32.「第一回 中間テスト勉強会【3】」

 三時間という長い長いテストが終わり、僕は冷蔵庫からお茶を取り出してコップに注いでいる。

 一方、橘の方はテストの採点中。


「はぁ……腰痛い」


 ずっと同じ体制でいたせいか腰が痛い。

 後、首と肩も。

 今日はお風呂でほぐさないとな。


 僕はトレイにお茶が入ったコップを二個置き、部屋に戻る。

 部屋に入ると橘はまだ採点中。

 邪魔しては悪いと思い、お茶だけテーブルに置いて僕はベッドに腰を下ろした。


 心の中で「ふぅー」とため息をつき、視線の先にいる橘を見つめる。

 珍しく真剣な表情の横顔はとても新鮮。

 加えて、伊達メガネが大人っぽさを醸し出していて本当に教師のようだ。

 まぁ服は可愛いモフモフのパジャマだけど。


 ボーっと橘の横顔を眺めること十分。

 採点が終わったのか、橘の表情から硬さが抜ける。

 同時に「ふぅー」とため息をつき、テーブルのお茶を一気に飲み干した。


「終わったようだな」

「はい、終わりました」

「で、どうだった?」

「……」


 そう聞くと何故か橘は黙り込んで、またむぅーっという表情をする。

 そしてそのまま立ち上がり、僕の方へ来て……


「楠君の……バカバカバカバカっ!」


 と言いながら、僕の胸元を両手の拳で殴ってきた。

 もちろん痛くない強さで。

 僕はその行動に驚き一瞬目を丸くしたが、何とも言えない可愛さに頬が緩む。


「な、なに笑ってるのですか」

「つ、ついな」


 可愛かったからなんて言えない。

 だから、僕は緩んだ頬を直しながらそう答えた。


「もしかしてバカにしてたのですか?」

「してないしてない。まず何で急に怒ってるんだ?」

「だ、だって! 楠君、学校休んでノートも取ってないのに全教科満点なんですよ!」

「満点だったか。それは良かったよ」

「良くないです!」

「えっ、何で?」


 自然とそんな問いが出た。

 恐らく僕の中で本当に意味の分からない回答が返ってきたからだろう。

 満点を取ったというのに何故か怒られたからな。


「何でってそれは……」

「それは?」


 僕はゆっくりと橘の言葉を繰り返し、その後の言葉を求める。


「それは……楠君が私より点がいいからです!」

「えぇ~」


 渋い顔で思わず呆れるような声が出る。

 いや、そんな理由かよ。

 子供か。一応子供か。


「意味が分からないです」

「こ、こっちのセリフなんだが……」

「楠君、いつも学年六位とかの点数だったじゃないですか」

「そうだな」

「で、私がいつも学年トップ。なのに……」


 悲しそうに顔を下に向ける橘。

 多分、僕に負けて悔しかったのだろう。

 それに橘は今日は先生として、僕に勉強を教えようとしていた。

 だというのに、僕の方が点数は上。

 加えて、満点という。

 教えることがない状況。

 むしろ橘が教えてもらうような状況。

 そらこうなるか。


「みんな完璧じゃないんだ。こういう時もあるさ」


 僕はそう囁きながら、橘の頭を優しく撫でる。

 何で撫でてるのかは分からない。

 でも、何となくそうしてあげたいと思った。


「あ、あの……」

「ん?」


 数秒後、橘は顔をあげて少し潤んだ瞳を僕に向けてくる。

 僕はそれに真正面から受け止める。


「楠君はいつもテストで手を抜いていたのですか?」


 その質問に僕は軽く目を逸らしたが「答えてください」という橘の力強い声が耳に入り、僕は頬をかきながら口を動かす。


「抜いていた。手を抜いていたよ」

「な、何でそんなことを?」

「僕はあまり目立ちたくないんだ。それに虐められていた。学年トップの点数なんて取ってみろ。絶対に虐めは過激化する」

「別にそんなことは――」

「あるよ。僕の点数が良ければ赤点ラインが上がる。それって虐めている奴らにとって都合が悪いだろ。中には頭の良い奴もいるだろうけど、そういう奴らのほとんどが勉強が得意ではないからな」


 僕がそう言うと橘はぽけーっと小さく口を開けてこちら見ていた。

 そんな発想がなかったのだろう。

 僕も中学の時に知ったことだ。

 まさか勉強しに行く学校で、勉強ができたら虐めが過激化するとは思ってもいなかった。

 だから、僕は中学時代からテストを本気でやることはなくなった。

 九十点前後しかとらないように心掛けるようになった。


「今日は勉強会終わるか?」

「え……あー、その今日は止めましょうか」

「分かった」


 僕はその言葉を聞き、ベッドから立ち上がって机の上を片付ける。

 橘は珍しく手伝わなかった。

 まだ頭が追いついていないのか。

 上の空。


「橘、大丈夫か?」

「はい、大丈夫です」

「ならいいが」


 口ではそう言っているが顔は大丈夫じゃない。

 はぁ……仕方ないな。


「何をずっと考えているんだ? どうせ『私のせいで楠君のテストの点数を落としてしまった』とかだろ?」

「なっ……わ、分かってしまうのですね」

「何となく分かるさ。とにかくもうそんなことは気にしなくていいから」

「で、ですが――」

「じゃあ、今回のテスト勝負しないか?」

「えっ?」


 僕がいきなりそんなことを言うものだから橘が目を丸くする。

 どうでもいいことをほど意外と解決するのが面倒。

 ならばどうでもいいことで解決すればいい。


「僕が勝ったら橘がこのことを気にするのは禁止な」

「では、私が勝ったら一生このことを気にし続けます」


 なんか意思が強いというか何と言うか。

 この問題ってそんなに重いか?

 ここまで気にしようとする人もなかなかいないぞ!

 橘のいいところでもあり、面倒なところだな。


「分かったよ」

「じゃあ私は勉強してくるので、これで失礼します」


 それだけ言い残し、持って来たものを手に持ち速足で僕の部屋から出て行った。


「何で自分で自分を苦しめるために頑張るかな……」


 そんなことを思いながら、僕はベッドに寝転んだ。

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