第20話 先輩、偽りの仮面!


 七瀬先輩が有名なモデルだと知ってからも刑事さんの事情聴取、ペトラのお見舞い、七瀬さんのご両親からのお礼、そんな具合で忙しくすっかり忘れていた。

 忘れてしまう以前に七瀬さんが有名なモデルってことに驚きはしたが興味はなかった。


 俺には関係も縁もない話だし、ただただ七瀬さんが無事で良かったとシンプルにそれだけを考えていた。


《別に今に始まったことじゃないし。むしろナナだからある意味仕方ない気もするけど》


 ずっと引っ掛かっていた月島さんの言葉の意味も分かった。有名人でありメディアに露出も多いだろうから、そういった事件に巻き込まれやすいって解釈なんだろう。でも理解はできなかった。例えそうであっても、それが仕方ないって言葉で片付けられる物ではない。みんな等しく平等であるべきだ。


「元気にしてる?」

「あ、月島さん」

「一応お見舞い。これ店長からね」

「あ、ありがとうございます」


 タイミングが良いのか悪いのかは分からないけど月島さん本人がお見舞いに来てくれた。心配してる素振りみたいなのはそんななく、たたいつものようにアルバイト先で接してくれるようなフラットさだった。


「月島さん。前に月島さんが言っていた言葉の意味が俺にも分かりました」

「なんの話?」

「七瀬さんの今回の事件、仕方ないって話です」

「あー」


 月島さんは相変わらずフラットに応える。ここで直接聞いたところで答えなんか出やしないのは百も承知だけど、言わないって選択肢は俺の中になかった。


「意味は分かりましたけど理解はできません。それイコール仕方ないは違うと思います」

「いいんじゃないそれで」

「え?」

「そんなの人それぞれの考えでしょ? 熱く議論することじゃない。カロリーの無駄使いだよ」


 そう言って月島さんは俺のお見舞いと言って持ってきた袋から飲み物を取り出して飲み始める。


「けどね、あんたが思ってるよりこの世の中って正しくないから。そんなピュアな心だけじゃきっと壊れちゃうよ」

「…………」


 そこまで言われて思い出したのは過去の自分のありさまだった。友達だと思ってた人達は全員お金目的で近づいてきた友達でもなんでもない人だった。自分にもそういう過去があっても、俺は何も学んでいなかったってことなのか? 分かったつもりで、理解したつもりになっていただけなのか?


「周りじゃなくもう少しナナを見なよ」

「七瀬さんを?」

「あんたの目に映るナナはどんな人?」


 俺の目に映る七瀬さん。気が利いて面白くて頼りになって、俺を支えて引っ張ってくれる憧れの先輩。それが栗橋七瀬という女性の魅力だ。


「それは違うよ。それは栗橋七瀬じゃない。それが九条桜花なんだよ」

「はい?」

「本当の栗橋七瀬は弱くて頼りなくて誰かが支えないとすぐ壊れちゃうくらい繊細なんだよ。でも誰もそれを理解してない。まぁナナも見せないんだけどね」

「…………」

「まだあんたはナナのこと何も理解できてないよ」


 その言葉がやけに突き刺さった。七瀬さんのことを何も理解できていない。その言葉が妙に心地悪く俺の胸をざわつかせ、かき乱した。









《あんたはナナのこと何も理解できてないよ》


 月島さんに言われたその言葉が俺に突き刺さる。そりゃ七瀬さんのことを全て理解してるとは思ってないけど、何も分かってないと言われるなんとも言えない虚無感が襲ってくる。


 俺が今まで接してきた人は栗橋七瀬ではなく九条桜花。じゃあ、七瀬さんは俺のことを友達だと思っていないってことなのだろうか?


 また俺だけ……俺だけが1人で勘違いして友達だと思い込んでたってことなのか……? 嫌な記憶と感情が押し寄せてくる。煙草を吸いたくなる程に劣悪な感情か俺を支配しようとしている。


「翔也くん」

「な、七瀬さん」

「ノックしても返事がなかったから勝手に入っちゃった」


 俺が感情を掻き乱されてる間に部屋に入ってきていたのは七瀬さんだった。帽子を被り伊達メガネをかけたいつも通り七瀬さん、とは少し雰囲気は違っていた。

 それと、今更だけどあの帽子も伊達メガネも七瀬さんが九条桜花としての自分を隠す為のものなんだと知った。


「どうしたんですか?」

「ちゃんとお礼、言ってなかったからね」

「大したことはしてないですから」

「そんなことないよ。翔也くんが居なかったら私、殺されてたかもしれないし」


 七瀬さんの言葉があまり頭に入ってこなかったから、そんなありきたりな返答しかできない。

 七瀬さんは俺に九条桜花の存在を隠していた。モデルをやってることも話してくれなかったら。そう、友達じゃないから。


「相変わらずシケた顔してるね」

「……月島さん」

「こら凜、そんなこと言わないの」

「さーせん」


 少し遅れて七瀬さんと一緒に入ってきた月島さん。さっき帰ったと思ったけどどうやら七瀬さんと一緒にもう一度やってきたらしい。今はあまり会いたくない相手だけど、露骨に拒絶するわけにもいかない。


