第17話 ちいさな朝の食卓
さっきまでは僕も寝起きざまに予想外の事態に遭遇したせいで頭が混乱してわけが分からない事を考えてしまっていたけど、エリスの悲鳴で目が覚めてやっと冷静さを取り戻しつつあった。
一方、エリスは僕らを見つめてわなわなと震えながら立ち尽くしていたのだけど、同じく悲鳴を聞いて駆けつけてきたルーシアさんが間に入って、二人を僕の部屋から連れ出してくれたおかげでその場は何とかやり過ごす事ができた。
そして僕は着替えを済ませてからエリス達の部屋の前へ行き、しばらく待った後、ドアが開いた。
「ピロロおなかすいた」
先ほどまで半裸だった幼女、今は着替えて黒地に白いフリルの付いた可愛らしい服を着た幼女となっているピロロがそう言うので、僕らは宿の食堂で朝食をとりながら事情を聞く事になった。
食卓についたピロロはよっぽどおなかが空いていたのか、とてもおいしそうにパンをほおばっている。
だが、ここでまたひとつ、大きな問題が発生していた。
テーブルには席が4つ、僕と、エリスと、ルーシアさんと、ピロロのために用意された席が確かにある。
だが、その4つの席のうちの1つは、ぽっかりと空いていた。
僕が座っている席の左側にはエリス、右側にはルーシアさんが座っていて、黙々と朝食を食べている。
つまり、僕の正面の席が空席になっているのだ。
それは、ピロロのために用意された席である。
それにもかかわらず、ピロロはいま、とてもおいしそうに朝食を食べている。
何かがおかしい。
何故こんな事になってしまっているのだろうか?
僕には全く、理解ができなかった。
そう、ピロロはいま、僕のひざの上に座って朝食を食べているのだ。
「なあピロロ? どうして僕のひざの上に座ってるのかな?」
「だめなの?」
「いや、ダメではないんだけど……」
決して嫌だとか不快だとかいう事はない。
ただ、ひざの上に乗ってもらうには彼女は少し大きすぎるのだ。
先ほど布団の中で見たときは、彼女の容姿がかわいらしく幼く見えることもあって幼女だと思っていたのだが、少女と言った方がいいのかもしれない。
ひざの上に乗せて食事をするのは少し無理がある。
だが、幼女をひざの上に乗せて食事をするのと、少女をひざの上に乗せて食事をするというのは、どちらが人として問題があるかと考えてみると、人によって意見が分かれるところかもしれないが、少女をひざの上に乗せている方が問題があるような気がする。
幼女をひざの上に乗せて食事をするお兄ちゃんは割といると思うけれど、少女をひざの上に乗せて食事をするお兄ちゃんはおそらくいない。
もしいたら通報した方がいいと思う。
なので、ここではいったん幼女という事にしておく。
話を元に戻そう。
ピロロをひざの上に乗せて食事をするのはいいのだけれど、彼女が少し大きすぎるために、ちょうど自分の口もとに彼女の後頭部が来ていて、僕が食事を取れないし、他にもいろいろ大変なのだ。
一番大変なのは、エリスがさっきからずっと僕に向けている視線である。
いわゆるジト目。
じとーっとした視線を僕に向けつつ、押し黙って黙々と朝食を取っている。
頼むから何か喋って欲しい。
どうしてエリスもルーシアさんも、この状況を見て何も言ってくれないのか?
僕はいったいどうしたらいいんだ?
正面のイスが空いているのだから、そちらに移ってもらうよう、それとなく促してみるか?
「なあピロロ? 僕も朝ごはんを食べたいんだけど……。あ〜おなかすいたなあ」
「はいどうぞ! おいしいよ?」
そう言ってピロロはこちらに振り向き、とびっきりに眩しい笑顔と共に、僕の口元へとパンを差し出した。
ひざの上から退いて欲しいと言いたかったのだが、伝わらなかったみたいだ。
そしてピロロが差し出して来たパンにも、僕は頭を悩ませる事になった。
ピロロが差し出して来たパンは彼女が今まさに食べていたものだった。
手でちぎって少しずつとかではなく、彼女はパンを直にかじって食べていた。
何が言いたいかというと、パンに幼女の歯型がついている。
勘違いされると困るのでいちおう断っておくが、彼女がかじったパンを食べるのは嫌だとかそんな事は思ってない。
しかし、幼女の食べかけのパンを躊躇なく食べるという行為には問題があるのではないだろうか?
うまく理屈では説明できないが、感覚的には人としてどうなんだという思いがよぎる。
仮に彼女の差し出したパンを食べるのを断って、新しいパンを手にとって食べたとしよう。
そんな事をすればきっと彼女は傷つく。
幼女が食べて欲しそうにこちらを見ているのだから、食べてあげるのが人として正しい姿なのではないだろうか?
それに幼女の食べかけのパンを食べるのは問題だ、などと考えるのは元の世界での常識に基づくものだ。
ここは異世界なのだから、もしかしたら違う常識に基づいた世界なのかもしれない。
つまり、幼女の食べかけのパンを食べる事はごくごく普通にありふれた事で、気にする方がおかしい世界なのだという可能性がある。
エリスとルーシアさんがさっきから何も言わないのも、もしかしたら世界の価値観の違いによるものなのかもしれない。
きっとこちらの世界では普通の事なのだ。
それに幼女の食べかけのパンを食べるのを断れば、100%の確率で幼女を悲しませてしまうのに対し、幼女の食べかけのパンを食べる事に対しては、なんの問題も罪も無い可能性が存在する。
ならば迷う必要はない。
僕はピロロが差し出したパンをありがたく頂くことにした。
口の中に甘い香りが広がる。
朝から気疲れしきっていたせいもあるけれど、今まで食べたパンの中でも一番と言って良いほどに僕の渇いた身体を満たしてくれる。
そんな気がした。
「うん、すごく美味しいよ」
「えへへ。でしょ~」
ピロロはとても嬉しそうに満面の笑みでそう言った。
やっぱり僕は何も間違ってはいなかった。
彼女の笑顔がそれを証明してくれている。
そう思えた。
そして僕は、それを確かめるようにエリスの方に目をやった。
DEAD FISH EYE
先ほどまでじとーっと僕を見つめていたエリスの目が、死んだ魚のような目に変わっていた。
あ、これはダメなやつだ……。
やはり、こちらの世界でも幼女の食べかけのパンを年頃の男子が食べる事は間違った行為であるようだ。
僕の中で何かが崩れ落ちる音がした。
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