第三章「売国奴・家康の後始末」1

 第三章「売国奴・家康の後始末」


   一


 集まった家臣の中には、徳川秀忠も、本多正純も、本多忠勝も、本多一族もいた。

榊原康政、酒井重忠ら、かつての徳川譜代の家臣たちもいた。

かれらは、深く慚愧にたえない思いを抱いていたのである。

 すでに日常の軍事演習は、特別訓練にも参加していたが、豊臣軍の将兵の動きにはとても、ついていけなかった。

 乗馬の訓練は、教師はモンゴルの乗馬の名手数名がきていた。

 馬で走っていき、地上に転がされている黒い小石を拾う訓練は、モンゴルの教師は、軽く左右の黒い小石を拾った。

「これは基本的なことである」

 とモンゴルの教師たちがいった。

すでに日本に長くいるためか、ネイティブな日本語を話して、指導していた。

 豊臣の将兵は、誰もが、黒い、地上に転がっている小石を、左右で拾っていった。

幸村も、孫一も、秀頼も、大助も、武蔵も、時間があれば、乗馬の訓練に参加していた。

軽々と、黒い小石を拾っていった。

 驚いたことに、淀も、香苗隊の女性兵士たちも、参加していた。

すでに、女性兵士は、淀が力を入れていることもあって、一万人を超えていた。

その中の五千に近くは、この小石拾いが出来た、入隊したばかりの兵士たちは、重装備に、背嚢を背負って、五人一列で、大阪城の大外の徒歩兵用の意図的に悪路してある、演習用の道を、並み足、速歩、迅速、最迅速で行進の訓練に励んでいた。

徳川譜代の将兵たちは、黒い小石も、拾えなかった。

行軍で、途中で限界になって、昏倒する者もいた。

 すると、教官が飛んできて、六尺棒で、胸を突き刺した。

六尺棒には、先端に、朱墨が付いていて、印が付いた。

「お前は一度死んだぞ。戦場で倒れるということことは、死ぬことになるんだぞ! 五人で、一班の他の四人に迷惑を掛けるんだぞ。班に戻れ!」

 と鬼のような顔で、怒鳴りつけられた。

 演習中は、位階も、何もなく全員、平等であった。

しかし、位階の上のものは、どんな過酷な訓練でも楽々とクリアーしていった。

 大外の外側では、五騎一列の騎馬隊が、並足、速歩、迅速、最迅速で走っていた。

列の前後、左右を乱してはいけない。

 横に走らせたり、斜行で走ったりもした。

 これらは、すべて基礎訓練であった。

演習場の端の方に、高さ十一間、長さ五十五間の模擬の城壁が、二つ造られてあった。

 そこに、口径の太い銃で上に向かって、撃つと、錨の小型のような鉤が発射されて、城壁の最上部に掛かった。

 錨のような鉤には、ロープが付いていた。

 ロープはフィリピンのマニラから輸入していたが、幸村が、研究所に、

「これと同じものを造れ」

 と苦心して造りあげたものであった。

 ロープの鉤が掛かると、鉤が確実に掛かったのを、何度も、素早く引いて、そのロープ一本で、垂直な城壁を、重装備に背嚢を背負ったまま、猿(ましら)のように、よじ登っていった。

 二十人近くが同時に開始する。

 そこに、下や、上から、模擬弾の鉄砲が撃たれるのである。

 それを、背嚢の上から、鉄の盾を背中にロープで、襷にして、背面全体を多くようにして背負い、登っていくのである。

 頭は、特殊な鉄甲を被っていた。

 模擬弾が盾と鉄甲以外の所に当たると、朱墨の印がついた。

 登ったら、同じ兵装で、降りなければならなかった。

 降りるときには、臍の位置に鉤(フック)付いている。

そこにロープをかけて、壁に二、三度脚を付くだけで、降りてしまうのであった。

 徳川から、移っていた者たちは、三万に程いた

が、その演習の激烈なことに、驚愕して立ちすくんだ。

「強いはずだ。大砲があるから、勝ってきたのではない。この演習に耐えて、最強の将兵が、出来上がるのだ。勝てる訳がない」

 他藩から志願してきたのは、徳川だけではない。

全国、六十余州からきていた。

 関門は、この演習や、特訓に、耐えて終了し、合格点が貰えるかどうかであった。

 落第した、不満分子が、徳川高康のところに、八万人、烏合の衆として、集まっただけだったのである。

 ここを卒業しても、基礎課程でしかなかった。

 基礎課程には、十段階あった。

 当然のことであるが、課程が上にいくにしたがって、難易度はあがっていった。

 全員に、実務操典と、兵士心得、が渡された。

 製紙工場で製紙し、印刷工場で印刷し、製本工場で、製本されたものであった。

 表紙には『大日本国豊臣政府発行』とあった。

 一ページ目には、十六弁の菊花の紋章と、今上天皇の御真影が載っているのであった。

 二ページ目には、『朕は、君が、大日本国豊臣政府軍の兵士に成長してくれることを希望する。後水尾天皇 御名御璽』

 とあった。

 三ページ目には、『十六弁菊花ノ錦旗』が、堂々と載っていた。

 四ページ目には、『豊臣滋野真田源幸村関白太政大臣』と顔写真が載っていた。

 五ページ目には、『豊臣滋野真田源雪妃御正室竹林宮』『豊臣滋野真田藤原淀妃御統室前太閤佐』と二人の顔写真があった。

 六ページ目には、『豊臣滋野真田羽柴藤原秀頼摂政内大臣』と顔写真。並んで『豊臣滋野真田羽柴藤原香音妃』があった。

 七ページ目には、『豊臣滋野真田大助源秀幸総都督』『豊臣滋野真田大助源鞠妃』と並んで顔写真があった。

 八ページ目には、『豊臣滋野真田鈴木孫一平君成征夷大将軍』『豊臣滋野真田宮本竹蔵源武蔵征狄大将軍』とあって、顔写真が並んでいた。

 九ページ目には、『五七ノ桐ニ六文銭、是ハ之、桐六文ノ紋章ニテ、関白太政大臣ガ紋章也ト証ム。後水尾天皇 御名御璽』とあって、桐六文が金箔押しで、浮き上がっていた。

 十ページ目には、『太閤殿下御使用ノ兜ニテ、唐冠馬藺後立ノ兜也』とあって、金箔押しで浮き上がっていた。

 十一ページ目には、『五七ノ桐、六文銭ノ紋章ハ脇紋也』と両方の紋章が、並んで載っていた。

 そして、一二ページ目には、駄目押しのようにして、

『我ガ大日本国には、豊臣政府軍ノミガ皇軍トシテ唯一、陸、海、海兵軍トシテ存立スル。他ハ賊軍、私兵ニシテ有害也。国民ノ支持スル所ニハ非ズ。以テ皇軍豊臣政府軍ニ尽クスベク奮励努力ヲ希望スル。関白太政大臣幸村』

 という前文が十二ページに亘って掲載されていたのである。

 日本人としては、これに逆らえるものはいない。

このようにして、日本唯一の皇軍豊臣政府軍となったのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る