53.「体育倉庫【3】」

 何分経っただろうか。

 でも、少しずつ橘の震えは収まりだし、心音は落ち着き始めていた。

 涙で濡れた僕の体操服は面白いほどビチョビチョ。

 別に汗をかいていたから気にはならないが。


 橘は急に顔をあげ、自分の襟で顔を拭く。

 そしてゆっくりと僕から離れた。


「もう大丈夫なのか?」

「はい、ご迷惑をおかけしました」

「迷惑なんて思ってない」

「優しいですね、楠君は」


 そう言いながら赤く腫れた目をぐちゃっとして笑みを浮かべる。

 僕はそれを暗闇に慣れた目で見てホッとする。

 もう橘は大丈夫そうだ。


「まぁ大丈夫そうで良かったよ。足は動くか?」

「はい、大丈夫そうです」


 橘もこの状況に慣れてきたって感じか。

 一人で歩けるようになっただけでも、こちらとしては有難い。

 もう嘘をつき無理はしてほしくはないが、それも握った手から感じられる小さな震えから大丈夫だと思われる。


「じゃあまずは鍵が閉まっているか確認するか」

「はい」


 僕はそう言い、握っていた手を離し、歩き出す。

 すると……


「だ、ダメです!」

「えっ?」

「手は握ってないとダメです!」

「そうだったのか」


 慣れたと言っても、怖いことに変わりはないらしい。

 少しむぅーと怒った顔をしてこちらを見ている。

 僕は何も悪いことはしていないのだがな。


「なら手を繋いで動こうか」

「そうしてください」


 僕はその言葉を聞き、しっかり手を握って歩き出す。

 まずは先ほども言った通り鍵の確認。

 扉に何かが挟まっていて閉まってないということもあり得る。

 可能性は低いと思うが。


「足元、気を付けろよ」

「暗闇に慣れて来たので大丈夫です」


 かなりの時間この場にいたからな。

 僕も完全に見えている。

 床の砂までハッキリと見える。


 目が慣れたからと言って危ないことに変わりはないので、ゆっくり進むこと数十秒。

 扉の目の前に到着。

 早速、鍵がかかっているか確認してみる。


「んっ! はぁ……ダメだ」

「完全に閉まってますね」


 橘も同じく確認し、暗い顔をする。

 これは困ったな。

 とその瞬間、あることを思い出す。


「あっ、そう言えば、橘って全教室の鍵を持っているんだよな?」

「はい、そうですが何か思いつきましたか?」

「ああ、橘の鍵でこの扉を開ければいいんだよ」


 これで無事に出られる。

 色々あったが出られるはずだ。

 しかし、何故か橘は浮かない様子。


「残念ですが鍵は更衣室の中です」

「そ、そうか。そうだよな」


 今思えば、二人三脚に鍵は持ってこないよな。

 邪魔だし。


「それに体育倉庫は内鍵がないので、持っていたとしてもどうしようもなかったという感じです」

「どちらにしても無理だったのか」


 スタート地点へ逆戻りだ。

 てか、何で内鍵付いてないの!

 トイレとかにはあるのに!

 あ、この倉庫が古いからか。

 まず誰もこんなところに閉じ込められるとか思ってないしな。


「はぁ……どうしましょうか」

「他に出口とかないよな?」

「あっても鍵がかかっているはずです」

「窓からは出れないか?」

「この体育倉庫に窓はないです」


 終わった。

 もう出る方法がない。

 蹴っただけでこの扉が壊れるとも思えないし。

 周りからは人の声一つしない。

 完全に詰んだ。


「明日の朝まで出れないかもな」

「そうですね」

「橘は大丈夫そうか? 怖くないか?」

「楠君がいれば何とか大丈夫です」

「なら良かった」


 そろそろ覚悟する時だろう。

 現実から目を逸らすのは簡単だ。

 しかし、逸らしたところで何も変わらない。

 また現実を突きつけられるだけ。


「水分補給と食事は一日ぐらい取らなくても大丈夫だよな」

「はい、私も問題ないと思います」

「寝床も確かマットがあったよな?」

「体育祭の障害物競走で使うマットがあるはずです」


 これで一晩ぐらいは過ごせそうだ。

 お腹は空くし、電気もなくて暗い。

 夜は少し冷えるかもしれないが、死ぬことはまずないと考えていいだろう。

 体育祭前ということで体調には気を付けたかったが、これに関しては仕方ない。


「いつもより寝心地は悪いと思うが、コンクリートで寝るよりかはマシだな」

「ですね。でも、怖いので手を繋いで寝てくださいね?」

「ああ、もちろん」


 一度、一緒に寝ているんだ。

 別にそこまで気にはしない。

 それに今は緊急事態だ。

 また橘に先ほどのようになられたら困るからな。


 ところで、現時刻は何時だろうか。

 外の景色が全く分からない。

 月や星を見れれば何となく時間は分かるのにな。

 窓がないというのはかなりキツイ。


「じゃあまずマットを敷くか」


 僕はそう言い、橘の手を引いてマットの方へ歩き出す。

 が、橘は動かない。

 不思議に思い、見てみると下を向いてモジモジしていた。


「どうしたんだ? また足が動かなくなったのか?」

「いえ、その……」

「その?」


 僕が言葉を繰り返し、首を傾げる。

 少し間を空けて橘は恥ずかしそうに口を開いた。


「そ、その……トイレに行きたいです」

「……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る