52.「体育倉庫【2】」

 驚きの声が重ねって先に口を開いたのは橘。


「ど、どどど、どうするのですか!?」


 何回『ど』を言うんだよ!

 とツッコミたいが、そうなるのも仕方ない。

 鍵を閉められた上に、時間も時間ということもあり体育倉庫の中は真っ暗。

 先ほどまでは扉から差し込む光があったが今もうない。


 そういうわけで橘は現状に動揺している。

 もちろんそれは僕もだ。

 しかし、ここで二人とも動揺してしまえば、大パニックになりかねない。

 だから、僕は一度深呼吸をして口を開く。


「お、落ち着け! 一度、大きく深呼吸だ!」

「そ、そうですね。はぁ~すぅ~、はぁ~すぅ~」

「いや逆だ逆! すぅ~はぁ~、すぅ~はぁ~とゆっくりと深呼吸しようか」

「は、はい。すぅ~はぁ~すぅ~はぁ~」


 僕と一緒に深呼吸してやっと橘は少し落ち着く。

 だが、いつもみたいな冷静さはない。


「大丈夫か?」

「いえ、大丈夫ではないです」


 正直かよ!

 それはいいことだけど。


「まぁだよな。危ないし、先に二人三脚の紐を外そうか」

「はい。でも私、今手が震えていて……」

「僕がする」


 僕はしゃがみ込み、視界が悪い中、目を細めてまず紐を探す。


「ヒャッ!?」

「ど、どうした?」

「今、足に何かが……」

「多分、僕の手だ。悪い」

「そ、そうでしたか」


 ホッと肩をなでおろす橘。

 視界が悪いせいで相当敏感になっているらしい。

 僕が足に触れたのが原因だが、本当に視界が悪くて手探りで探すしかない状態なので、そこは許してほしい。

 別に橘の生足に触れたかったわけではない。

 本当だからな!


「あ、これか」

「どうですか? 外せそうですか?」

「今外しているところだ」


 見えないのでこれも手の感覚だけで外していく。

 そこまで強く結んではいなかったので、簡単に外すことができた。


「ふぅ~、紐を外せたぞ」


 そう言いながら手の甲で汗を抜い、ゆっくりと立ち上がる。

 すると、橘が急に手を握ってきた。


 ――橘の手……震えてる?


「えっと……橘? どうしたんだ?」

「怖い、怖いのです」

「え? 怖い?」


 その言葉に思わず聞き返してしまった。

 だって、あの橘が怖いって言ったんだぞ。

 一人暮らしをしていた橘が。

 校長先生を脅した橘が。

 いつも僕を救ってくれる橘が。

 そんなことってあるのか?

 絶対に聞き間違えだよな?


「はい、怖いです。私、暗いところが苦手で……」

「でも、寝る時は暗くしてるだろ?」

「それはクマさんがいるから大丈夫なのです!」


 なるほど。

 だから、部屋にクマのぬいぐるみがたくさんあったのか。

 なんか意外だったな。

 でも、初めて女の子っぽいところを見れて嬉しい。


「そうだったのか」

「はい。お見苦しい姿を見せてしまいすみません」

「大丈夫だ。苦手なことぐらい誰だってあるさ。それより今はここから出ることを考えようか」

「そうですね」


 いつもより弱々しい口調。

 まるで、別人と会話しているみたいだ。

 手からは震えが伝わってくるし、少し触れている肩から心音が伝わってくる。

 これは早く出してあげないとな。

 いつもは救われてばかりだが、今回は僕が橘を救う番だ。


「足は動くか?」

「う、動かないです」

「背負おうか?」

「それは迷惑になってしまいます。頑張って動かし――」


 橘は歯を食いしばって必死に足を動かす。

 しかし、力が抜けて膝から崩れ落ちそうになる。

 僕はそれを抱きかかえるような形で何とか防いだ。


「本当に無理するなよ」

「ご、ごめんなさい……」


 橘は涙声で謝罪の言葉を口にする。

 本当に辛そうだ。


 それにしても、どうしたものか。

 体育倉庫の床はコンクリート。

 他にも金属系の危ない物が多い。

 転んでしまえば、傷が残るような怪我をしてしまう。

 今はどうにかなったが、無暗に動くのは危ないかもな。


「一人で立てそうか?」

「足の感覚が……ないです」

「そうか」


 一度抜けてしまった力はそう簡単には戻らないのだろう。

 ずっと僕が抱きかかえている状態だからその言葉が真実だと分かる。

 まるで、体から魂が抜けた感じだ。


「本当に、本当にごめんなさい……」


 僕の肩に顔を埋めて泣き出す橘。

 肩が濡れる感触、密着してるから感じる震え。

 そして橘の重み。


「大丈夫だ。僕がいる。橘は悪くない」

「……」


 返事はなかったが、更に涙が僕の肩を濡らす感覚があった。

 これは相当だな。

 恐らく現状の怖さに加えて僕に迷惑をかけていることに、もう耐えることができなかったのだろう。

 橘は僕に弱さを見せたことも、迷惑をかけたこともなかった。

 それは橘が強い女の子だから。

 けど、橘は女の子。強くても女の子なのだ。

 完璧で感情のないロボットではない。


「落ち着くまで泣けばいい。僕は待つよ」

「……うん……」

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