6. 「やってみようよ」
真陽は、小さい頃からなんでも自分でやろうとする子どもだった。
それは何故か。
本人としては、
「人の手を煩わせたくない」
という気持ちが強い。
幼稚園でも。年中か年長生でもう、母からひもゴムをぶんどって、自分でツインテールにしていた。
後に聞いた話で。
赤子の頃から、はいはいやら、つかみ立ちなどの行動の成長が早かったとか。
まあ、旭と悠也と比べれば、当然とも言えるが。
直接的な理由として。
母、七瀬の苦悩を近くで見ていたのが大きい。毎日のように、小言を言われる日々。
七瀬が悪いわけではないけれど、「責任」として。旭のこと、悠也のこと。
特に、本当に小さい頃に、目に見えて手のかかる子だったのは、悠也だった。
いったい、いくつになれば朝、布団が濡れている事が無くなるのか。
もう、毎日が七瀬にとっては戦争だ。
だから。
真陽は一歩、また一歩と、母から離れた。そうしながら。
悠也相手には、様々なことをやらせてみた。
窓拭きや、洗濯物のたたみ方に、自分で服を脱ぎ着することも。
真陽がひらがなを覚えれば、それを悠也にも教えてみたり。
いつもそれは、
「一緒にやろうよ!」
から始まっていた。
真陽は、悠也が、その気になる「テンション」をなんとなく掴んでいる。
(自覚はまだなかったが)
だから、大人たちがどれだけ誘っても動かないことでも、真陽の呼びかけになら、簡単に乗っかることも多かった。
そこには、彼女なりの「闘志」が込められている。
大人たちは、悠也に対してのことを
「どうせそんなの出来ない」
そう思っているのが、透けて視えるのだ。
それが。
その「諦められた」眼差しが、真陽はとてつもなく、嫌だった。
だから。
そんなことないんだ。
やれば。やってみれば、もしかしたら。
ヘタかもしれない。合格点には程遠いかもしれないけど。それでも。
「何にもできない」なんてことはないんだよ。
それを、その身で表現したかった。
まだ、その当時は「障がい」がどんなものかも、よく分かっていない。
でも。あきらめて、全部任せることが。
本当に、悠也のためなのか。
もしかしたら。
その「正解」はないのかもしれない、とさえ思う。
本当に「正解」は一つだけなのだろうか。
いや、そうとも言いきれないはずだ。
……まあ、その頃の真陽がそんな深いところまで考えを巡らせていたかといえば、それほどでもないけれど。
――拝啓、身近な大人のひとたちへ。
あさも、ゆうも。
大人たちが「出来ない」って言うから、ほんとに出来なくされているんじゃないの?
「やってみること」は。
確かに教えるのはちょっと疲れる。でも、何でもかんでもこっちがやるのが、二人のため、なのかな。
私は、そうじゃないと思う。
……本当に、「何が良いか」なんて、私も知らない。
でも、本人がやる気になるなら。それは価値になる。
やってみても、悪くはないと思うんだ。
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