第四章 3

  三


 家康は、午後になって、再び駿府城の広間に姿を見せた。

秀忠は江戸への帰路を急いでいるはずであった。

広間には、大阪城攻めで、敵の手から巧く逃れて家康とともに駿府城に帰城していた大名や、馬廻りの者たちもいた。

あるいは、留守を守っていたものも控えていた。

本多正純は、正信の息子であったが、父よりも切れるという評判の人物であった。

「顔触が少ないの・・・」

 家康がぶすっといった。

一同が無言で平伏した。

家康が言わんとしていることは、全員が、判っていた。

大阪で大敗を喫して、いまだに捕虜になっている者たちのことをいっているのであった。

「侮れぬな。豊臣恩顧の四文字よ。秀頼の出陣で、あれほど見事に寝返るとは、夢にも思わなんだわ」

 家康が脇息を前に廻して、両手を置くと、手の上に顔を伏せた。

その様子に、家臣の誰もが、

(こたびの大敗が、よほどの、衝撃であったのであろう)

 と溜息の出る思いを味わっていた。

「不戦敗であったわ」

 家康が愚痴った。

家康は、元々、愚痴の多い男であった。

策謀家で、家臣の前では、弱みなど見せない人物といった印象があるが、実態はまったく逆であった。

愚痴を家臣たちに、効果的につかうのであった。

「豊臣右大臣秀頼の出陣とはの。影武者かと思ったぞ。本人であったとは予想外よ。千成瓢箪の大馬印も、秀吉のときと同じであった。遠眼鏡で、確認をしたわ。右翼に片桐旦元、藤堂高虎、他で二万。左翼の加藤明成、福島正勝、他で二万。この四将は、はじめに首を取られて、意図的に下郎の使う竹槍に、首を突き刺されて、謀叛人扱い、こともあろうに、真田の赤備えの騎馬武者が儂の本陣の眼前に突き立ておった。残った四将の家臣たちは、豊臣軍に従う他はなくなった。これの心理的動揺が大きく、他の豊臣恩顧の諸大名も連鎖反応的に、秀頼に平伏して従う原因となった。巧みに複線を敷いておる」

「その前に、濃霧の中で、豊臣恩顧の大名たちに、武将の喉元を見事に貫通させる、赤い矢羽根の矢文。これが一の矢です。二の矢は、徳川軍、何するものぞという、本陣、上様の陣への奇襲。四将の首は三の矢です。大御所様の陣や、上様の陣が奇襲や、夜襲を受けているのに、先の一の矢で金縛りの状態になっていた。ために、誰も援軍を寄越していないのが、何よりもの証拠です。四の矢は、千曲川の中島の十門の、破壊工作です。自爆してしまった。全門がな。これも心理的に響いた。大阪城側は、そこまで手を打っていたかとなってしまいました。そこへ止めの矢が十万の大軍と、太閤の旌旗、唐冠馬藺後立の兜を、輿で高々と掲げて、豊臣恩顧の大名から、秀頼自らの出陣と噂を、忍びにばら撒かせて置いての、位攻めです。単に秀頼が出馬したから勝てたというのではないと思います、戦略として、前哨戦の伏線を、見事に引いて、淀殿、秀頼殿を、完全に安心させた上なかったら、あの母子の秀頼出馬は不可能です。そして、幸村を実質的な総大将にして、執権総都督兼家宰と言う地位に就け、羽柴筑前守幸村と言う太閤の以前の姓まで与え、真田の嫡男、大助には、豊臣中納言大助秀幸を与え、寄せ集めの兵を調練、演習によって一本化してきた。あの徒歩兵たちの歩調の揃い方と、旗の高さに士気を感じたのでしょう。実際に合戦をしても一万、二万の兵では一揉みでしたでしょう。敵の鉄砲の数は、異様に多かった上に、すべて鉄砲の先、弓の先に剣を付けて、銃剣、弓剣にしていた、練習しなかったら、弓の本弭の上に重い剣を付けたのでは、弓がふらつくはずなのに、キチンと矢を射ていました。弓も特製でなかったら、剣は付けられないでしょう。真田は武器ごとかえてきた。弓を射た後は、槍隊になる。無駄がない、銃の先には折り畳みの二脚がついていた。前衛の鉄砲隊は、いきなり匍匐の姿勢になって、狙撃態勢に入ったということ。恐らく無駄弾丸(だま)はないだろう。しかも連発が利く。最新式の銃剣だ。恐ろしい軍勢が出現したわ」

「さすがは正純よ。逃げる準備をしながら、観察していたのか?」

「いえ。準備はしておりません。戦闘する気でした。しかし、戦っていたら負けていたでしょう。大御所のご判断は正しいと思います。敵は、馬二頭に曳かせた、八尺近くの車輪の特製の台に、十門の移動式大砲隊を、左右に五門づつ装備していました。徳川の大砲は移動できません。しかも夜襲で、殆どやられていますし、旧式過ぎます。フランキ(仏郎機=仏狼機)は、南蛮では旧式です。ご相談くださればと、残念に思っております」

「堺の商人、茶屋四郎次郎の紹介の、南蛮船から買ったというのに」

「茶屋四郎次郎の表看板は呉服商の交易商人です。武器は判りません」

「・・・」

 本多正純の言葉に、家康は、むっと黙った。

「大御所様は、とかく譜代を軽く見過ぎる。いざとなったら、頼りは譜代の臣でござる」

 小田原の大久保忠世(四万五千石)が、ズケリといった。

「言うな!」

 家康が不機嫌になったときに、早馬が到着した。

正純が、聞き取りにいった。

戻って来たときに、正純の顔面が、蒼白なっていた。

その場の者は、誰もが心配になっていた。

正純は、席にもどってもしばらく、無言でいた。

「正純。伝えよ」

「はっ。大御所様」

 唾を呑みこんでから、伝えだした。

「岐阜城、大垣城。菩提山城。北近江への入り口、長比(たけくらべ)城と向かいの砦、関城、美濃、両白山地の入口、美並、八幡、白鳥と木曽川沿い、長良川、揖斐川沿いに、敵兵が集結しております。伊勢は津、河芸(かわげ)久居、楠、八風峠を押さえられました。頑固な砦を構築、街道にから濠を掘り、巻き上げが可能橋で関門の扉となっていて、大砲が二門、城壁は高さ十五間三段に銃眼、一番上には武者走り。銃眼、弓狭間があって。山と山の間を隙間なく塞いでおります。長比も同じ手法で道を塞いでおります。さらに、長島城、から、海津、輪之内。安八(あんぱち)、笠松と陥落。南北の線を切ってきました。北陸は、若狭、越前、加賀、能登、越中、飛騨、信濃、甲斐、越後、美濃、尾張は、名古屋城だけ、残してあります」

「東西を切って来たか」

 家康は、愚痴の顔から、闘争の顔に豹変させていった。

「それらの場所を押さえたとなると、半端な兵力ではないな。岐阜城をどうやって奪ったのだ。あそこは難攻不落ぞ」

 その間にも、早馬が次々と到着した。


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