「お見舞いのお花持ってきたんだけどね、花瓶に入れてくるね……!」

「あ、すみません……ありがとうございます」


 この場の雰囲気を悟ってか、七瀬さんはお見舞いとして持ってきた花を花瓶に入れる為に病室を出て行った。

 この部屋に残されたのはまた俺と月島さんだけになってしまった。


「ねぇ、あんたはナナのことどう思ってる?」

「え?」

「あんたはナナと友達になりたいんでしょ?」

「ってことは、やっぱり七瀬さんは俺を友達だと……思ってくれてないんですね」

「そうだね」


 酷い現実。あんまりじゃないか。こんな哀れな結末……結局俺はやり直せないのだろうか。またこの苦しみを味わって続く悪夢。信じた分だけ裏切られる不条理。もうたくさんだ……


「でも今なら、なれるよ」

「え?」

「今ならあんたの選択次第で、ナナと友達になれる。ナナを救ってあげられる」

「俺の選択次第で……?」

「うん、だからお願い。ナナを救ってあげて」


 月島さんの言葉の意味が理解できない。真意も何もかも分からない。嘘かもしれないし罠かもしれない。それでも今は目の前の人の、アルバイト先の先輩に差し伸べられた手を取ることしか出来なかった。












「ナナはずっと求めてるの。九条桜花としてじゃなくて、栗橋七瀬として見てくれる存在を」

「栗橋七瀬として見てくれる存在?」

「モデルの仕事を始めてからナナの取り巻く環境が変わったの。モデルとして成功した引き換えに、九条桜花としての価値と期待が寄せられて、それに応えていった先に栗橋七瀬の存在意義が無くなってしまった」

「…………」

「みんながナナに求めるのは栗橋七瀬じゃなくて九条桜花ってブランドだから、誰もナナの本質を見ようとしない、誰も栗橋七瀬を必要としない」

「酷い話ですね……」

「近づく人はみんな九条桜花として。それをナナも分かってるから栗橋七瀬を見せない。でも本当に自分を見せないってことはすごく疲れる、自由がない地獄と一緒なんだよ」


 月島さんお話を聞いて、過去の自分と七瀬さんが重なった。俺も一緒だ。ただのお金持ちとしての駒、ただの財布としか思われていなかった学生時代。その時の悔しさや悲しさは今でも覚えてる。


 それゆえに人を簡単に信じることができない気持ちも理解できる。俺の痛みは俺だけしか分からないし七瀬さんの痛みも七瀬さんにしか分からない。でも何も理解できないわけではないと思う。


 同じ気持ちを、似たような気持ちを知っているからこそ、俺は七瀬さんを救ってあげたいと思った。俺なら救ってあげられるかもしれない。自惚れかもしれないけど、月島さんだって俺を頼ってくれた。その気持ちにだって応えたい。


「俺も本当の友達になりたいです。九条桜花なんてどうでもいいです。栗橋七瀬と、七瀬さんと俺は友達になりたいんです」

「うん、ナナを救って。あんたなら救えるって信じてる」


 なぜ月島さんが俺をここまで信用してくれるのかは分からないけど、アルバイト先の先輩、俺の友人のお願いを聞かない訳にはいかない。


「お待たせ~、ちょっと花瓶洗うのに手間取っちゃってさっ」

「いえ、おかえりなさい」

「凜と何話してたの? ちゃんと仲直りできた?」

「あ、はい。問題ないです」

「そっかそっか~なら良かった良かった~」


 今の七瀬さんはきっと九条桜花なのだ。取り繕って大人の余裕を見せている偽物だ。


「改めて、私を助けてくれてありがとう。本当に感謝してもしきれない……」

「だからお礼なんていいですって」

「それとね、もう一つ言わなきゃいけないことがあるの」

「なんですか?」

「私は君とは友達にはなれない」

「え……?」

「ナナ?」

「ごめんね~、いきなりこんなこと言ってさ。でも言っとかないと君はまた私に絡んできそうだし」

「あの、七瀬さん……?」

「ナナ、何言ってんの?」

「私は1人でも大丈夫……だから。私のことなんか気にしないで」


 多分だけど、これはあくまで予想だけど。月島さんとの会話を聞かれてたんじゃないかと思った。

 目の前で優しく微笑みながらそう言う七瀬さんの表情は酷く辛そうに見えた。こんな悲しい笑みがあっていいものなのかと思うくらいに残酷な笑みをしていた。

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