第一章 7

   七


「そういうことか・・・確かに、驚くわ。豊臣に対する不満分子を集めてくれたとは、ありがたい話だ。取りあえず。七、八万を粉砕すれば、刀狩りの手間が省けるわ」

 孫一は、そういって笑った。

「その高康も、不幸だな・・・」

 幸村が、顔を曇らせた。

「しかし、これは確かに、太閤の正室と、側室の戦いよな。今までは」

 孫一が、頷いた。それを、武蔵が、

「けれども・・・」

 と、言葉を切ってから、

「過去の話だ。過去に拘泥するのは、愚かなことことでござる」

 と斬って捨てるようにいった。

 幸村が、淡々といった。

これ以上、現実的な言葉はないだろう。

「太閤の側室であった淀は、今は、儂の女だ。戦国の女は、男の間を流浪する。すでに、淀のからだの、どこにも、過去の男の残滓はない。真田幸村の女になりきっている。身に着けたこともない、鎧をまとい、新しい考えの男、真田幸村に、必死に、付いて来ようとしている。孫一の言った言葉は、過去としては、正しいだろう。しかし、儂は、即今の淀の行動を信じている。それが、結論だ。ゆえに、高康に、高台院の影は、微塵も感じない。話としては面白い。ただそれだけだ。家康の傀儡でしかないだろう。一武将としてしか捉えない。家康の狡知な策に掛かるなよ」

 と言い切った。

「今は、新しい日本の形と、古い日本の形の対決だけでござる」

 武蔵がいった。確かにそうであった。

幸村の考えていることに、付いてこられない、武士の層がいる。

それは、仕方のないことであった。

全ての者に判らせようと言うこと自体が、不可能なことであった。

 しかも、そうした態勢を造ろうと、努力をしている最中であった。

そして、完成の形などというものがないのが、国の形なのかも知れなかった。

 幸村が、さらに言った。

「儂には、許せぬことがある! 家康は、なぜ、この戦に、異国の、女真族を誘い込んのだ? この神聖な日本の地に、蛮族の足跡を付けさせたことは、万死に価する行為である。それが判らぬほど、家康は耄碌(もうろく)したのか。だとした、老残をさらしているだけではないか。老いを、そこまで醜いものにするのも罪である。それを、諫言出来ない家臣は、愚魯だ。孫一は、征夷大将軍である。武蔵は征狄大将軍である。まさに夷狄蕃族を征伐せよ。生きて帰すな。皆殺しにせよ。これが、御上から、授かった我らの使命である。儂は、すべてが終ったら、必ず、女真族に報復することを誓う! そのときにこそ浪人をしている武士が必要なのに」

 幸村のいう言葉は力強かった。

 艦隊は遠州灘の、御前崎を過ぎ掛かっていた。

艦隊は吉原と、蒲原の間を目指していた。

富士川である。

 幸村は、水量が豊富であること願っていた。

巨大な海兵隊の主力艦が、入れる可能性があった。

(ギリギリ遡って、駄目となったら、そこで、停泊すれば、砦の代わりになる)

 と思って、強引に、川に突っ込んでいこうとしたときであった。

 背後から、法螺貝が鳴らされ、陣太鼓が打たれ、銅鑼が鳴らされた。

「なに?・・・」

 背後を振り向いた幸村の視界に、二個艦隊の海兵隊の船影があった。

「誰だ?・・・」

 乗船している者たちを確認するまで待った。

 船首に乗っている三人の姿を確認した。

 淀と、秀頼と、大助であった。

 海兵隊は、清水将監と、梶原忠勝が率いていた。

三人と、女隊三百を、乗り移させると、必要な荷駄も移した。

その上で、

「予定通り、相模に向かい、一個艦隊は相模川から、小仏に向かい、八王子を確保せよ。もう一個艦隊は、多摩川を遡って敵の背後を衝け、敵を発見しだい発砲しつつ、揚陸せよ。多摩川には、梶原隊が向かえ!」

