第三章 4

   四


「で、米は北限を超えておる。小麦はどうであったか? さらに他の産業は?」

「はい。広大で平な原野が、地平線の見えるほど広がっております。一部といっても、大変な面積ですが、耕作いたしました結果、とんでもない、ない量の収穫が見込まれます。小麦は勿論ですが、トウモロコシ、馬鈴薯、大豆、小豆が、出荷できます。また、牧草が大変に生育が良いので、馬、牛、羊を、放牧しております。巨大な牧舎と宿舎をたてていただきましたので、越冬用の牧草のサイロも造りました。牧草だけではなく、家畜は、トウモロコシの茎や葉もたべますし、大豆もたべられますから、良い牛、馬、羊が育つと思っております。北蝦夷も殆ど同じです。千島の国後に取りかかりました。殆ど同じです。南洋が、気になっております。東北、蝦夷、武蔵 (地名) に取り掛かっておりましたので、南洋は部下に任せてしまったので・・・」

「大丈夫だ。長七兵衛のからだは一つぞ。信頼できる部下を造ることだ。たまには温泉にでも行って来い。家族を連れてな」

「ありがとうございます。あの・・・よろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「得撫(ウルップ)島と、さらに北の新知(シムシル)島の囚人三、四万人ですが、今一度軍隊のほうで性根を叩き直して、南洋で使えないかと・・・」

「田中。お前も、よくよく貧乏性だな。儂と同じよ。何とかしてやりたいのだろう」

「図星でございます。根っから、百姓だもので。お許しください・・・」

「謝ることはない。考えていたよ。南西諸島で、砂糖黍を造らながら、鍛えて、帰農の技術を教え、二度と莫迦なことは考えないようにさせ、家族とともに南洋に送る。それでもダメなものは本気で得撫島と新知島で越冬だ」

「死にます」

「生きていても仕方がない」

「・・・」

「鉱山関係の者は来ているか?」

「はい。こちらに・・・」

「おお、稲垣継隆と、一宮新三が、来てくれたか・・・徳川から、大久保長安が逃げて来て、大阪にいるが、性格が悪い。しばらくは、使えない。で、蝦夷、東北、甲斐、駿河、伊豆、陸前、北九州一帯、山陰一体、北陸、薩摩・・・ここで、金、銀、鉄、銅、石炭、そうだ、田中」

「はい。石炭から、化学肥料が採れる。使ってみてくれ・・・どんなものだが、区画を決めて、使え。窒素、リン酸、カリが入っている。窒素は葉物。リン酸は実。カリは根菜だ。割合を調べさせている」

「はい」

「あと、石灰、硫黄、石英、雲母が採れる。どうか?」

「すべて廻ってきました。急遽、只今申されましたところに、人を入れておりますが、人手が足りません。そこを、お願いにまいりました」

「そうか、得撫島の者たちを、そちらにも使えるな。考えよう・・・判った。菅沼氏興は来ているか」

「はい」

「金、銀、鉄、銅、鉛、石炭、硫黄、石英、雲母・・・蔵入りの状況はどうか?」

「詳細な数字は、省きます。金五蔵。銀二蔵。鉄は、倉庫に十杯。銅は五杯。鉛は五杯。硫黄は俵に入れて、倉庫十杯分。石英十杯。雲母十杯。石灰は、野積みに屋根を掛け、周りを板で囲って、百杯。以上が、今日現在の、大阪城分でございます。後刻、帳簿の控えをお出しいたします」

「判った。蔵の空き具合はどうか?」

「穀類が、場所を、取っておりますので・・・金蔵はやがて、満杯に成ろうかと思います」


         *


「このあとは、軍事に入る。休憩をくれ。各自、控えの間で、寛いでくれ。淀。コーヒーをくれ・・・身内は、付き合え青柳、高梨、才造、佐助、伊木・・・残れ」

「はい」

「武蔵。どこへいく?」

「小用・・・」

「逃げるのかと思った」

 武蔵が部屋を出た。幸村が、

「あいつの一番、興味のない話だ。逃げても不思議はない」

「でもないですよ。最近は、国の経営、軍制など、墨子を読み返しています。操典に儂と二人で、犯罪人みたいに肖像画が出ています。あれで、『将軍らしい見識を持たんとな』とブツブツいっています」

