番外編6 エリスとタピオカミルクティ2
月曜日の朝、玄関のドアを開けると雲ひとつ無く晴れた気持ちの良い太陽の光が僕の目に飛び込んできた。
「悠くん。今日は夕方から雨が降るみたいだから傘を持って行きなさい」
後ろからそう声をかけてきたのは姉さんだ。
まだ制服には着替えておらずパジャマ姿のままだった。
「え? こんなに晴れてるのに?」
「うん、さっきテレビで言ってたよ。はい、これ。持って行って」
姉さんはそう言って僕に向けて傘を差し出し、続けて言った。
「最近、朝早いけどどうしたの? 何か部活に入ったわけでもないんでしょう?」
「うん。ちょっと友達と約束があってね」
「ふうん。友達とね……」
「じゃあ、いってきます」
僕はそう言って、エリスとの待ち合わせ場所へと向かう道を駆け出した。
今日こそは、エリスとの勝負に勝って食パンをもらうぞ! いや、エリスの食パンがどうしても欲しいというわけでは決してないけれど。
エリスとの対決の結果は……今日も勝てなかった。
傘に魔法力を込め、剣に見立ててエリスを牽制したところまでは良かったけれど、エリスにとっては剣を持った相手の方がむしろ与し易かったという事らしい。
簡単に懐に滑り込まれてそのまま体当たりを喰らってしまった。
1勝9敗。
二学期になってから雨の日を除いて毎日エリスと勝負を続けているが、やはり一度も勝てていない。
どうやったら勝てるんだろうな……。
今日も食パンを美味しそうに食べているエリスの可愛い横顔を眺めながらそんな事を考えていた。
まあ、まだしばらくは勝てなくてもいいかな。
◆
その日の全ての授業が終わり、放課後。
エリスが僕の席の側に近寄ってきて言った。
「ユウ、一緒に帰ろう」
クラスの男子連中からの氷のように冷たい視線が突き刺さってくるが、それももう慣れっこだ。
僕らは二人で並んで一階にある校舎の昇降口まで行き、靴を履き替えた。
外は雨。結構強く降っている。
姉さんの言っていた通りだった。
「エリス、傘は持ってる?」
僕がそう問いかけると、エリスは首をちいさく横に振りながらこう言った。
「ううん。雨が降ると思ってなかったから忘れちゃったわ」
となると、これはあれだ。相合い傘で一緒に帰るというシチュエーションじゃないか? 間違いない。
彼女と一緒にひとつの傘に入って下校するという、ありきたりな定番中の定番イベントではある。
でも実際にそういう状況に自分が置かれてみると、なんとも言えない特別感があるというか、すごくドキドキする。
ただ、はっきり分かる事は、いま僕はめちゃくちゃ嬉しいし、すごい幸せを感じる。
ちょっと上目遣いで僕を見ているエリスと目が合った。
よし、言うぞ。
「じゃあ。僕、か、傘を持ってきてるから一緒に……」
そう言いかけた時だった。後ろから僕を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。
「おーい、悠くん! 一緒に帰ろう!」
この声は……僕の背筋に寒気が走る。そして、その声の主は僕の側まで近づいて来てこう言った。
「いや~、会えてよかったあ。お姉ちゃん、傘を忘れちゃって」
「なんでだよ! 今朝、傘を持ってけって言ったのはそっちだろ! 何で自分が忘れてるんだよ!」
「え? なんでって言われても……。う、うっかりよ。うっかり! 誰だってちょっとうっかり忘れちゃう事ってあるでしょう?」
「え、と……ユウ? そちらのかたはどなた? なんだかすごく親しそうに見えるけれど、ユウとどういう関係なのかな?」
訝しげな表情を僕に向けてエリスはそう言った。
ついにこの時が来てしまったか。
こうなったらもうこの流れで普通に紹介するしかない。
「え、あ、ああ。エリスは会うのは初めてだよね。これ、僕の姉さんなんだ」
僕の言葉を聞いたエリスは一瞬きょとんとした表情を見せた後、こう言った。
「姉さんって……? ユウ。キミ、お姉さんがいたの!?」
「え? い、いや〜、言ってなかったっけ?」
「聞いてないわよ! 何で今まで隠してたのよ!? そんな大事なことを!」
「別に隠してたわけじゃ……」
そうは言ったものの、思い返してみるとエリスの前で姉さんのことを話さないようにしていたのは事実だから、隠していたと言われても仕方がない。
「ちょっと悠くん? その子はどなた? お友達……なわけはないわよね。悠くんにこんな美人のお友達がいるわけがないし」
「失礼だな! それが実の弟に向かっていうセリフか!」
姉さんは姉さんで、息を吐くように暴言を吐いてきたので、つい言い返してしまった。
すると、僕と姉さんのやり取りを聞いていたエリスは、ちょっと上目遣いで照れくさそうに姉さんに向かって言った。
「あ、すみません。自己紹介が遅くなりまして。わたし、姫宮エリスっていいます。ユウ君とは結婚を前提にお付き合いをさせてもらってます」
け、結婚!? エリス!? いきなり何を言い出すんだ!?
