51.「体育倉庫【1】」

 6月9日(火曜日)。

 本格的に梅雨の時期に入り、ここ一週間ほど雨が続いていた。

 そのせいで放課後、橘と二人三脚の練習が出来ていない。

 もちろん家では軽く練習するものの変化はなし。

 二人三脚で走るという次の段階に行けずにいた。


 しかし、今日は晴れ。

 グラウンドの地面は少し悪いが、二人三脚が出来なくもない。

 加えて、一週間前に体育祭の準備を沢山していたおかげで今日の放課後は空いていた。

 というわけで、現在二人三脚の練習中。


「やっぱり靴を履いてやると違うな」

「ですね。家より感覚は良い感じです」

「だな」


 靴下より靴でやる方がしっくりくる。

 現代は一日の間、靴を履くことが多いからな。

 靴を履かないのは家にいる時ぐらいだ。


「準備運動も終わったことだし、そろそろ速足でやってみるか?」

「ペースはどれぐらいでいきます?」

「一二、一二ぐらいでいいんじゃないか?」

「分かりました」


 橘はそう言うと自然に腰に腕を回す。

 僕の方も慣れた感じでお腹に手を回した。

 この距離感にも慣れたもの。

 家での練習は薄着だからかなり耐性がついた。


「じゃあ行きますよ」

「ああ」

「せーのっ!」


 数時間後。

 速足の練習が成功し、走る練習も成功。

 本番と同じくコーンを使った練習をしていた頃。

 もう空に太陽の姿はなかった。

 僕たちを照らすのはグラウンドの照明だけ。

 かなり集中していたようだ。


 運動部の姿はもうほとんどない。

 野球部と陸上部がトンボをかけて地面を整えている。

 それも終わりかけだ。


「そろそろ時間も時間だけど終わるか?」

「そうしましょうか」


 クールダウンのために二人三脚(歩き)をしながら、僕たちは練習で使った赤色コーンを回収。

 そのままコーンを直しに体育倉庫へ。


「最初に比べれば凄い成長だよな」

「転んでいたことが嘘のようです」

「確かに」


 僕はそう言いながら、おかしく笑う。

 それにつられて橘も笑みを浮かべた。


 ずっと練習していたからな。

 何度も転んで、何度も立ち上がって。

 それを繰り返し、ここまで成長した。

 継続は力なりと言うが本当なんだと実感する。

 でもそれは橘と一緒だったから。

 僕が何かを一人で挑戦することになっていても続くことはなかっただろう。


 何となく団体競技の部活をしている人の気持ちが分かった気がする。

 友達や仲間がいるから頑張れる。

 強くなれる。

 それは一緒に辛い思いをして励まし合っているから。


 これはずっと一人だった僕には分からなかったこと。

 橘も同じ気持ちだと思うが本当に良い経験だ。


「本番では一位を狙えるかもですね」

「もしかしたらダントツかもな」

「それは言い過ぎではないですか?」

「こんなに練習しているんだ。自信を持ってもいいと思うぞ?」

「そうですかね? 本番に限って転んだり――」

「しない! 絶対にさせない!」


 はぁ……何でこうも変なフラグを立てようとするのか。

 全く、困ったものだ。


「でも、転んだ方が注目が浴びれるのではないですか?」

「それが嫌だから練習を始めたんだろ?」

「いえいえ、ただ普通に楠君と二人三脚の練習がしたかったからですよ」

「そ、そうなのか」


 てっきり本番で転ばないためだと思っていた。

 実際、僕はそのために練習してきたつもりだ。

 と言っても、今ではその心配もないほど安定感がある。

 今日も転ぶことはなかったしな。


「それより何で転んで注目を浴びたいとか思ったんだ?」

「あーそれは楠君のお茶目な姿を見れば、楠君に友達が出来るかなと思いまして」

「はぁ……何だそれは。僕は橘一人で友達は足りている」


 僕がそう答えると橘が急に止まった。


「あっぶなぁ! 急に止まるなよ」

「す、すみません」


 そう言う橘の頬は少し紅潮していた。

 僕なんか変なことを言っただろうか?

 もしくは何かが視線に入ったか?

 考えても分かりそうにない。

 でも、一つ分かっていることがある。

 それは橘が時々このように頬を染めることがあるということだ。

 それもよく分からないタイミングで。

 一体、何が原因なんだろうな。


 僕たちは無言のまま体育倉庫に到着。

 薄暗い中に入って赤いコーンを奥にある定位置に戻す。

 そんな時だった。


「誰だよ、体育倉庫の鍵を開けたままにしたのは」

「わりー、先生に呼び出されてた」

「もうおせーよ!」


 ――ガチャ……。


「サンキュー! アイスでも買って帰るか?」

「奢りな」

「マジか……まぁいいけど」


 そんな陸上部の男子部員二人の声は遠ざかっていく。

 一方、僕たちはコーンの位置から動けずにいた。

 声も出ない。

 色々と頭が混乱している。


 そう思っていると橘が口を開く。


「あの……鍵を閉められた気がするのですが」

「閉められた気じゃないと思うぞ」


 そんな会話を交わし、また沈黙。

 数秒後、同じタイミングで僕と橘は口を開いた。


「「えっ?」」

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