 途端に、秀頼と、大助が、ひっくり返って笑った。

「犯罪人の肖像画はいいや!」

 大助が笑った。笑いが止まらないのだ。

「あ。使者を急いでだせ。京極高次と、淀の妹、はつの所に・・・懐妊の知らせをだせ。御上の所にも、伊東長次をだせ。土産には、菓儀を、五百両持たせろ。紅白の饅頭とな」

「京極のところには、淡島を行かせます。鞠の形をした、香炉があったから、あれを持たせます」

「京極高次に、羽柴の姓を与えるか。一族意識を持つだろう」

「生まれてからね」

「もっともだ・・・」

 というところへ武蔵が戻ってきた。

席につくなり、

「拙者の悪口を言っていたであろう。笑い声が聞こえた」

「そうだよ。武蔵に結婚をさせようとな」

「殿下よ。孫一が、結婚したらな」

「あ、御存じなかったの孫一は、決まりましたよ。正室が・・・」

「げっ?・・・」

 と驚いたのは、孫一の方であった。

「誰と?」

 武蔵が訊いた。

「淡島です」

「それはいい」

 武蔵が、ひっくり返って、喜んだ。

「嘘だよ」

 孫一がいった。

「本当です」

 淀が真顔でいった。

「・・・」

 孫一の顔が凍った。

「住むところも決まった。隣の真田屋敷だ」

 幸村が、ニヤニヤしていった。

 この話は、瓢箪から駒になって、孫一は、本当に真田屋敷に、淡島と住むことになったのである。

そして、武蔵も、鞠妃の姉と縁が出来た。

 鞠妃の姉は、夢姫といって、鞠妃より五歳上であった。

京極高次も、淀の妹のはつも、夢姫が、どの縁談もこと断り続けるので、

「嫁(い)かず後家になってしまうぞ」

 と心配をしていたところであったが、

「いま、飛ぶ鳥を落とす勢いの、豊臣政府の、征狄大将軍の、宮本武蔵様がお相手だったら、何の不足があろうぞ」

 というので、トントン拍子で、縁談が、同時に進んでしまったのである。

武蔵は、玉造口と真田丸の間に、武蔵屋敷を持っていたが、一人身のことで、武蔵の恬淡といた性格もあって、

「家など、屋根があればいい」

 といっていたが、結婚するとなるそうもいかず、三の丸に、孫一の屋敷とともに二大将軍の邸宅を建てることになった。

真田屋敷は、ほんの間に合わせ的に造ったもので、屋敷とは名ばかりで、今では、青柳と、高梨が勝ってに使っていた。

 高梨内記の娘は、幸村と、竹林宮の雪と結婚する前に縁を結んでいて、次女の市、三女の梅の生母でもあった。

長女菊は、堀田作兵衛興重の妹であったが、生母で上田時代に生まれていた。

また、五女のなおの生母は、関白秀次の娘、三好氏であった。

慶長九年に九度山で生まれていた。

 幸村の閨房はかなり複雑で華麗であった。

これは、幸村が特殊なのではなかった。

戦国時代というのは、一族が多い方か基本的に有利であった。

それも、男子優先の社会であった。

国(地域)を守るためには、多くの城や、砦が、必要であった。

その城や砦を守るのは、自分の子供、次に兄弟、さらに従兄妹や、伯父、甥と等親が下がっていくことになった。

そして、女子は、縁談によって、関係を強めていくことであった。

政略結婚である。

閨閥政治である。

これは、古今東西、変わってきていない。

法律自体、遺産相続と言う形で、会社の株を一番多く持っているのは、基本的に、創業者一族である。

社長が父で、長男が専務というのは、基本的なパターンである。

 幸村の場合は、不幸なことし、男子にめぐまれなかった。

雪(竹林院宮)との結婚で初めて、大助という男子に恵まれたのである。

閨房は、極論すれば、男の子を造るための製造の場だったのである。

高梨内記の娘の場合は、不幸にして女の子しか出来なかった。

「女腹だ」

 というので、次ぎの女性を求めるのであった。

本人だけではなくで、一族や、家臣たちまでが、側室を求めるのであった。

そうしなければ、その一族の存続が危うくなるのであった。

しかし、娘との婚姻で、閨閥が形成されてゆく。

武蔵は、淀の姪を妻とすることで、大助の義兄ということになった。

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