第六章 6

   六


 大書院に移った。幹部たちが、集合した。東北と、中国の山陰、山陽、四国、九州に出陣している者たちもいたので、多くはなかった。

「間一髪のところであったな。南洋は、これの始末の後だ」

 幸村が言った。

「殿下には守り神が付いている」

 珍しく、宮本武蔵が、神ががったことをいった。

武蔵は晩年だが、臨済宗に帰依して、宮本二天となるのは、知られているが、飽く迄も晩年のことである。まだ若い。

「む。自分でもそう思うときがある。幸隆・昌幸と、何と言っても、太閤様だな・・・感謝している。落ち着いたらと豊国(とよくに)神社をきちんと祀りたい。京都東山区の〈ほうこくさん〉、阿弥陀ヶ峰山麓にある。名古屋の中村、北滋賀の長浜。大阪と豊国四社を復活させ、大阪城にも造る。それとな、この大阪城内にある寺域に、幸隆・昌幸を祀る寺を造りたい。〈豊武山・六文寺〉をだ。幸隆は、太閤様といつも碁を打っていた。昌幸と儂は、関ヶ原のときに、秀忠を上田城で、中山道を上る秀忠を釘づけにいて、関ヶ原に到着したのは、戦いの後四日目だった。怒った家康が、儂とオヤジの昌幸を打ち首にするといったのを、徳川の陣営にいた、兄の信幸が、自分の手柄をふいして、儂と父昌幸の助命を嘆願して、減一等で、九度山に蟄居となった。あの土地は、高野山法華定院の土地だったのを、行信殿が、気持ちよく自由に使わせてくれた。それで、今日の儂がいる。兄貴は、信幸だったのを、家康に遠慮をして、信之と字を変えた・・・兄貴に借りがある。いつか返したい。間違っても兄とは闘わない。儂が逃げる・・・この話知っていたか?」

「いえ・・・」

 と淀が、頬笑んで、首を振った。

「幸隆が信奉していたのは二人の武将だ。軍神・武田信玄と太閤様だ。信玄公の二十四騎の一人だった。甲信の山国にいて、何時も海と船を欲しがっていた。世界を観たかったのだ。その話を幸隆が太閤様にして、太閤様はいたく感激をされて、後年、朝鮮を攻めると言って本当に出兵をされた。それをいつも邪魔をしたのが、家康だ。あの男は不思議な男で、駿遠三に居ながら、とうとう水軍と言うものを持たなかった。ケチなんだろな。戦になると、九鬼嘉隆、阿波水軍を借りていた。だから、世界を知らない。信玄公と、太閤様と淀の伯父の信長公の三人だけだ。太閤様は間違っていない。どこかに移民をしなかったら、日本は食えないのだ。政治の形も変える。懸命に勉強して最高の日本を造るよ・・・多分、この十家の手紙も、感謝とお詫びと、身分の保証だと思うぞ・・・これは、今ヨーロッパの制度を研究させている。ヨーロッパの各国の者たちにだ。もうじきその結果が報告されるが、考えは儂と同じだと思う」

「そういうものでござるか?」

 武蔵が訊いた。

「簡単だ。今の形だよ。農地は大規模農業化で、国有化だ。農家は給料で働く。現にいまよろこんでいる。生活も楽になったし、飢饉に怯えることもない。軍備は、豊臣以外では不要だ。地方に軍隊があるから戦になる。今の軍隊で、外国からの侵略を防げる。豊臣の水軍に勝つためには、とんでもない数の艦船を派遣しなければならない。清水将監、愛洲彦九郎、南条氏康ら五人に語学をまなばせて、イギリスや、その他のヨーロッパに留学させて、現在の各国の軍事力探査をさせた。一緒に真田忍軍と、雑賀党を行かせた。艦船の注文のためだ。そのおかげで、イギリスとは友好国になったが、そのイギリスにも、これだけにの数の艦船で、大砲、迫撃砲、ガトリング砲、ガトリング銃、鉄砲隊を積んだ船はないし、数も圧倒的に少ない。艦隊に戦車、戦闘装甲車、装甲車を積んで、いきなり敵地上陸する水陸隊と言うのはないらしい。船の前と後ろが開き、横の出入り口、これをランプというそうだが。これは、世界では、輸送船とはいわないそうだ」

