第二章 2

   二


 その場で、榊原と酒井が選ばれて、幸村への使者にたった。

三百騎の兵とともに、真田丸にむかった。

直ぐに返答があった。

「死ぬ気で、ここに砦を構え申した。死ぬ身に、銭の話など無用、と家康殿に伝えられよ。ご使者の儀、ご苦労に存ずる」

 幸村の態度は、いかにも潔いものであった。

 このことも、すぐに噂となって、戦場の各陣営を駆け巡った。

勿論、大阪城内にも伝わった。

 家康は、はらわたが煮え繰り返る思いがした。

「これほど禄高で、転ばぬ大名がいたか?」

 家康は奥歯を鳴らした。

 翌朝、五百騎の赤備えの騎馬隊が、使者の印を立てて、家康の本陣の前に来て、五本の竹槍を、地に突き立てて去った。

四本の竹槍には、四つの頸が突き立てられてあった。

名札が付いていた。片桐旦元、藤堂高虎、福島忠勝(正則の次男)、加藤明成(嘉明の嫡男)らの頸であった。

 一際高い竹槍に首はなかったが、

「さて、この竹槍に、誰(た)が頸を突き刺そうぞ」

 と書かれた札が、付けられてあった。札には、赤く染めた矢羽根が、刺されてあった。

 四将の頸の羅列は、衝撃的であった。

名札の名前の右上には、それぞれに、

「豊臣恩顧之」

 の文字が書かれてあった。

 この噂は、衝撃的に大阪城内の、大野治長、淀、秀頼の耳にも達していった。

 宣伝は忍軍の得意である。

すべてに行き渡るように撒いた。

 噂を聞いた淀君は、

「何と小気味の好い」

 といって、袖で、口元を被うと、鳩が啼くような声で笑った。

「真田幸村に会いたや」

 と淀が言ったときに、幸村は、大阪城の本丸の広い廊下を歩いていた。

猿飛佐助、霧隠才蔵、嫡男の大助を従えていた。

 同じ時刻に、高梨内記は、三好兄弟を連れて、大野治長に面会していた。

「真田幸村様は、家康殿から、百万石で、お誘いを受け申した」

「承知いたしておる」

「大野治長殿は、戦の経験がござらぬ」

「それが・・・」

 大野は不愉快になっていた。

「まことに、邪魔!」

 高梨が薪を割るようにいった。

「な、何と申されたか?」

 大野の顔が青ざめた。

「邪魔!」

 三好の二人が、鼓膜の破れそうな声をあげた。

「と、申した」

 高梨が、涼しくいった。

「ぶ、無礼な」

 大野の全身が震えた。

腰の脇差の柄に手がかかった。

しかし、抜く訳にはいかない。

「抜くなら、抜きなされ。斬るときは、こうするのよ」

 三好佐三入道が、大野の脇差を抜き取ると、自分の左手を、畳の上に、ドンッと置いて、大野の脇差で、畳に置いた左手の甲を突き刺した。

「!・・・」

 大野は絶句した。

 脇差を抜くと、鮮血が噴水のように噴出した。

「血をとめろ。畳が汚れる」

 清海入道が、黄土色の、おむすび大のものを渡した。それを傷口にべっとりと塗って、晒し布を包帯のように巻いた。

「い、いま塗ったのは?・・・」

 大野が訊いた。

佐三入道が、答えた。

「馬糞でござる。これで血が止まる」

「ば、馬糞?・・・」

「馬の糞じゃ。試してご覧になるか?」

「い、いや・・・」

「脇差を仕舞なされ」

 と大野の脇差を畳の上に、ドンと突き立てた。

 大野は次元の異なる世界に、踏み迷った気分になった。

が、我に返って、懐紙を出して、脇差の刃を拭おうとした。

しかし、佐三入道が突き立てた脇差は、大野の力では、到底、抜けるものではなかった。

大野が顔を真っ赤にして唸っても、びくとも動かなかった。

見かねて、清海入道が、

「どれ・・・」

 と脇差の柄に手を掛けると、ボキッ! と刃を折ってしまった。

畳の上に刃が出ている。

それを丸太ン棒で叩いて、畳の中に、埋め込んでしまった。

「で、この三好兄弟のような者たちに、戦場で、どのように命令を、お出しになるのか?」

「・・・」

「我らが殿、真田幸村以外の者の命令でなければ動きませんぞ。昨日も、片桐旦元が首を、素手で捩じ切り申した。賤ヶ岳七本槍もヤワなものでござるよ」

「・・・」

(怪物だ・・・)

「総大将、お続けになられまするか?」

「いや、真田幸村殿に、すべてお任せし申す」

「では、この誓紙に、署名血判をお願いいたす」

 白紙であった。

「白紙・・・」

「邪魔だと言っている」

 三好二人が、声を揃えた。

「あ、相判った」

 署名後、大野が、

「しかし、秀頼様や、淀のお方様が・・・」

 と言いかけるのに、高梨が、優しく言った。

「大野殿。案ずるには及ばぬ」

「え?」

「いまごろ、淀君と、秀頼様と、幸村様は、愉快そうに笑っておられるはずじゃ」

 と高梨が、誓紙を懐中に納めて、ゆっくりと立ち上がった。

 作戦のすべてを承知しているのは、幸村以外にはいないのであった。

その、幸村は、

「戦わぬ味方は、最大の敵ぞ。まずは、それの掃除じゃ。手早く動くことぞ」

 と、高梨内記、伊木遠雄、青柳千弥、三井豊前、原隼人助らに策を授けて、四方に走らせていた。

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