第四章 2

   二


「大阪周辺、摂津、山城、丹波、丹後、播磨、但馬、若狭、北近江、南近江、京、長岡、越前、加賀、能登、美濃、和泉の十六国は豊臣家に返納させる」

「一気に豊臣の直轄領が増えた。人はどうする」

「いくらでもいる。後藤、塙、仙石、明石、木村、渡辺、薄田、宮本、青柳、伊木、若原、蓮華定院、高梨、速水、青木、真野、伊東、堀田。中島、野々村、そして鈴木孫一・・・」


         *


 家康の不機嫌は、駿府に、やっとの思いで辿り着いて以来、三月になるのだが、本多正信、天海らのお気に入りの側近とも、口を利かないままであった。

広間に来ても、四半刻(三十分)もすると、自分の部屋に籠ったままで、何をしているのかさえも不明であった。

ただ、ゴリゴリと、ものを擦る音だけが聞こえてきた。

家康は、ただ一人で黙々と、薬研で、精が付くと医師や、薬師(くすし)から教わった、薬草や、蝮を乾燥させたものを、粉末にして服用したり、これも薬師に教わった、朝鮮人参や、ダイオーを、火鉢で煎じては、服用していた。

「今は、何よりも、儂の健康が第一じゃ。健康。健康・・・」

 と呟いて、薬研を、動かし続けていた。

その姿は、何かものに、取り憑かれているかのようで、あった。

「徳川は、儂が死んでしまったら、すべて仕舞じゃ。儂の健康に運命が掛かっているのぞ。そのことを、家臣たちは何人知っているのか? 本当に判っている家臣などいるものか。いつ徳川を裏切るか知れたものではないわ。儂はすでに七十三歳(実はもう少し若いのだが、自分で判っていなかった)ぞ。甲信の武田信玄も、中原(ちゅうげん)に野望をいだいて、京への途次、鎌倉街道で倒れて、結局は逝きおった。上杉謙信も落飾した。哀れなのは、織田信長じゃ。部下を牛馬のように、こき使い、病的に苛め抜いた罰で、明智光秀に謀叛されて、本能寺で自害して果てた。征夷大将軍になる寸前にの。秀吉には、残念ながら、子種がない。秀頼など、秀吉の子ではないわ。間違いなく、石田三成と、淀の不義の子よ。ただ、証拠がないだけじゃ。秀吉めに代わって儂が成敗してやったがの。打ち首にしてくれたわ。北条も五代で滅んだ。見よ。初代亡きあとは、みな六代ともたずに滅んでいる。それが、世のならいぞ。信長の残忍な性格のために、嫡男の信康を、自害に追い込んでしまった。罪は母親の築山殿にあったのじゃ。今川に押し付けられて、正室になった。今川をかさに着て、居丈高にすべてを振る舞いおって、武田に内通したのは、あの女、築山じゃ。これも成敗した。信康が生きていたら。秀忠とでは、比較にならぬ。儂もさぞ安心出来たであろうに。秀忠は愚鈍じゃ。将軍の器ではない。早く三代将軍家光に引き継がせねばならぬ。そのためには、大阪じゃ。秀頼には、儂の可愛い孫の千姫を正室にしてやった恩も忘れおって、牙を剥いてきおった。淀のさしがねか? あの売女め。豊臣の権力保持のために、儂に肌も露わに、色仕掛けで迫って、儂とも平然と枕をともにしたことも忘れおったか。豊臣を、秀頼を助けろと、肌を接しながら頼んだことも忘れたのか。逆に、高台院は、豊臣の天下は、秀吉とわらわが創ったもの。滅びるなら、滅びるがいい、と儂の情けを受けながら、腕の中で、喘いで言い放ちおった。高台院の一言で、関ヶ原では、秀吉子飼いの武闘派たちは、文治派の三成に対抗して儂について、そのために勝った。三成は、頭は切れた。しかし、徳がなかった。徳は、仁・義・礼・智・信よりなるもの。智だけが頭抜けると、人を見下して、人から疎まれる。しかし、今の大阪は幸村で保っているのじゃ。その幸村と淀がくっついたらどうなる? 淀は男に飢えておる。大野治長との噂も耳にはいっていたが、治長ごとき人物で満足するような女ではないは、淀はの。淀は、幸村を欲しがって、色仕掛けで幸村を籠絡した。幸村は淀に、秀頼の出馬の要請をしたか? いや、待てよ。その程度のことで、秀頼を危険な戦場に出すはずがない。そこで、何かがあったはずじゃ。その何かが判らぬ。その何かが判明すれば、打つ手も出てこようものを。ええい。儂としたことが、こんな、大切なことが判らぬとは、情けなや。情報じゃ。忍びの服部半蔵は、儂と同い年じゃ。最早、使い者にはならぬ。後釜が必要ぞ。柳生但馬守か。奴の新陰流は、父の柳生石舟斎宗厳が、上泉伊勢守を流祖として、それに、陰をつけたものとしているが、陰とは裏、すなわち忍びよな。使ってみるか? 服部党と柳生忍軍の併用しかあるまい。本多正信や、天海には、秘密で良かろう。ま、急ぐことはあるまいて・・・」

 勢力剤を造りながら、長く、ながく、呪文のように、口のなかで、呟きつづけた。薬を天秤で測っては、赤い薬包紙に包んでいった。

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