姉さんも鳩が豆鉄砲をくらったという、ぽかんとした顔で佇んでいたが、確認するように口を開いた。
「ええと、結婚? 付き合ってる? もう、びっくりするじゃない。変な冗談はやめてよね」
「え? 冗談ではないですよ、お姉さん」
「ちょっとエリス!? 付き合ってるって言うのはまだしも、結婚っていうのはマズイよ!」
「まずいってどうして? お父さんに向かって、わたしを下さいって言ったのに、結婚するつもりが無いっていうの!?」
エリスは両手で僕の二の腕を掴み、びっくりした様子で僕に向かって言った。
ちょっと涙目になっている。
すると、姉さんが辺りに響き渡るような大きな声でこう叫んだ。
「け、け、結婚詐欺だーーー! 悠、あなた、この子にダマされてるよ! 目を覚まして!」
「結婚詐欺!? 高1で結婚詐欺とかあるわけないだろ!」
姉さんがまたややこしい話をさらにややこしくする様な事を言い出した。姉さんは続けてエリスに向かって言った。
「あなたも諦めて! 家にそんなにお金無いよ! 結婚詐欺しようとしてもムダだよ!」
「え? 結婚サギってなんでですか!? 騙してなんかないですよ!」
「なになに? たっぴーどうしたの? 修羅場? 三角関係? 骨肉の争い!?」
姉さんとエリスだけでも大変な状況なのに、後ろから姉さんの事をたっぴーと呼ぶ2年生の先輩まで野次馬として加わってきて、もう手が付けられない。
それに騒ぎすぎたせいで周囲に人集りができてきている、この場を離れなきゃ。
「エリス、行こう!」
そう言って、僕はエリスの手を取った。
「ちょっと待ってユウ! まだ話は終わってないんだから!」
逃亡失敗。
僕が手を引いてもびくともしないのは、さすがエリスといったところだけど感心している場合じゃない。ちゃんと話をつけないとエリスは動くつもりはないらしい。
「わかった。分かったから場所を変えよう」
そう言ったものの、こう周りに注目されてしまったら校内でゆっくり話す場所を見つけるのは難しいだろう。どうしたものか。
「仕方ないわね。エリスちゃんだったかしら。ちょっと家まで来なさい。家でゆっくり話をしましょう」
姉さんはそう言った。
そうだな。それがいいだろう。
今日は母は出張で家には戻らない予定なので、姉さんさえ納得すればエリスを家に招き入れるのは全然問題ない。
いずれ家に連れて行くつもりではあったし、いい機会だ。
「そうだね。エリスが良ければ、家に来てもらってゆっくり話そうか」
「え? いいの? 行く! 行きます! わたしずっとユウのお家に行ってみたかったんです」
「なら決まりね。それで、エリスちゃん、傘を忘れたの? だったら、コレを使っていいよ」
姉さんはカバンから折りたたみ傘を取り出して、エリスに向けて差し出してそう言った。
「ちょっと待て、姉さん。傘持ってるのかよ! さっき忘れたって言ってなかったか!?」
「う、うるさいわね! 折りたたみじゃない方を持ってこようと思ってて忘れちゃったのは本当だもん。それに、い、いま折りたたみ傘を持っていたのを思い出したのよ!」
なんなんだよ、全く。
まあ、それはいいとして、3人に対して傘は2本だ。
折りたたみをエリスに貸してしまっては姉さんの分の傘がなくなる。どうするつもりなんだろう。
そう思っていると姉さんは、くるりと僕の方に振り向いて言った。
「じゃあ、悠くん。悠くんの傘に入れて」
「何でだよ! 姉さんと一緒なんて嫌だよ恥ずかしい! そういう事だったら折りたたみ傘を貸さなきゃいいだろ」
「それじゃあ、エリスちゃんが濡れちゃって可哀想じゃない」
「そんな事は言ってない! いま僕とエリスが一緒の傘で帰る流れだったんだから邪魔しないでくれ!」
姉さんがとぼけた事ばかり言うので、つい口からこぼれてしまった。
言ってしまった後で周囲から冷たい視線が僕に集まっているのに気付いて後悔した。
「ダメよ! 高校生の男女が相合い傘だなんて不純だわ! お姉ちゃんとして許可できません」
まったく、この姉は! だからエリスと会わせるのを避けてきたのに。
本当に面倒くさい。
「じゃあどうするんだよ。言っておくけど僕は姉さんと相合い傘なんて絶対に嫌だからな!」
僕が姉さんに向かってそう言うと、姉さんは少し頬を膨らませてムッとした表情でこう言い返してきた。
「じゃあ、悠くんが一人で折りたたみ傘を使えばいいでしょ! あたしはエリスちゃんと相合い傘で帰ることにするから! エリスちゃんもそれでいい?」
「え? あ、はい。お姉さん……」
姉さんの勢いに気圧された様子でエリスはそう答えた。
そういうわけで、姉さんとエリスが二人で僕の傘を使い、僕が一人で姉さんの折りたたみ傘を使って家までの道のりを歩いて帰ることになった。
正直どうしてこうなった? という気持ちは拭えなかった。
せっかく彼女と初めて相合い傘で帰るチャンスだったのに……。
だけど実姉と彼女が相合い傘で仲睦まじく歩いている姿を後ろから眺めているうちに、何だかこういうのも悪くはないなと思ってしまう自分がいた。
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