59.「停学終了――虐めっ子【3】」

 僕の視線の先で輝く四つの刃。

 それは小さくても鋭く、切れ味は良さそうに見える。

 果物ナイフとは言え、刃物は刃物。

 もう先ほどまでのように冷静にはいられなかった。


 僕の心臓はバクバクと大きな音を鳴らしながら弾み、息が自然と荒くなる。

 手足は震え、体の中心から先まで寒気が走り、体中から冷や汗が溢れ出す。

 もちろん動くことも出来ず、声も出ない。

 ガムテープで縛られているせいもあるが、なかったとしても僕の体は動かなかっただろう。


「おーお、小鹿のように震えちゃって!」


 野球部エースはナイフを撫でながらそう言う。

 まるで、切れ味抜群にしてきたとでも言っているような感じ。


「俺はそれを見たかったんだよ、くぅ~すぅ~のぉ~きっくんっ!」


 ニヤニヤ笑みを浮かながら煽り口調を満足気にそう呟く。

 と、同時にポケットから一枚の紙を取り出した。

 そしてその紙に果物ナイフを少し入れる。

 すると、力を入れずに紙が綺麗に切れ、掴んでいなかった部分がヒラヒラと地面に落ちた。


「これなら痛くないだろ? これは俺からの優しさだ。喜べ楠」


 当然喜べるわけなく、口に溜まった唾を飲み込む。

 死にかけたことが二回もあると言っても、死ぬことはまだ怖い。

 二回目は自分で死のうとしておいて何を言っているのかと思うかもしれないが、あの時は別だ。

 感覚が頭が全てが狂っていた。

 命なんてどうでもいいと思っていた。

 けど、今は違う。

 僕には橘がいる。

 友達がいる。

 だから、死ぬかもと思うと怖い。


「大丈夫だ。軽く皮膚が裂け、血が流れ出すだけだ」


 不気味な笑みを浮かべながらこちらへ寄ってくる四人。

 だけど、僕はどうすることもできない。


 怖い、怖い、怖い!

 痛い、痛い、痛い!

 来るな、来るな、来るな!

 嫌だ、嫌だ、嫌だ!

 まだ、まだ、まだ……


 ――死にたくない! 死にたくないっ!


「一発目は俺からだぁ!」


 野球部エースが大きくナイフを振り上げる。

 僕はもう目を閉じることしかできなかった。


 ――バンッ!


「おい、何をやっているっ!」

「あん?」


 扉が開く音と響く声に僕は瞼を上げる。

 ナイフはギリギリ僕の顔の前で止まり、扉の方には桜木先生の姿があった。


「四人で何してるんだ?」

「は? てか、誰だよお前」

「あーそう言えば、初めて会うんだったな。アタシは桜木巫女。二年二組の担任だ」

「何言ってんだ? 俺らの担任は榎本だぜ?」

「榎本先生なら一ヶ月前に退職した。お前らの責任を負うためにな」

「は? 聞いてないけど?」

「だーかーら、今日言うつもりだったんだよ」


 桜木先生は呆れた表情でそう言葉を口にし、「はぁ……」とため息を一つ。

 それから首をポキポキ鳴らし、耳に髪をかける。


「へー、まぁどうでもいいけどよ。誰に口きいてるか分かってんのか? ちゃんと敬語で話せよ桜木」

「は? おい、ガキが調子乗ってんじゃねぇーぞ?」


 野球部エースの言葉にムカっとしたのか、少し低めの声でそう返す桜木先生。

 いつもはにこやかで優しい雰囲気ということもあり、そのギャップは凄い。

 正直こういう教師らしいことをするとは思っていなかったので驚きだ。


「お前、女のくせにイイ度胸してんじぇねーか。だかな、二年二組の絶対は俺だ。俺の言うことだけ聞いとけ」

「はぁっ、何だそれは? 今の時代にそれはダサいな」


 桜木先生は鼻で笑い、野球部エースをバカにする。

 ナイフを持っている相手によくあんな態度が取れるものだ。

 僕のためにわざと挑発しているのか?


