第一章 10

  十


 驚愕したのは、着陣したばかりの、家康であった。

 家康は、ゆるゆると、意図的に時間をかけて、京から、奈良を廻って、物見遊山でもする気分で、馬をやめて、輦台に身を委ねて、二十万の将兵たちが、

「大御所様はまだか?」

 とイライラするほど、時間をかけて、着陣したのであった。

家康の作戦であった。

 その間に、外様大名や、豊臣恩顧の大名たちの心の動きを観察していたのであった。

 幸村は、その間の家康の様子は、掌を見るように、十分に承知をしていた。

 家康の様子は、真田忍軍と呼ばれるほどに、忍びの達者は、大勢いたので、彼らが、その間の状況を刻々と報告してきていたのであった。

なかでも甲賀の猿飛佐助、伊賀の霧隠才蔵や、穴山小助は、信玄公二十四将の中の一人の穴山氏の一族であったのが、真田に憧憬して臣下の礼を執って真田十人組に入ってきたのであった。

由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、根津は、禰津氏であったのを、文字を変えたのであった。

望月六郎は、望月氏で、滋野の一族であった。

殆どが、一門か、譜代であった。

三好も、真田郡三好郷の出で譜代であった。

いずれも一騎当千の強者であった。

彼らの下には、何人も部下がいて、確実に情報を伝えてきた。

 輦台を降りて茶を喫したことから、小用、大用を足したことまでが、報告されてきていた。

途中で、狙撃することも出来たが、あえてしなかったのである。

 真田軍の中には、紀伊雑賀の、鈴木孫一も加わっていた。

 幸村自らが、雑賀を訪ねて、孫一の参加に、頭を下げたのであった。

当時、鉄砲、大筒、弾薬を扱わせたら、雑賀の鈴木党は、恐らくは、日本一であったろう。

真田も敵わない。

敵には廻したくない相手であった。

「大阪城入城となると、家族も、ここを引き払わなわなければならぬな」

「失礼ながら、諸経費の足しにお使い願いたい。もし、足りなければ、この幸村、いかようにも奔走いたしもうす」

 孫一々族の資金の相談にも乗っていた。

孫一は、幸村の誠意を信じて、幸村の麾下に加わったのであった。

 その孫一は、幸村の奇略に、

「見事だわ。犬に猪、牛・・・九度山も無駄ではなかったな。猟師に学んだな」

 奇襲攻撃後にそういった。

「我以外みな師でござるよ」

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