番外編5 エリスとタピオカミルクティ1

 とある休日の午後の事である。


「あーもう、身体がベタベタするぅ! 顔にまでかかっちゃってるし! 悠くんもいつまでもそんなものをいじってないで、責任取ってよ!」


 ミルクティでびちゃびちゃになったリビングの床と、散乱したタピオカを雑巾で片付けながら、姉さんが何やら騒いでいる。


 僕はそんな実姉の姿を横目に、ソファーにもたれ掛かってスマホの画面を眺めながら、無視を決め込んでいた。

 なぜ僕が責任を取れなどと言われないといけないのか、全く意味がわからない。


「う~~」


 姉さんは両膝を床につき、雑巾を片手に四つん這いの姿勢で唸り声をあげて、恨めしそうに僕を見ている。

 うっかり目を合わせてしまった。


 いやしかし、僕が姉さんにそんな目で睨まれる筋合いは全くない。

 僕は、ただ座ってスマホでゲームをしていただけで、姉さんが今引き起こした惨状に対しては全くの無関係なのだ。

 それどころか、やめた方がいいとハッキリと言って聞かせたはずだ。


 どうしてそんな無茶な事をしたのか? 

 どうしてそんな無謀な事をしなければならなかったのか? 

 いくら思考を巡らせても、僕には姉さんの考えている事が分からない。

 自尊心を満たすため? 自己顕示欲を満たすため? 承認欲求を満たすため? それとも他の何かか?


 もしそれらが目的だったとしても、やはり僕には到底理解が出来ないものだし、それらを満たす手段として、今この時期にアレを選ぶというのも訳が分からない。

 だから僕は姉さんを止めた。それを無視した姉さんが悪い。

 僕に八つ当たりするのは筋違いもいいところだ。



 タピオカミルクティのカップを胸の上に乗せて手を離しながらストローで飲む。

 姉さんは無謀にも、そんなチャレンジを敢行し、失敗し、中身をぶちまけた。



 しかも、バランスを取ろうと仰け反るような姿勢を取っていたせいで、全身にタピオカミルクティを浴びてしまっていた。

 大惨事だ。


「何でそんなバカな事をしてんだよ。確かにだいぶ前にネットで実際にやっている女の人の写真を見た事あるけど、今やっても流行遅れだし、ただの痛い人にしかならないぞ」


「流行遅れって言わないでよ! だってあの時はやってみたけど出来なかったんだもん。あたしもまだ未熟だったから……。あれから成長してやっと出来るようになったんだから!」


「出来るようになったって……。失敗してんじゃないか」


 あれは選ばれし女子だけにチャレンジが許されている行為だ。ちょっと胸が大きいくらいの一般人が安易な気持ちで手を出そうものなら、このような結果になるのは火を見るより明らかなのだ。


 姉さんにはチャレンジする資格はない……とは言いきれないのが実に判断に困る大きさではある。本人も言っているようにここ一年ほどの姉さんの成長には目を見張るものがあるのは確かだ。それは弟である自分の目から見ても認めざるを得ない。


 だがしかし、実際に成功している人達はそもそもの次元が違う。

 姉さんくらいでは成功する可能性としては10連ガチャ1回でピックアップのSSRを引き当てるくらいの確率。

 あり得なくは無いけれど、まあそんなに甘くはないだろうなという、そのくらいの可能性。


 可能性があるだから全力で止めるほどではないと言われればそうなのだけれど、失敗したら大惨事だし、何より成功したとしても何も得るものはない。

 だから僕は姉さんを止めた。


「だって昨日学校でやったら出来たんだもん! 悠くんにも見せてあげようと思ったのに!」


 姉さんはそう主張してきた。どうやら先ほどの責任を取れという発言は、僕に見せようとしてこうなったのだから、僕にも責任があるという事らしい。

 こっちから頼んでないどころか、むしろ止めたのにも関わらずだ。

 無茶苦茶にもほどがある。


 でも姉さんは昔からそういう人だから、その点についてはもう諦めはついている。それに今はもう一つの問題について突っ込まざるを得ない。


「家でやる前に学校でやったのかよ! 学校でやる前にまず家でやれ! っていうかやるなよ! 」


 同じ高校に通う2年生の実姉が、学校でそんなバカな事をやっていたのだと想像しただけで頭が痛い。

 それに、家で僕にやっているところを見せつけて自慢したって何の意味もないじゃないか。好きな男子の前でやって気を引こうとかならまだ理解はできるけれど。


 とにかく、姉とは生まれてこのかた16年一緒に暮らしているが、昔からずっとこんな調子で振り回されている。まともに付き合っていては身が持たない。多少、素っ気無い態度で当たってしまうのも仕方がないというものである。


