第一章 6
六
三河に、大樹寺と言う、徳川家の菩提寺がある。
大樹とは、将軍の唐名である。浄土宗であるが、将軍寺と言うのは、日本でもあまりなかろう。
その別区画に、城か? と思う壮麗な建物があった。
高康の居城で、常に身辺を、それとなく、侍者が、警固をしていた。
その警固の者の中に、隻眼の侍がいて多くの者を指図していた。
革の陣羽織を着ていた。
紋が二枚笠であった。柳生の紋である。
柳生十兵衛であった。
城の門には両側に、門番用の華麗の小屋があった。
小屋の一ヶ所に書類を出す小窓があった。
書類を審査している間に、御簾越しに人物を、観察するようになっていた。
審査が終わると、
「通れ」
という声が掛かった。
城の通用門が開いて、城内に入れたが、城内には、再び城壁があって、その中には入れなかった。
応募した者は、侍溜まりの部屋に案内された。侍たちは、一様に浪人であった。
「豊臣のやり方が気に入らない」
という、反豊臣の浪人たちであった。
「豊臣は、大名を次々に潰して、すべてを豊臣の思う通りに、国営方式にするといっている。このままでは、武士は食えなくなる」
「刀狩りをやるという噂もあるぞ」
「武士の数が多過ぎるといっているそうだ。武士はどんどん、帰農させられている」
「武士を何だと思っているのだ」
「こうなったら、再度、一戦するまでだ」
という、不満分子の溜まり場になっていた。
一定以上の人数になると、城から出されて、山奥に、連れていかれた。
そこには砦があって、軍事教練が行われていた。
「鎧を持っている者は、持ってくるように」
といわれた。
もっていないものは、お貸し具足があてがわれた。
お貸し具足であるから、高級なものではなかった。足軽並みのものであった。
「文句があるなら。武士なら鎧一領、槍一筋ぐらい持って来い!」
と頭から言われた。教練を重ねていくうちに、次第に、元の戦闘員の武士らしくなっていった。
砦は、一番砦から、五十番砦まであった。
一つの砦で千五百人ほどいた。大きな砦は二千人以上はいた。
やがて、自分指物を渡されて、三葉葵で、
「徳川だったのか」
と判った。
やがて騎馬武者が、現れて、砦単位で、隊伍を組む訓練が行われた。
得意な得物を訊かれて、槍隊、弓隊、鉄砲隊に分かれていった。
糒の兵粮が、渡された。
隊伍を組むと、軍勢らしくなっていった。
砦を出てから、敵は豊臣であると知らされた。
美濃路に出ると、続々と軍勢が、増えていった。
騎馬隊や、鉄砲隊、長柄の槍隊、弓隊も増えていった。
隊長とおぼしき、騎馬の鎧武者が、
「御大将は、徳川高康様である。手柄を立て、高名を上げよ。活躍目覚ましき者は、直臣に取り立てるぞ! 飯田から伊那路を行き、岡谷で、異国の軍勢と合流して、甲州路を、甲府に向かう。すでに、相模、甲斐では、家康様の軍勢が、合戦をしている。急げ!」
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