第二章 9

    九


 家康は、悪夢で魘されて、布団を蹴って、飛び起きた。

寝汗をかいていた。驚いた宿直(とのい)の井伊直孝の三男、直正が、

「お水を、お持ちいたしますか?」

 と訊くのに、家康が、

「湯ざましをもて」

 と命じた。

家康は決して生水を飲まなかった。

 湯ざましを持ってきた直正に、

「譜代、外様を入れて二十万。そろそろ陣替えをいたすかの。大砲十門は届いたか?」

「九鬼守隆様の水軍が、千曲川の中島に運んで、据え付ける手筈となっておると、伺っておりまするが」

「秀忠は?」

「上様は、舎利村の岡山に着陣いたしておられます」

「真田丸の様子は?」

「夜討の様子はございません」

「こたびの戦で、大阪城との腐れ縁も決着がつこうぞ。この歳になると、枕が変わるとよく眠れぬ。秀忠にも嫡男が生まれておる。第三代将軍ぞ」

「はっ!・・・」

「よくぞここまで来たものよ。秀吉に天下を獲られたときには、これまでかと思うたがの。長生きはしてみるものよ」

「はっ」

 直正には、答えようがない。

「真田幸村の首が刎ねられての。その首が、儂の喉元目がけて飛んできて・・・眼が覚めた・・・女子(おなご)を呼べ」

 近隣の村から、器量の良い、若い後家を出仕させていたのである。


         *


 家康軍の陣営が、せわしなく動きはじめた。

「陣替えを始めたようでございます」

 幸村のもとに報告があった。

「茶臼山の家康に、真田丸から、大砲を五発見舞ってやれ。夜陰に紛れての陣替えなど、こうるさいわ」

 幸村の命令で、五発の大砲が、家康の本陣に着弾した。人馬や、武具などが土煙とともに四散した。

息が苦しく、眼が開けていられなかった。

火薬に刺激物が混入してあったのである。

「夜襲だ!」

 という声があがった。

 各段の隊長が緊張して、

「各員整列。長柄の槍隊中央へ。弓隊、左翼。鉄砲隊右翼に廻れ。各員軍装を整えよ」

 怒声を発した。

夜中の攻撃である。迎撃態勢を執るのが精いっぱいであった。

しかし、何刻待っても、どこからも、夜討はなかった。

幸村は、

「弾薬が勿体ない。あと二発だけ撃ってやれ」

 と命じた。

一種の神経戦であった。

二発は、整列している中央に落下して炸裂した。

夜目にも鮮烈に火柱が上がった。

「攻めて来るぞ。油断するな」

 家康本陣の長柄の槍隊が、腰を屈めて構えた。

しかし、敵は一向に攻めてこない。

「攻めて来る気はないんじゃないのか?」

 次第に緊張感が緩みだした。

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