「何というのですか?」

「強襲揚陸艦という・・・これの新型を造らせている。艦船自体、戦艦なのだが甲板を真っ平らにする。全通甲板と言うそうだが、甲板が平らになり、地上に折り畳み式の橋が架かる。そこを平らな甲板に積んであった戦車、戦闘装甲車、装甲車、騎兵隊が、そのまま降りて行く。上の甲板が全部降りたら、下の階の甲板に甲板が下がって坂になり、上階の甲板に出て、甲板を降りて行く。犬隊、牛隊、虎隊と象隊も降りられる用に造った。シャムでは、象隊も、虎隊も、当たり前だ、船尾も開いて、上陸艇は、車の付いた坂で、徒歩兵を乗せたまま、シュートというそうだが、海にドンドン入って行く。模型を持ってきなさい」

 小姓四人が、模型を持ってきた。

「全長二七七間(四百九十八・六メートル)だ。帆ばしらが、八本立つ・・・駿河湾内の内浦湾で造っている」

 それは、発想自体は、現代のロシアが極東に配備するいう、ミストラルと、自衛隊のひゅうが、おおすみをミックスして、帆柱を立てたような艦船であった。

「荷物は、桟橋か揚陸艇で、滑り台で下ろしていく。最後に、艦船の両側から半潜水艇が、四隻離れていく。言っておくが、この間にも、艦艇は、大砲、迫撃砲、ガトリング砲、銃、鉄砲、大弩、火薬矢、投石機で攻撃をしている。半潜水艦は、川を遡って、大砲、迫撃砲、ガトリン砲・銃を搭載している。これは水軍ではない。水陸隊の主力艦で旗艦である。これ一隻で、戦車、戦闘装甲車、装甲車、が三十ずつ。動物隊、盾をもった銃剣隊が千人乗れるこれが三ヶ隻で一個師団になる。三千人の銃剣隊だぞ。河東富士下の興国寺城が水陸隊の本部になって。揚陸作戦、富士下の広大の敷地で、実弾演習を行う。陸軍、水軍、水陸軍の演習は見ものだな。もう十隻出来た。阿波で、十隻。伊勢湾の久居で十隻完成した。十個艦隊である。これに従来の輸送船艦隊がくわわる。これが、水陸艦隊である。従来の艦隊に乗っている。陸上将兵は、水軍内陸軍と呼ぶ。それから、水軍と言う呼び方は、どこの国もしていない。陸軍・海軍・海兵隊・工兵隊の四軍制をとる。海兵隊の本部は、富士下。海軍も本部は。安芸城・呉に・名古屋清洲城。工兵隊の本部は、小田原城に置く。ただし。大阪城も近衛師団を陸軍。海軍。海兵隊。工兵隊、各一個師団以上をおく。大阪城に参謀本部をおき、二大将軍は、ここに常駐するものとする。骨子はこんなものかな。そうだ海軍内陸軍があるように、伊勢湾に、陸軍内海軍を置く。これから。管区も決めるし、師団長をきめる。陸軍は、二十万人だ。もう少し時間をくれ。それとな、このことが一番大事だ。豊臣政府では、一切、大名も、小名も置かない。おく必要がないのだ。農地は国有化、軍隊は、豊臣軍以外は置かない。これで、大名を置く必要があるかね?」

「ない」

 全員が答えた。

「すると今までの大名が、身分を保証してくれと言ってくるだろう」

「それを、どうする?」

 孫一が訊いた。

「貴族と言う制度を造る。五段階に分ける。公侯伯子男だ。公爵、候爵、伯爵、子爵、男爵で、これには年金が付く。金額は決めていないが、家臣を養う必要がない。精々使用人を置くぐらいだ」

「だったら、そんなに要らない」

 と薄田隼人がいった。

「次に、これが大変なのだが。武士から刀狩りを行う」

「自主返納制をまず執って。次に、警邏隊をつくって。押収していくということかな」

 薄田が提案したが、

「残念だが、これを話あっている時間は、今はない。もう難民船は、そこまできているのだ。まず、衛生的見地から。城内には入れられない。先ず木津川の海軍本部前に巨大な仮設小屋を造ってくれ。そこで、男女を分けて・・・」

 幸村が、冷静に言ったが、

(一発間違えると、大変なことになるのぞ)

 と真剣な眼差しになっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る