★ 少女と幽霊


 ここは、地元住民であればほとんどが知っている、大きな公園だ。

 園内には、スポーツ施設、遊具、自然庭園、噴水広場などがあり、子どもから老人まで、幅広い世代に親しまれている。


 噴水広場の近く、公園のほぼ中心に、5~6人が座れる程度の東屋がある。そこに、高校生くらいの少女が座っていた。


 時刻は午前2時を回ったところだ。

 少女が一人で過ごす場所と時間ではない。


 少女は、小さなため息を吐き、後頭部に手を当てる。ひどく痛むらしく、すぐに顔をしかめて手を離す。

 しかし、後頭部に何かが飛んで来て、少女はさらに顔をしかめる。痛みに呻きながらも飛んで来た物を取る。それは、雑誌の1ページだった。


 特にすることもないので、そのページに目を通す少女だったが、その顔はどんどん青ざめていく。内容に問題があったのだ。


 そのページの見出しはこうだ。


『公園の東屋に現れる、少女の幽霊』


 見出しの隣には、ご丁寧に東屋の写真も載っている。少しぼかしてはあるが、地元住民であれば、その東屋が、少女が今座っている所だと分かるだろう。産まれてこの方、同市から出たことがない少女も、例外ではない。


 そして、記事の内容を少女は読み進めてしまった。


『20XX年○月△日早朝。公園内のコースをジョギングしていた会社員Aさんが、休憩するためにこの東屋に寄ったところ、地元の高校生Mさんが頭から血を流して倒れているのを発見した。Aさんは救急車を呼んだが、Mさんは、既に死後3時間以上経っていたという。Mさんの家庭は――』


 その続きは、汚れていて一部読めなかった。読めるところから再開すると、そこからはオカルト寄りの内容になっていた。


『――今でも、Mさんの目撃証言が後を絶たない。彼女はきっと、自分を殺した犯人を、この東屋で待ち続けているのだろう。Mさんに出会ったときは、すぐに立ち去ってはいけない。犯人だから逃げた、と思われて、』


「あなたも、あの世へ連れていかれるかもしれないから……」


 最後の一文を読み上げると、少女はたまらずページを東屋の外へ投げ捨てた。


 いつの間に、この東屋は心霊スポットになったのか。

 少女は、恐怖で荒くなった息を整え、この場を去ろうと立ち上がる。


「やあ、こんばんは」


 突然、掛けられた声に、少女は文字通り飛び上がる程驚いた。驚きすぎて声も出なかった。体は言うことを聞かず、少女はベンチの上に転がった。

 声を掛けた人物は、腹を抱えて笑い出す。


「あっはははは!こっちがびっくりするぐらい驚いたねえ!」


 少女が振り返ると、そこには、棒付きキャンディを咥えた、同い年くらいの少女が居た。


「私はマリア。あんた名前は?」

「……ヤヨイです」


 後から来た少女はマリアと名乗り、ベンチの少女は震える声で自分の名前を伝えた。


 こんな時間に、こんな場所に居る子どもは自分だけだと思っていたヤヨイは、それ以上何も言えなくなり、彼女の脳裏には、先ほどの記事の文章が浮かんでいた。


『Mさんは、既に死後3時間以上経っていた』

『Mさんに出会ったときは、すぐに立ち去ってはいけない。犯人だから逃げた、と思われて、あなたもあの世へ連れていかれるかもしれないから』


 マリアと名乗った少女は、この『Mさん』ではないのか。

 もし『Mさん』なのだとしたら、今すぐ逃げたら殺されるのではないか。

 そんな考えまで浮かび始め、ヤヨイはその場から動けなくなった。


 マリアはというと、サクラの隣に座り、ヤヨイの襟首を掴んで座らせた。同い年くらいの少女に軽々持ち上げられ、一瞬首が締まったものの、ヤヨイは驚きで目を見開く。


「力持ちでしょ?鍛えてんのさ」


 マリアはキャンディを咥えたまま、ニコッと笑い、力こぶを作るように腕を上げた。

 あまりにも明るい笑顔だったので、ヤヨイも釣られてにへっと笑ってしまった。



 *****



 それから数十分の間、二人は雑談を交わしていた。

 ヤヨイは、マリアが幽霊かもしれないということを、いつの間にか忘れて、お喋りに夢中になっていた。


 年頃の少女らしく、楽しく笑っていたが、ヤヨイはまた後頭部を押さえる。

 マリアがどうかしたのかと尋ねると、ヤヨイは曖昧に笑った。


「えっと……お父さんがさ、教育熱心で……」

「虐待か」


 マリアの目が鋭く細められ、ヤヨイは言葉に詰まる。

 しかし、見透かすような、責めるような視線に耐えられなくなり、ヤヨイはポツリポツリと話し始めた。


「私のお父さん、すごく偉い人なの……」


 ヤヨイの父は政府高官で、母は専業主婦だが有名な国立大学出身。そんな二人の間に産まれたサクラも、人並み以上に勉学に秀でていたが、父の期待に応えられるレベルではなかった。


 成績が芳しくなければ、睡眠時間を削っててでも勉強させられた。

 勉強中に居眠りをすれば、ベランダに裸足で出されて、正座で何時間も勉強させられた。


 母は自分に無関心。父の言いなりだった。


 今日は、父に後頭部をゴルフクラブで殴られ、ついに逃げ出して来たのだ。


「それで、ちょっと頭が痛くて……」

「なるほどねえ。親ってのは、選べるもんじゃないからねえ」


 マリアは、食べ終わったキャンディの棒を指で回しながら、何かを考えているようだ。

 少しの間、東屋に沈黙が流れ、ヤヨイは誤魔化すように笑って口を開いた。


「えへへ!ごめんね、暗い話して!でも私、大人になって、就職したら家を出て、両親とは距離を置こうと思ってるの!それなら……それなら、あと数年の辛抱でしょ!」


 マリアはキャンディの棒を回すのを止め、ヤヨイの目を真っ直ぐ見つめた。その表情は、少し憂いを帯びているように見えて、無理矢理上げていたヤヨイの口角は下がる。


 何か言わねばと、ヤヨイが口を動かせずにいると、先にマリアが言葉を発した。


「もう、大人にはなれないってのに?」

「えっ……」

「そうでしょ、待田マチダ夜宵ヤヨイさん」


 マリアがそう言ったところで、ヤヨイは煙のように消えてしまった。


 マリアは腕時計で時間を確認する。時刻は午前2時31分。丑三つ時の終わりだ。


 しばらく悔しそうに唇を噛んでいたマリアだったが、ポケットからスマホを取り出し、どこかに電話を掛ける。相手は、数コールで出た。マリアは簡潔に用件を伝える。


「対象に接触できた。やはり、犯人は父親。凶器はゴルフクラブ。まあ、証拠そんなものをまだ持ってるとは思えないけどねえ……」


 Mさんこと、待田夜宵が殺されてから、既に1ヶ月以上経っている。しかも犯人は若くして政府高官になった男だ。いつまでも証拠を持っているはずがない。


 夜宵の目標は叶わないし、無念は晴らせない。


 マリアは、ポケットからもう一つの棒付きキャンディを取り出し、先ほどまで夜宵が居た所に供える。その顔は憂いを帯びたままだ。


「ごめん……」


 マリアはそう言い残し、東屋の周囲に張り巡らされた黄色いバリケードテープを跨いで、夜の闇に溶け込んでいった。

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