第五章 9

   九


 すべての挙行すべき儀式を終えてから、幸村と淀、秀頼とかね、大助と鞠姫の三組の結婚と、朝廷からの、位階の下賜に関する報告会が大幹部、幹部、中幹部までを集めて開催された。

場所は、本丸の大広間である。

 上段の間に、三組、七人が並んだ。

幸村の左側に正室の竹林宮の雪、右側に統室淀の三人が、中央に座った。

この席順は淀が希望したものであった。

さらに、左側に秀頼と正室、幸村の七女の、かねが座った。

右側には、大助と淀の姪、鞠姫が座った。

 中段には、左側に、孫一と、武蔵が位置を占めた。

右側には、京極高次と、淀の直ぐ下の妹のおはつが座った。

徳川秀忠の娘で淀の二番目の妹の小督の娘、千姫は秀頼の意思で、離婚されたのであった。従って出席はしていなかった。

 京極家は、結婚を機に丹後宮津城(城主・高知十二万三千石)若狭小浜城(城主・忠高、九万二千石)を、豊臣家に返納していた。

高次は、先の大阪城攻めには、参戦していなかった。

 平の間の左側に、一段高く席が造られて、曲ろくが据えられて、霊光大僧正が腰を下ろし、行信権大僧正が侍史として控えていた。

「こたび、御上よりの勅命によって、三組の縁組と、一家の宮家が興ったことを、御上の勅使として、みなの者に伝え、詔によって大切な官位が、下賜されたことをご報告いたす」

 霊光が、厳かにいった。

家臣一同が、平伏した。

咳(しわぶき)一つない静寂が保たれた。

「はじめに、徳川の征夷大将軍は、このように、廃された」

 と後水尾天皇の、御名御璽が、家臣らに示された。

「おお!・・・」

 と言う驚きの声が一斉に上がった。

「次に、『豊臣滋野真田源幸村』真田の祖、滋野氏は名門であると御上の覚えも目出度く、これを『関白太政大臣職ニ補ス』と仰せあった」

 広間に驚愕の声が上がった。

それを、霊光が制して、

「ただし、御上は、豊臣淀の願いを入れて豊臣と滋野真田の合体を希望されて『豊臣滋野真田源幸村統室淀』との御指名がなされて、朝廷神殿で、統室輿入れの儀式が挙行された。統室淀は『前(さきの)太閤(の)佐(すけ)職ニ補ス』のご沙汰があられた。実に正直な位階である。次に、『豊臣滋野真田源幸村正室雪』に『竹林(の)宮家(を)詔(みことのり)ニヨッテ興セ』とあいなった。公平な詔勅である。御上も苦悩されてのご配慮である。宮家はすでに九度山に宮家の城をお造りになっておられる竹林宮家の紋章は六文銭である。統室淀の紋章は、五七の桐で、これを淀殿意匠により桐六文の紋章にされた。これを御上は詔で、公式に関白太政大臣の紋章と定められた」

 と家臣らに宣(の)べて、以下、宮本武蔵の、征狄大将軍の分までを、詔勅を開示して、家臣らに見せた。

征夷大将軍に鈴木孫一がなったことを告げると、家臣たちは、再び、どよめきの声を上げた。

秀頼と、大助の結婚で、豊臣滋野真田が、揺るぎない関係になったのを知った。

 霊光がすべてを述べ終えると、きせずして、家臣一同から、

「祝着至極に存じ上げ奉りまする」

 という声が上がって、平伏したのちに、拍手が沸き起こった。

 正統の室同士が、手を取り合って、

「姉妹のようになりましょう」

 と嬉し涙を流した。

「これしか、方法がなかったのです」

 と淀が、雪に詫びるようにいった。

 雪が、大きく頷いた。

「わらわも大谷吉継の娘です。豊臣が栄えることを、何で喜ばすにいられましょうや」

 と泣き笑いを見せたのであった。

 京極高次とはつも、ともに喜んだ。

 しかし、一番喜んだのは、後水尾天皇や公家、高野山、霊光たちであったかもしれないのであった。

朝廷の門を修復し、神殿を新築してくれる者は、他にはいなかったからである。


         *


 それから、十日後に、大阪城から、二十万と言う大軍が、大手門を開いて、出陣したのである。

 金箔を貼った、大本陣車と四台の大本陣車が、出陣した。

二人の大将軍の一廻り小型の本陣車も出陣をした。

 先陣は真田の赤備えの騎馬隊であった。

その直ぐ後ろから、戦車百台、戦闘装甲車百台、装甲車百台が大砲を磨かせて、ガトリング砲、ガトリング銃の威容を見せて続いた。

その車も、旌旗や、長旗を立て、吹き流しを立て、綺麗に飾ってあった。

その後から千頭の犬部隊である。

すべて犬鎧を着て、三本の槍を背負っていた。

その後に百門の大砲、百門のガトリン砲、百門の迫撃砲が続き、ガトリング銃が百挺、鉄砲隊が一万人、火薬矢の弓隊が五千人、徒歩である、長柄の槍隊、投槍隊、盾を手にした手槍隊。

銃剣を手にした騎馬隊が1万騎。その後に、牛鎧を着た猛牛隊が二千頭。

弓隊が一万。

騎馬隊が一万。

その後に、鎖でインド人が、一頭ずつについている虎隊が百頭。

これには沿道で、軍の行進を見ようと集まっていた群衆も思わず身を退いた。

再び戦車が来た。

その後ろに、象隊が百頭。

象の上には、インド人の象使いが乗っていた。

象の籠の中には、ヨーロッパの美女や、小姓が乗っていて、花びらや、銭や、菓子袋、特別に小さく造らせた米俵(一升入り)、餅などを撒いていった。

その後ろから、さまざまな軍旗をはためかせた一団が来た。

五千人である。

そして、巨大な朝鮮製の太鼓が車に乗って二頭立ての馬に曳かれて十台が来た。

巨大な音を轟かせいった。

さらに百人の法螺貝隊が来た。

大きな空中に響かせていた。

銅鑼隊が来た。

そのうしろから、巨大な籠に入った、何十匹もの孔雀が、大きく羽根を拡げていた。

孔雀の後は、ヨーロッパのブラスバンドが、行進曲を演奏しながら進んで来た。

そして、金箔を貼った、三階建ての本陣車の列が来た。

本陣車の一番目立つところに、太閤の唐冠馬藺後立の兜が飾られて、『君臣豊楽国家安康』の大長旗が、四隅にはためき、桐六文の大旌旗と、五七の桐と、六文銭の大旌旗が、翩

翻と翻っていた。

 その本陣車には八人が乗っていた。

幸村、淀、秀頼、大助、孫一、武蔵、かねの方、鞠姫が乗っていたのである。

まるで、三組の新婚旅行のようであった。

しかし、淀も、かねも、鞠姫も、あでやかな、特製の鎧と、額に金の金具の付いた鉢巻をキリリと締めていた。

傍付の女性たちも、みな戦支度をしていた。

 その周囲は真田の十人組が、騎馬で固めていた。

その外側は、真田忍軍、雑賀党、根来党、風魔党、半蔵党が堅めていた。

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