 命令を出したのは、淀であった。

的確な指示であった。さらに、

「香苗隊、銃剣に、付け剣! 左右の舷側、船首、船尾の銃眼に張りつけ!」

 と淀が命じて、幸村の方を見て、微笑すると、

「お邪魔かしら?」

 といった。

幸村は、黙って、首を振った。

孫一と武蔵も、幸村の真似をした。

「富士川、相模川、多摩川とも、この数日来の降雨量で水量が増水しています。各河川とも、水深は最上流で、三間あります。殿下のご希望の場所までいけます」

 淀が言った後、秀頼が、

「秀頼隊。からだに左右の肩から、股間に廻した、帯と鉤(フック)の確認をしろ」

 と命じた、帯は、真田紐を倍の太さにした特製であった。

鉤は、帯のⅩ状の中央の臍の位置に付いていた。

現代のラベリングで使うものに酷似していたと言った方が理解が早いだろう。

「大助隊も、同じ確認をしろ。終えたら左右の舷側の内側の、鉤を確認してまわれ」

 大助が命じた。

「秀頼隊五百、大助隊五百、只今着任!」

 秀頼が、幸村に報告した。続いて、

「香苗隊三百。只今着任!」

 と香苗が報告した。

香苗隊の訓練は、佐助が、かなりハードに特訓をしたもので、格闘だけでも、並みの男性兵士など、簡単に投げ飛ばされてしまう。

三百人は、佐助の、謂わば愛弟子たちであった。

秀頼隊五百、大助隊五百は、いわば近衛隊の中の近衛隊で、特殊部隊(アサルト)の技術(スキル)を身につけていた。

教師は、剣は、宮本武蔵。

一般行動は、霧隠才蔵。

格闘技は、三好兄弟であった。

槍は筧十蔵、

弓は、根津甚八であった。

鉄砲、ガトリング銃、ガトリング砲、迫撃砲、火薬矢は、鈴木孫一であった。

計数は、経理の達人の菅沼氏興、医学は、竹内監三に習っていた。

千三百人は全員、淀の子飼いであった。

淀は、

(子飼いが、全員、東軍に廻った、高台院のような、愚魯な育て方はしない)

 と心をこめて、立ち居振る舞いから、礼法、茶道、華道、香道までを教え、武経七書から、墨子までを武蔵に習い。絵画も武蔵に習った。

武蔵の絵画の腕は、宮本二天になってから存分に発揮されたが、若いときから、木彫などを好んで創作していたのである。

全員(香苗隊もだが)、少年と成人の間の年齢であった。

あらゆる分野の成長が、極めて早かった。

素質的にも、十分に吟味していた。

こうした子飼いは、男女で、一万人以上いた。

七対三で男が多かった。

その中からさらに選び抜かれた千三百人であった。

半端な動きではなかった。

全員、無言に近い。

互いの意思は、ちょっとした手や指の動きで伝達した。

軍装は驚く程軽装であった。

ズボンと言った方がよいものの上からブーツを履き、膝と、肘にパットをつけでいた。

鎧は、剣道の胴のようなもので、重要なところには鉄板が入っていた。

顔は眼、鼻、口は伸縮性のある生地で、頭からスッポリと被っていた。

アメリカン・フットボールようなヘルメットを被っていた。

顔の部分に鉄の棒が二本ついていた。

両肩には、パットが入っていた。

その上から、ポシェットやポケットが沢山付いた、ベストをつけた、下に着ている、ズボンや服は、迷彩色であった。

右側の腿のところには、ホルスターに入った、拳銃を下げていた。

その下のブーツの外側には、鎧通しがケースに入って付いていた。

左腕の脇のところには、これもケースに入って、ななめに大型のナイフが入っていた。

刃の反対の峰の部分が荒い刃の鋸状になっていた。

これで刺されたら、致命傷になるであろう。

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