「ダサい? 意味が分からねーな。それより今忙しいんだわ、早よ出てけ」

「いや、出て行かないから。そんな虐めの現場を見て出て行くわけないだろ?」

「榎本は出て行ったぜ? あいつクソだからな」

「アタシをそのクソと一緒にするな。とにかくその物騒な物を捨てろ」

「俺に指図してもいいとでも思ってんのか?」

「黙れガキ。命令に従え」


 桜木先生の言葉を聞いた後、急にナイフを握る力が弱くなる。

 抵抗してくる桜木先生に白旗を上げようとしてるのだろうか?

 けど、こいつらがそんなことを聞くか?

 いや、聞かない。聞くわけがない。


「分かった――なーんて言うかよ、バーカ! まずはお前から痛い目に合わせてやるよっ!」


 野球部エースはその言葉と同時に桜木先生に向かって走り出す。

 続いて三人も同じように桜木先生のもとへ。


 こ、これはヤバい。

 このままでは桜木先生が怪我、いや、怪我では済まないことになってしまう。

 見た感じ何も持っていない。

 急いでここに来たという感じだ。


 ――頼む……逃げてくれ!


「これだからガキの面倒を見るのは嫌いなんだよ。アタシは教師だがガキは大嫌いだ。だから、生徒はガキとは見ないで友達として扱う」

「何が言いたいんだよ」

「アタシはガキが大嫌いだ。そして手のかかるガキには容赦はしない」


 桜木先生がその言葉を言い切った瞬間、野球部エースが襲い掛かる。

 先ほど同様にナイフを振り上げ、勢い良く振り下げた。


「うっ……」


 ――バァーンッ!


 襲い掛かったはずの野球部エースが吹っ飛んだ。

 それも桜木先生の片手一本で。

 続けて三人も襲い掛かるが、崩れ落ちるように意識を失う。


「はぁ……こんなもので」


 桜木先生は崩れ落ちた三人のナイフを拾い、そのまま僕の方へ。


「大丈夫だったか?」


 僕は縦に一度首を振る。

 それを見て桜木先生はホッとしたのか笑みを浮かべた。

 と、その時だった。


「女が調子乗ってんじゃねぇーぞぉ!」


 まだ意識があった野球部エースが後ろから襲い掛かる。

 が、桜木先生は後ろも見ずに避け、腕を掴んでナイフを奪い取り、首に手刀を食らわせて意識を飛ばした。


「今、拘束をといてやる。もう安心していいぞ」


 口のガムテープで勢い良く剥がされ(超痛い)、手足のガムテープはナイフで切ってもらった。


「あ、ありがとうございます」

「担任として友達として当然のことだ」

「友達になった覚えはありませんが」

「そうか」

「それより桜木先生は強いんですね」

「まぁちょっと武術をしていてな」


 ちょっとのレベルじゃないと思うが。

 そこはツッコまないでおくか。


 それにしても、一時はどうなるかと思ったが、桜木先生が来てくれて良かった。

 桜木先生が担任になったのも納得できる。

 教師というか武術家のイメージがついたけどな。


「そうなんですね」

「そうそう。てか、怪我とかしてないか?」


 勢い良くガムテープを剥がされて口がピリピリする程度。

 とは言えず、僕は「はい、大丈夫です」と答える。


「なら良かった。これからどうする? 教室に戻るか、保健室に行くか」


 時刻は午前八時三十五分。

 五分後に一時間目が始まる。


「教室に戻ります」

「分かった。今は一緒にいてやりたいが、アタシはこの四人をどうにかしないといけない。悪いな」

「いえ、大丈夫ですよ」

「ならいいけど、とにかく今日は自分の体調と相談しながら過ごしてくれ」

「はい」


 僕はそれだけ言い、まだ力が入らない足をゆっくりと動かして空き教室を後にした。

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