 まあこの姉は自分の名前がタピオカっぽい事もあってか子供の頃からタピオカに対しては異常な執着を持っていた。

 ブームが来た時には『ついに来たわね! あたしの時代が!』と毎日ノリノリだったのを覚えている。

 こんなに早く自分の時代が過ぎ去ってしまうなんて思ってなかったのだろう。未だに引きずってしまっているのだ。


 そう考えるとこうして、全身ミルクティまみれの状態で、涙目になってタピオカとミルクティの残骸を片付けている実姉の姿を見ていたら、ちょっと切ない気持ちになってきた。

 姉さんの自業自得とはいえ、無視し続けていたのは可哀想だったかもしれない。


 実は僕も先ほどスマホゲームのガチャを回して爆死していたので、気持ちに余裕が無かったのだ。

 姉さんに八つ当たりしてたのはむしろ僕の方かもな……。

 そう思い直して、僕は姉さんに向かって言った。


「もう早く風呂に入って着替えてこいよ。あとは僕が片付けておくからさ」


「むー。もっと早くそう言ってよね。……でもありがと」


 姉さんは頰をちょっと膨らませてむくれてはいたが、一応お礼を言うだけの心は持っていたようだ。

 僕はリビングを出て浴室へ向かう姉さんを見送ったあと、床に転がっているタピオカを拾い、ミルクティが染み込んだ雑巾をバケツの上で絞る。

 何をやってるんだろうな、僕。

 ガチャで爆死した直後だというのに、姉がぶち撒けたタピオカミルクティの片付けをしていると、やっぱりちょっと切ない気持ちになる。


 姉さんがあんな性格だと苦労するな……。

 もう子供じゃないんだから姉さんにはもっと地に足をつけた生き方をして欲しいものだ。


 そんな事を考えつつ、一通り片付けが終わって、またソファに戻りスマホを手にする。しばらくして、姉さんが戻ってきた。


「おー。綺麗に片付いたね」


 白いTシャツに短パンというラフな格好で、姉は湯上がりの艶っぽい肌を晒していた。

 やはりこうして見ると我が姉ながらスタイルはなかなか良い。でもやっぱり胸の上にタピオカミルクティを乗せる事が出来るほどではないなと、無意識に視線がそちらに向いてしまっていたのだろう。

 姉さんは急に両腕で胸部を抱くように隠し、僕に向かってこう言った。


「もう! どこを見てるのよ! まあ、悠くんも男の子だし、興味があるのは分かるけど。そんなにまじまじと女の子の胸を見るのはあんまり良くないと、お姉ちゃんは思うよ」


 くそ! 腹が立つ。見てねえよ!

 いや、正直に言うと見てはいたけど、姉さんが想像しているようないやらしい気持ちで見ていたわけではない。

 タピオカミルクティが乗るか乗らないかという事に対して、職人のような冷静かつ沈着な気持ちで見ていただけだ。

 姉さんがタピオカミルクティを胸の上に乗せようとするなどとバカな事をしていたのが悪いのだ。


 言い返してやりたいが、言い訳をしてあらぬ誤解をされても面倒だし、姉さんのペースに巻き込まれてしまう。

 経験上、こういう時は無視をするに限るのだ。僕は視線をスマホに戻して、ゲームの続きを始めた。


「またゲームばっかりやって。面白いの?」


 ガチャで爆死したばかりの弟に対して、その質問は酷というものである。

 だが、面白くないと言うわけにはいかない。

 ガチャには理不尽さを感じるけどどゲーム自体は好きだし面白いのだ。それとこれとは切り分けて考えなければならない。


「面白いよ……ガチャで爆死したけど」


「え? また課金したの!? もう! 無駄遣いはやめなさいって、いつも言ってるでしょ!」


 姉さんが言っている事は正論だけれど、ついさっきタピオカミルクティを胸の上に乗せようとしてぶち撒けた人間には言われたくはない。

 そっちこそ食べ物を粗末にするなと反論してやりたい。

 しかし、姉さんとの言い争いほど時間を無駄にする事はないと幼い頃からの付き合いで身に染みている。僕はぐっと堪え、分かってるよ、と生返事をして聞き流した。


 そう、これが僕の姉さんなのだ。


 僕はまだこの姉をエリスへ紹介できずにいた。

 同じ学校に通っているわけだし、いつまでも黙っておく事はできないとは思うけど、話をするきっかけがなかなか掴めなかった。


 まあ焦らずともエリスとは付き合っているわけだし、いずれ機会があった時に紹介すればいいかと漠然と思っていた。

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