってって」

「え……?そんなに甘えてしまってよろしいんですか?」


 社会人的確認。内心はラッキーと思いつつも、申し訳なさそうに言うのがポイント。


「いいよいいよ。その代わり、彼女たちを労働力として提供してもらうよ」

「えっと……それは構いませんが、ヒルダたちは召喚獣でして」

「おやおや、それなら家の片づけでもしといてよ。仕事場はちょっと離れてるから召喚適用範囲外になるかもしれないしね」

「トゥーリ、助かります」


 リェラがお礼を言うと、トゥーリはニカッと笑う。


「良いって良いって!それよりリェラは仕事に行きなよ。一人のギルド員にばかり構ってるとまた変な難癖付けられるよ?」

「ええ……。そうですね。ではマナさん、私はこれで。あと、頼もうとしていた依頼ですが、組む相手に事情を話して二・三日、長ければ五日ほど遅らせます」

「え?大丈夫なんですか?」


 最悪、仕事が無くなると覚悟していたのに何たる幸運!


「本来はあまり良くはありません。ただ、今回頼もうとしている依頼に関しては数日程度の遅れでどうなるものでもありませんし、先行で仕事を行っている方もいるのでそこまで大事にはならないでしょう。連絡はこちらからするので、体調が回復したらギルドに来てください。ただ待てるのは五日までです。それより長くかかりそうな場合は別途連絡をお願いします」

「そうだね。それまでは安静にしてなさい。これは医者としての命令」

「わ、わかりました。ありがとうございます」

「いえ。同じ女性としてその苦しみはわかりますから」


 ん?同じ女性として?

 俺の頭にふと浮かんだ病名……とは違う言葉。そんな困惑を面に出さないように苦労している間にリェラはトゥーリと少し話をしてから去って行った。

 残された部屋には俺ら三人だけ。エイルが心配そうに俺の顔を覗き込み、ヒルダがトゥーリの方に顔を向けている。リーヴはリェラが家を出る前にそちらに移動していたので、お礼を言ってくれたのだろう。


 異世界に着いて初の体調不良が女性特有のアレとは……。性転換ってこんなにツラいものなの?全然夢ないじゃん。

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