第二章 8

   八


 そこに、床几が二脚、運ばれて並べられた。

 やがて、二人の、まったく同じ、いでたちをした、鎧兜に、金色の采配を手にした、若武者が現れて、同じように泰然自若とし、床几に腰を下ろした。面頬をつけている。

どちらが、秀頼なのか、判らずに、家臣たちは面食らった。

しばらく銅像のように不動の姿勢をとっていたが、小姓に合図をした。

小姓二人が、面頬を外し、兜を外した。

 秀頼と、大助の顔があらわれた。

「かつて、真田大助と号したが、縁(えにし)あって、余の弟となった。すなわち、母上、豊臣淀の養子となった。ただいまより、豊臣中納言大助秀幸と号することと相成った。さらに、秀幸の実父、真田幸村には、かつての父の姓、羽柴筑前守の号を授ける。さらに、豊臣執権総都督兼家宰職に補す。豊臣軍全軍は幸村の指先一つで、動けるように演習につぐ、演習を重ねよ。異論を差し挟むことは、一切許さない。余の命である。こたびの戦には、このように兄弟相揃って、父太閤の旌旗、大馬印、唐冠馬藺後立の兜も押し立てて、余自身が、徳川家康の非道を糺す。『君臣豊楽 国家安康』の長旗を押し立てるべしと唱えたのは、弟、秀幸である。兄弟揃って、本隊十万! 先陣は、真田軍の赤備えである。この隊には、雑賀の鈴木孫一殿が、鉄砲の名手五百人を率いて参加する。なお豊臣恩顧の諸大名、外様の軍を外せば、家康の親藩、譜代は、正味、七万八千二百しかいない。これは総都督から教わった。みな知っておったか?」

「・・・」

 答えられる者はいなかった。

これまでの豊臣軍は、烏合の衆同然だったのである。

秀頼は、それを、孤独に、深く憂慮していたのであった。

(これでは、敗北しかない。しかし、余には、軍略もなければ、全軍を指揮する能力も備わっていない。教えてくれるものもいなかった)

 しかし、真田幸村の出現が、秀頼を大きく変えたのであった。

天賦の才能というのは、あるとき、ある人物、ある環境によって、劇的に変化を遂げるものであった。

それが、大阪城を取り囲む、雲霞のような、徳川家康軍の襲来であった。

秀頼は、敵軍の正確な数はおろか、自軍の数さえしらなかった。

秀頼を、常に取り囲んいるのは、母、淀と、奥の女房で、女たちばかりであった。

そこに、忽然と、救世主とも呼べる、軍神のような幸村が、天から舞い降りるように出現して、悪しき腫瘍の瘡蓋を、一枚々々剥いでいくように、現況を、説得力をもって、分析、対応の方法を、初めての手習いをするように、紐解いてくれたのであった。

秀頼は、自分のなすべきを了解(りょうげ)して、決然と目覚めた。植物の実生が、その一粒の中の秘めた力を、発芽するように、土を割って、顔を出したのであった。

「このままでは、豊臣は滅びる」

 から、『滅亡は、させぬ』に、魂を、天の啓示を受けたように変換させたのであった。

幸村が、奥の部屋に来てから、数日を過ごした。

(父とは、こういうものか)

 と思い、大助や、佐助から、武芸の手解きをうけ、将の心構えを教わった。

これまで、知らなかっただけのことで、天賦の才が開花した。

「将は、気骨と決断で、一軍を率いるものです。部下は、その将の背中を見て、揺るがぬものと信じて、手足の如くに動くのです」

 と大助に教わり、佐助に具体的に、鎧兜を身に着けての、足の運びから、動作まで手を取って教えて貰い、腹の底から出す大声の方法をならった。

「自信を持った、声の大きさで、部下は、将を信じるのです」

秀頼の瘡蓋は、一枚々々ではなく、大助と佐助によって、一気に引き剥されて、秀頼の将としての、天賦の才を開花させた。

その秀頼の変貌に、淀は、驚愕した。

淀からの自立も同時に、進行していたのであった。

 秀頼は、凛として、床几から立つと、

「余の覚悟を示す。家康の孫娘、秀忠の娘は、余の正室であるが、どこの天地に、我が娘、我が孫の婚家を、かような大軍をもって襲撃せんとする者があろうや? 千姫を離縁する! 単なる人質として大阪城に留め置く!」

 この言は大音声で、斬って捨てるがごとくに発された。

これには、家臣らは大いにどよめいて、その後、全員が、身を固くして、平伏した。

「幸村。軍律を厳しくいたせ。軍律を乱す者があらば斬って捨てよ!」

「はっ!」

「いたずらに評定を重ねるな。各隊、実戦さながらの演習こそが大切である。ただ飯を食らうなかれ! 余に、鉄砲の筒先を向けられる、豊臣恩顧の大名がいたら、人間の屑である。構わず、皆殺しの勢いで、踏み潰せ。我らには軍神、羽柴筑前守幸村が付いている。豊臣軍は・・・かならず勝つ!」

 秀頼の檄は、激烈であった。家臣一同は、興奮して、声を揃えて、

「えい、えい、おうーっ!」

 と気勢を上げた。

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