第二章 3

   三


 幸村は、大阪城内の人脈を、すべて調べ上げてあった。三つの派があった。

 一つの派は、豊臣恩顧の譜代衆で、大野治長、治房の兄弟、木村重成、渡辺糺、薄田隼人らで、大野治長が牛耳っていた。

 二の派は、徴募に応じて集まった浪人者たちで、幸村自身が、この派に分類された。長宗我部盛親、仙石宗也、明石全登(てるずみ)、後藤又兵衛、塙団右衛門、宮本武蔵らであった。

 三の派は、秀吉の遺命で、秀頼に付けられた七人である。

近衛隊ともいうべき七隊で、速水守久、青木一重、真野頼包(よりかね)、伊東長次、堀田正高、中島氏種、野々村吉安らであった。

(この三派だけなら、問題はない。しかし、これとは別の大物がいる。このお方こそが、実は総大将ぞ・・・)

 幸村の脳裏には、幼名茶々こと、秀頼のご生母、淀のお方の存在が、鬱陶しくあった。

(大同のための小異・・・)

 幸村は、大同を淀との結びつきに置き、小異を、妻と子たちに置いた。幸村の正室は、関ヶ原で、西軍、石田三成に与した大谷刑部の娘、雪であった。

竹林院として、九度山で苦労も掛けていた。

しかし、そんな私的な事情に構っていたら、

(この大事は成就すまい)

 それが、幸村の、大同小異の思いだったのであった。

幸村には、先が読める才がある。

究極、男女の問題を超越するしかないであろう。

 幸村は、その最大の難関である、淀君に会っていた。

「そなたが、既に数々の武功を挙げておられる、真田幸村殿かや?」

「はっ・・・」

(このお方を籠絡せぬかぎり、豊臣は動かせぬ)

 大阪城の主は秀頼であったが、二十二歳の秀頼は、生母である、淀君の言いなりに抱え込まれていた。

実質的な大阪城の主は、女主だったのである。

「幸村殿。もそっと近こう。わらわは、矢も楯もたまらずに、智将の誉れの高い、そなたに、一目会いたかったぞえ」

「恐れ多きことに奉り候」

 広間である。

家臣らが居並ぶ中で、淀と秀頼は上段の間に座していた。

「なんの。遠慮は要らぬ。面を上げてたも」

 幸村は顔あげた。

 淀が、じれたように、

「もそっと、近こう。息が掛かるほど、近くにまいられよ」

「はっ。ご無礼仕りまする」

 幸村が、作法通りに、膝行して、上段の間の間際まで進んで、平伏した。

「それで良い。面を上げて、その武者振り、見せてたもれ」

「はっ・・・」

 幸村が顔をあげた。

「おお。天晴なるかな。その武者ぶり。奥の女房どもが、かまびすしく、幸村殿の武者振りに、敵う武者(もののふ)は、おらぬと騒ぎたてるのも、無理はないぞえ。わらわも、惚れぼれといたしたえ」

 淀が品定めの視線で幸村を見た。

視線が、無性に熱い。視線が絡んだ。

本能的に、二つの視線が綾なされた。

 淀のはしゃぎように、たまらずに、秀頼が、

「母上。お戯れが過ぎましょうぞ」

 とたしなめた。

しかし、淀は、

「良いではないか。右府殿。真田幸村は、我が豊家の身内同然じゃ。他の者たちは、十万もの軍勢がおるというのに、戦評定ばかりで、鉄砲一発、箭弓の一矢、槍一突き、野太刀の一太刀も、徳川に与えておらぬ。しがるに、幸村殿のみが、手勢の赤備えで、家康の本陣に槍を突き入れ、十三段備えの内、五段までを、突き崩したのぞ。十万の武将の内、誰がこの勇猛なることが出来ようか。さらに、謀叛せし、片桐他の、四将の頸を、恥辱の竹槍に突き立て、家康が本陣に、堂々と突き立ててまいった。右府殿。これこそ賤ヶ岳の七本槍の何十倍もの働きと申すもの。さらに、あの皺首の家康が、百万石にて誘って参ったものを、真田丸は死ぬ気で造りし砦、死にゆく者に、浮世の欲得の話など、無礼千万と砦越しに、大音声で、音の鳴るほどの勢い、厳しさで撥ねつけられたのでござりまするぞ。このようなこと、裏切り者の多き世で・・・」

 と淀は袖で顔を被って、落涙した。

「相判っておるゆえ、涙をこらえてくだされ」

「故に、豊家の身内同然と申しているのじゃ」

「真田。余が差し料じゃ受け取るがよい」

 秀頼が、脇差を抜いて幸村に渡した。

「ありがたき仕合せ・・・」

 幸村が袖に包んで受け取った。

「用意のものを・・・」

 秀頼が、小姓に命じた。

「はっ」

 小姓が走って、上段の間に、千両箱を十個積み上げた。

「百万石にはならぬが、真田。余が真心じゃ。受け取ってくれよ」

「ははーっ!」

 幸村は、数尺を飛び退ると、畳に額をつけて低頭、平伏した。

 その様子を猿飛佐助、霧隠才蔵、そして、大助が、感動をもって平伏して観ていた。

 他の重臣、諸大名も居並んでいたが、秀頼の態度に愕然としていた。

秀頼は、世間でいうほどの愚魯ではなかった。

「真田。息の掛かるほど、近こう参れ」

「はっ・・・」

 と幸村は、再び、膝行して、上段の間近くで、平伏した。

「面をあげよ」

「はっ」

「真田。母上は、身内同然と申した。余は、そちを、身内そのものと思うておる」

 と秀頼が、座から歩いて幸村の近くに寄った。

その両手を取って、強く握った。

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