第18話 先輩、誘惑!


「翔也くん、私もう我慢できないの……」

「な、七瀬さん!?」

「私の頭の中、翔也くんでいっぱいなの」

「そ、そうなんですか……?」

「だから翔也くん、私とキスしよ」

「い、いいんですか……?」

「うん、いいよ。君がいい。翔也くんがいいの」

「わ、分かりました」


 七瀬さんの潤いのある赤い唇に自分の唇を近づけていく。友達って距離から一気に恋人って関係にまで近づく過程のドキドキ感、たまらないっす。そんな事を考えながら七瀬さんと唇を交わそうとした時だった。


「翔也くん、朝だよ。起きて」


 見事な夢オチだった。


 急遽七瀬さんが俺の家に住むことになってから早1週間が過ぎた。

 家に美少女が2人もいる現実がいまいち理解できないが、それでも現実は否応にも俺に自覚させてくる。


「翔也くん、早く起きないと朝ご飯冷めちゃうよ?」

「あ、はい。すぐ行きます」


 先程までの夢とは違い七瀬さん普通に俺を起こしてくれた。

 普段はペトラが起こしてくれるのだが、ペトラは学校で生徒会に所属したらしく朝早く出て行くことが度々あって、そこに重なるとペトラの代わりに七瀬さんが起こしてくれるのだ。


「翔也くんって本当に朝に弱いんだね〜」

「あはは、なかなか自分で起きれなくて……」


 優しい声音で起こしてくれて、朝ご飯も作ってくれる。感覚的にはもう恋人同士の同棲生活みたいなものだった。


 ましてや七瀬さんみたいに美人な人がって想像するだけで気持ちが高まるけど、そんな想像に近しいことができてる事実がなんとも言えぬ。なんだか、幸せのまっただ中だった。


「今日はペトラちゃん生徒会の仕事で帰りが遅くなるって」

「そうなんですね」

「それと翔也くん。今日は付き合って欲しいことが……あって……」

「はい?」


 そう言ってきた七瀬さんは何故か俯き始めて、モジモジ身体をくねらせる。あれ、これなんだ? 七瀬さんもしかして恥ずかしがってる? 恥ずかしがっちゃうようなことを俺に望んでるの? 待って俺も心の準備とか男としての準備とかいろいろまだなんだけど……


「翔也くんにしか……頼めないの」

「俺にしか、ですか」

「うん。嫌なら断ってくれても、いいの」

 「そ、そんな断りませんよ! 七瀬さんの思いを踏み躙ったりなんかしません!」


 夢が現実になろうとしてる。これってアレですか? 正夢ってやつですか? 憧れだった先輩とより深い仲になれるチャンス。けど、ペトラの気持ちに応えていないからまだダメだろ。まず先にそっちの問題に決着を付ける必要があるな。


「そっか、ありがとね。今日は一旦自分の家に帰ろうと思ってね。だから翔也くんには帰り道に私を尾行する人を見つけて欲しかったの。こんなの事情を話してる翔也くんにしか頼めないからさ」

「え? あ、はい。そうですよね……」

「あれ? どうかした?」

「い、いや。なんでもありません。どうかしてたのは俺なんで」

「なんの話?」

「いや、なんでもないです! た、卵焼き美味しいです! 最高です!」


 盛大な勘違いで穴があったら入りたくなった。











「またのご来店をお待ちしております」


 大学終わりのバイト先でも、俺の朝の妄想は尾を引きずっていた。変な妄想やアレコレ想像しては頭をブンブン横に振ってそんな邪心をかき消そうとする。

 月島さんにも3回くらい何やってるの? ってツッコまれたけどテキトーに流して事なきを得た。


 七瀬さんにそんな気はさらさらないのは分かってるけど、それでも妄想してしまうのが男の悪い性なのかもしれない。それに今日は七瀬さんをしっかり守らなきゃいけない警備の仕事があるし、妄想している時間なんて1秒たりともないし、精神を集中させないといけない。


「今日、ナナが来るから」

「え? あ、そうですね」

「なにかあったらすぐ連絡して」

「あ、はい。月島さんも知ってるんですか? 七瀬さんの悩み」

「別に今に始まったことじゃないし。むしろナナだからある意味仕方ない気もするけど」

「仕方ない?」

「ナナから何も話聞いてないの?」

「帰り道に付けられててストーカーがいるって聞いてますけど」

「それだけ?」

「それだけです」


 俺の返答を聞くと月島さんは何かを考え始める。七瀬さんだから仕方がないって言葉の意味はなんなのだろうか? もしかして七瀬さんが何かをしてしまったのか?


「なら私の口からは言えない」

「えぇ……」

「でも安心して。ナナが何か悪い事をしたからって訳じゃないから。それだけは無いって保証する」

「は、はぁ……」

「とにかく、ナナのことは頼んだよ」


 月島さんにも七瀬さんの事を託された。でも、月島さんが言った仕方ないって言葉がどうにも引っかかってしまう。このスト―カー事件は仕方ないこと、それなのに七瀬さんは何も悪い事をしていない。その理屈で仕方が無いって状況は果たしてあり得るのだろうか?


 七瀬さんが何も悪い事をしていないのなら仕方なくなんかなくって、立派な被害者で救わなければいけない人だ。でも月島さんが嘘を言っているとも思えないし、そんなどっちか分からない不安を抱えながら仕事をしているとお店の入口に見知った人が入店してきた。


「やっほ、翔也くん」


 キャップを被りオシャレと言っていた伊達メガネをかけ、少し微笑みながら控えめに手を振ってくる七瀬さん。その表情はどこか不安げにぎこちなく笑っている風にも見えた。


「バイトもう少しで終わるので、待っていてください」

「うん。中の休憩室で待ってるね」

「分かりました」


 もしかしなくても緊張しているのは明白だった。だからこそ、そんな七瀬さんの表情を見たからこそ、悲しませるストーカーに怒りが湧いてくる。七瀬さんは悪くないなら、絶対に捕まえてやる。七瀬さんの笑顔を取り戻す為に、俺はそう誓った。

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