第22話 栗橋七瀬×九条桜花
「七瀬さん……?」
「呼び出したのはそっちなのに、なんでそんな驚いてるのよ」
「いや、だって……時間、もうとっくに過ぎてますよ」
「私はただの買い物帰りに寄っただけ。それとその言葉はこっちのセリフ」
「待ってれば、七瀬さんが来てくれるんじゃないかって」
「ぷっ! なにそれ」
「そこ、笑う所なんですか?」
形はどうであれ、七瀬さんともう一度会うことができた。もう一度会話をするチャンスを得られた。それだけでも嬉しかったけど、今はまだ安心するのは早い。
ここから会話をして、七瀬さんともう一度友達に戻る、それが本来の目的だったから。
「なんで呼び出したのよ。私はせっかく君を突き放したのにさっ」
「俺、やっぱり納得できなくて。ここで七瀬さんと友達じゃなくなるのが嫌だったんです」
「友達なんて、すぐできるじゃない」
「俺にはできないんだすよ。簡単に作ることもできないのが……俺なんですよ」
「どういう意味?」
「俺、昔イジメられてたんです。イジメってよりかは都合よく使われてたってゆーか。ほら、俺の家って金持ちだったんで」
友達ってものの作り方を知らなくて、ある日友達になろうだなって言われて、飲み物やお菓子を奢らされて、最新のゲーム機、ゲームソフトを買わされて、それでも一緒に居るのは楽しくって、ごっこでも偽物でもその当時は信じて疑ってなかった。
「でも結局俺達が不良に絡まれてピンチの時に、友達と言ってくれた人たちは俺を置いて逃げていきました。お金を払ってその場は解決して、次の日学校であった彼らは俺を友達じゃないと言いました」
「…………」
「だから俺は自分が金持ちであることを知られたくないんです。またそういう経験をするかもしれないから。だからずっと内緒にしてたんです」
「前は具体的に分からなかったけどさ、それが煙草を吸う原因なんだね」
「そうですね」
「恨んだりしてないの? その人達のこと」
「恨むってより、俺は同じことしたくないなって思いました。だから次、いつ出会えるか分からないけど。俺が心の底から友達ってなりたい人が現れて、その人が困ってたら助けてあげようって思いました。逃げないで、立ち向かって」
「うふふ、そっかそっかぁ」
「はい」
「ねぇ、煙草ちょうだい」
「はい?」
「箱ごと、ちょっと貸して」
「ええっと……はい」
俺は七瀬さんに言われた通りに煙草を箱ごと渡した。七瀬さんも実は吸っていたのか? でも七瀬さんから煙草の匂いがしたことなんか一度もなかったし。
「火、は要りますよね?」
「要らないよ~」
その次の瞬間、七瀬さんは自分が先ほどまで飲んでいたペットボトルの新品の煙草を入れ始めた。ペットボトルの底にはまだ水分が残っていて、俺の残りの煙草3本によって吸い寄せられていく。
「え? えぇ!?」
「煙草、嫌いって私言ったでしょ? だから翔也くんにはやめてもらう」
「マジですか……?」
「うん、その代わり私が友達になってあげる」
「え?」
「でも条件付き。翔也くんが煙草をやめてくれたらって条件。覚悟を見せてもらわなきゃ」
煙草を辞めれば七瀬さんと友達に戻れる。なんて自分本位で身勝手な条件なのだろうか。でもその条件を承諾しないことの方がもっとあり得なかった。
「俺、禁煙しますよ」
「うん」
「だから俺と、もう一度友達になってください」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。翔也くん!」
七瀬さんが笑ってくれた。きっとその笑顔は九条桜花ではなく栗橋七瀬としての笑顔のような気がした。そのことがたまらなく嬉しく思えた。
▼
自分の存在価値ってなんなのだろう?
そう思い始めたのはモデルに仕事をたくさん貰うようになってからだった。
私の表情、ポージング、表現力を褒めてもらえて、その瞬間がたまらなく満たされていた。
九条桜花
本名の活動は色々と支障をきたすからってモデルとしての名前、私の第二の人格が生まれた。
誰からも認められ、誰からも応援されて、非の打ち所がない存在。だけど、皆は口を揃えて私のことを九条桜花と呼ぶ。
本名を知らない人なら仕方がないけど、本名を知っている人も呼び方が変わった。七瀬ちゃんから桜花ちゃんに変わって、私の名前、栗橋七瀬は霞んでいく。
期待されること、求められることは嬉しいしありがたいこと。贅沢な悩みだって言われるかもしれないけど、そのプレッシャーに打ち勝つだけの心の強さが私にはなかった。栗橋七瀬には持っていない感情だったから。
でも、九条桜花なら持っていた。持っていたけどそれは栗橋七瀬を否定すること、自分自身を殺すこと。
本当の私を見てくれる人が居ないのを知って、ため息の数だけやさぐれていく。そんな日常の中に現れた男の子。私のことを知らないからか、栗橋七瀬として接してくれて、七瀬さんなんて呼んでくれて、彼といる時は変に気を張らないでいられた。
あとどれくらい一緒にいられるのかな?
もう少しで、九条桜花を知られちゃうのかな?
そんな不安が日に日に押し寄せてくるのが恐かった。一度殺した感情がまた蘇って、そしてまた死んでいくのが恐くて仕方がなかった。
だから伸ばした手を引っ込めた。
最初から関係を無くせば、裏切られなくて済む。
そう思って彼の背中を追うのをやめた。友達ならまだ凛がいるから、それで充分だよね。
そんな引っ込めた手を、私の弱い心に気がついた彼が、今度は振り返って止まった私の所まで戻って来て手を引いてくれた。彼の過去が自分と重なって、だからってわけじゃないけど、泣きたくなるほどに気持ちが分かって、痛いくらいに言葉が染みて、もう一度信じてみようと思えた。
だから私は彼の煙草を奪い取って、二度と吸わせないと約束させた。それは私の覚悟、私を救ってくれた彼を救う為の誓い。
朝、目が覚めると心地よかった。今までの憂いた気分が晴れて、視界が雲一つない青空へと変わる。
この清々しい気分をどうしようか、この気持ちを誰に伝えようか。その足取りは自然と友達の待つ喫茶店へと向かっていた。
私は、栗橋七瀬はまだ生きていると、実感しながら。
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