第四章 8

   八   


「で、その帆船が攻撃してきたときのための。五十間置きの城壁の砲台と千曲川の中島と、備前島の東西の出城であると。 それに、千曲川の対岸の、六ヶ所に石垣造りの お台場が二門づつ、南北にむいている。すべての砲台には、瓦の屋根が掛かり、白漆喰の壁で出来ている。実に豪華だ」

 と秀頼が大きく、頷いていった。

「最高の防御は、攻められないことです」

 四方の城壁の武者走りの背後の総矢倉は、外から見ると幅二十間の一階建てに見えたが、内側から見ると五階建であるのが判った。

 城内の民家は、すべて城外に疎開させられた。

 疎開に必要な土地と、疎開費用が、渡されたので不平は出なかった。

 それでなくとも、住民たちは、先の徳川との戦で、いざとなると戦場になることが判ったので、引っ越したくて仕方がなかったのであった。

 渡りに舟の疎開であった。

「この四方の五階建の総矢倉に、どのくらいの将兵が、住めますかな?  二十間四方で仕切りが付いています。 高さが二間ありますから、蚕棚式の寝台が、ゆっくり三段造れます。 二十間四方と言えば相当の空間です。兵士の宿舎以外に、一階は、すべて、馬小屋、牛小屋、犬小屋に使います。武器蔵、弾薬庫、兵器蔵、米蔵、食糧蔵。旗蔵、何にでも使えます。 その分、空き地が出来ます。 西側の、両横堀の北側に、新築した横堀丸の中には、大きな剣道場、畳を敷いた、体道場(柔道と似てことなる)、空手道場、師範は、二十人を、琉球から呼びました。 その他の武道研究所で、空き地は、馬場、教師はモンゴルの乗馬の達人です。その隣は、行進の基礎を学び、大外の総矢倉の下には五間幅の道が、二本造ってあります。 外側は騎馬用、内側は、徒歩用で、鎧兜の装備で行軍の演習が出来ます。豊臣軍独自の教練、演習がたっぷりできます五人一組の、あらゆる闘い方を、徹底的に仕込みます。 弓道場と、射撃訓練場、真田丸の向かいの篠山丸は、作戦本部です。 あらゆる場面の戦略を立てさせます。目下戦闘中の図面と、作戦が一番重要です。 茶臼山丸は、主計本部で、勘定方が入ります。一班から、十班までに分けます。 豊臣軍の経理、豊臣家の経理、歳入班、歳出班、事業班、農業班、商業班、特別会計、家臣、将兵の俸禄班、水軍班、すべて克明に帳簿、受け取りに付け、保存させ、決算をさせていきます。他からの干渉を避ける意味で本丸から一番遠いところに置きました。 岡山には迎賓館をおきます。 本丸と真田丸の間にやっとできましたが、二十七の、配当侍屋敷を、土塀で囲み、門は二ヶ所のみで両方に番所を置きました。座敷牢にいた外様と、豊臣恩顧の大名たちの本人と、正室と子供、側室たちと子供を、人質にとって、生活させるところです。 天満側にも多くの屋敷を、造りました。 ここは、大幹部、中幹部、幹部の屋敷町です。 この本丸城には、お二人と、真田屋敷以外には造りません。 と、以上です。 しかし。水軍が、五艦隊では圧倒的に足りません。 十ヶ所の造船所を、三交代で稼働させていますが、二十艦隊は欲しいです。近く家康の岡崎城を攻めますが、旗艦に乗って沖から、ご覧になるとよろしいかと。きっと考えが変わります」

 といったときに、青柳千弥が帳簿を抱えて天守閣に登ってきた。

 菅沼氏興、蔭山善五郎ら五人の勘定方の幹部もついてきた。

田中長七兵衛もついてきた。

「豊臣家直轄地のお蔵入り米が、確定いたしました。十六ケ国分でございまする。 約五百万石強でございまする。札差の商人には、一石二両以上ということで、札を入れさせまするが、下限でも一千万両ということになります。 勘定方の菅沼、蔭山らが、現地でも厳密に検分いたし、各地の取れ高を算出いたした決算でございまする。各地とも、飢饉といっても良いと思います。 検分役は増員たしませんと、不正が生じます。今年はいろいろな意味で初年度なので、この程度にてご勘弁を願い上げ奉りまする」

 と決算書と、帳簿と、地図を、三宝の上に乗せて差し出した。

「なお、お城での消費米と、兵粮備蓄米は、概算いたしまして、同量の五百万石を、用意いたしました。米蔵は? 今までの蔵では入りきりませんが・・・」

「案ずるな。総矢倉の下に、二十間四方の米蔵を、幾つも用意してある。 なお、札入れの行事は、岡山丸の迎賓館の上に広間を用意してある。 そこで、行なえ」

「はっ・・・少し拝見いたしても・・・」

「淀様。右府様のご検分が終わってからにいたせ!・・・」

「はっ!・・・あまりの見事さについ・・・恐れ入り奉ります」

 と青柳が平伏した。

「これはどういう意味なのえ? 初めて見まする・・・」

 と数々の帳簿や、決算書、地図を見てから、首を傾げた。

「これまであった。直轄領は、家康や、臣下の官僚どもが、横領、食い物にいたしておりました・・・ それらの者たちを、他の役か、無役にいたして、新たに勘定方を青柳以下に命じました。 その結果、このように正確な帳簿、図面で、各村の石高が記入され、ご覧に供しているのでございます。 お城消費分と兵糧備蓄米が五百万石。現金に換える分が、同じく五百万石で、計一千万石と言うことでございまする」

「これまでは、大野のときも含めて、米は買うことはあっても、蔵に入ったり、札差の商人に売るようなことはなかった。これは、今年限りのことかえ?」

「いえ。豊臣直轄地からのお蔵入り米でございまするから、毎年、数量に変動はありましても、入ってまいります。 これで、豊臣の旗本を養って行く訳でござる」

「ああ・・・何と嬉しい・・・収入なのですね」

「はい。戦に勝ち、正しく年貢を取りました結果でござる」

「で、お城の改修費や、水軍の造船費用は?」

「二十七家の大名たちにすべて禄高に応じて、賦課させますので、一切豊臣には負担はかかりませぬ」

「このような。夢のようなことが・・・毎年入るとは・・・」

「こうするのが、家宰の拙者の役目でござる」

「幸村。まことに大義であった」

「では、淀様。右府様。拙者。大助の署名、花押、国印、家印を・・・後ほど・・・いまは口頭で、ご承認を・・・」

「相判った・・・みなの者。大義であった」

「はーっ」

 と全員が、平伏して退った。

一人、青柳が残って、

「拝見いたします・・・」

 と窓からの景色を見て、

「見事ですなあ。おっ!・・・水軍の船が・・・豊臣水軍の旗艦・・・何と大きい・・・これで、攻めたら・・・」

「先ず三河よ。伊勢湾を入って、知多湾から矢作川を遡ったたら岡崎だ。その間に渥美湾、三河湾、遠州灘から、豊川、豊橋、田原、湖西、浜松、浅羽(あさば)、掛川、相良、焼津、藤枝、と各城を抜いていくと、家康は、またしても、慌てて、江戸に逃げるわ」

「なるほど」

「しかし、まだまだ考え、演習していかなくてはならないことが、山ほどある。軍の戦い方も、兵器の改良、新しい兵器も・・・また、国の経営の仕方もな。成したいことは、幾らもあるんだ。体が幾つあっても足りぬわ。少しづつやるしかない」

 と幸村は宙を睨んだ。

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