22.「新担任」

 5月13日(水曜日)。

 橘と校長の交渉成立から一日が経った。

 昨晩は外食後、タクシーで家に帰宅。すぐに就寝。

 で、今朝は汚れを落とすために入浴し、昨日同様に橘手作りの朝食を食べた。

 そして現在、昨日と同じように橘と一緒に登校している。


「昨日はよく眠れたみたいですね」

「そうなのか?」

「そうだと思いますよ。顔色がいいので」

「そ、そうか」

「はい!」


 嬉しそうな笑みを浮かべる橘。

 ずっと顔色が悪かったことを心配していたに違いない。


 てかさ、僕って顔色悪かったの?

 青色? 緑色? 黄色?

 どんな色してたんだろうか?


 それよりも確かに昨日はよく眠れた。

 恐らく校長室、高級料理店での謎の緊張感のせいで、無意識のうちにかなり疲れていたんだと思う。

 体力的ではなく、精神的な疲労には慣れているつもりだったが、新しい環境にはまだ慣れていないようだ。

 まだ橘の家に来てから一週間も経っていない。

 だというのに、色々ありすぎて気分は一ヶ月は経っている。


「そう言えば、珍しく昨日はあいつら静かだったよな」

「当然でしょうね。楠君を殺そうとした彼らには私が強く言っておきましたから」

「えっ、いつ?」

「楠君が眼鏡の女子にお姫様抱っこされている時です」


 お姫様抱っこされていたの見てたのね。

 いや、そら見てたか。

 落ちるところ見てたんだし。


「そ、そうなのか。それで何て言ったんだ?」

「それは……秘密です」


 橘は少し間を置きそう言うと、右手の人差し指を口元に当て、瞳が笑ってない笑顔を向けてくる。

 続けて「あ、猫ちゃんですよ、楠君!」と言い、近くにいた猫の話を始め出した。

 まるで、それは不自然と言わざるを得ない話の転換。


 ――絶対にヤバいこと言ったぞ、橘のやつ……。


 何言ったのかは想像つかないが、虐めっ子が一日にして関わってこなくなったんだ。

 それはもう……。

 でも、それが僕のためだと思うと少し嬉しい。

 今更感はあるけど、橘は彼らが僕を殺そうとしたことに耐えられなかったのだろう。


 その後、猫と少し戯れながら学校へ向かった。


 学校に着き、いつも通り上靴に履き替え、橘と教室へ。

 廊下には僕と同じ色の上靴を履いた新入生がもう初々しさを無くて歩いている。

 一ヶ月も経てば、これが普通だろう。

 確か僕が虐められ始めたのも去年のこの頃だったか。

 高校一発目の虐め行為である個室トイレシャワーが懐かしい。


「楠君、新入生がどうかしましたか?」

「あ、いや、別に。少し去年を思い出していただけさ」

「そうですか」


 そんな会話をしながら一年生のフロアから二年生のフロアへ。

 すぐに僕たちの教室である二年二組に到着。

 すると、橘が僕の前に立ち、扉を開けて先に中へ入っていく。

 続いて僕も教室の中へ。


「……」


 目の前の光景に目を疑った。

 教室の中はガラガラ。

 恐らく生徒は半分近くいない。

 橘が校長の前で上げた虐めっ子の名前は八人ほど。

 これは予想だが、その八人が表向きではあまり虐めに関与してなかった生徒のことをチクり、巻き添えにしたと思われる。


「楠君、校長は仕事が早いみたいですね」

「そ、そうみたいだな」


 昨日の今日だ。

 正直、早いというレベルではない。

 多分だが校長はあの交渉で何か悟ったのだろう。

 橘の言葉や態度を見て、迅速な対応を取らなければいけないと、な。


 僕はそんな考えを巡らせながら、未だかつて見たことのない教室を眺めている。

 昨日までの景色と違いすぎて、開いた口が塞がらない。

 別に目の前にオーロラがあるわけでもないない。宇宙人がいるわけでもない。

 けど、僕にとってこの景色は……絶景だった。


 教室を眺めているとチャイムが鳴り、前の扉から知らない女性教師が入ってきた。

 身長は高く、髪は茶髪ショート、スタイル良く胸もそれなりにある。

 見た目はとても若々しい。二十代前半だろう。


「みんな、席について!」


 僕は速足で席へ。

 って、新品の机と椅子だ。

 落書きも絵の具の後もない。

 いつ振りに木目を見ただろうか。

 ふわりと木のいい匂いが僕の鼻孔をくすぐる。

 好きな匂いだ。


「えっと、まず初めに榎本先生は諸事情により退職となられました。なので、今日からアタシがこの二年二組の担任です」


 それだけ言うと、僕たちに背を向けてチョークで黒板に文字を書いて行く。

 書き終わりと同時に振り返り、再び口を開いた。


「アタシの名前は桜木巫女さくらぎみこと言います。今、アタシは先生としてここに立っていますが、みんなとは友達としての距離感で接していけたらいいと思っています」


 そこで一息入れ、真面目な表情を緩め「そういうことなので、これからよろしく!」と元気な声でそう言う。

 同時に生徒からは少ない拍手が送られる。


「じゃあホームルームはこれで終わり。一時間目の用意して待っててね!」


 それだけ言い、桜木先生はホームルームが終わる前に教室から出て行ってしまった。

 教室の扉が閉まった瞬間、生徒同士の会話が始まる。

 もちろん話題は榎本先生の退職と桜木先生についてだ。


 僕の桜木先生の印象は適当な人。

 真面目に振る舞いながら、よく見ると雑なところが多い。

 ホームルームが終わる前に出て行く点。

 生徒に対してラフに会話を求める点。

 他にもブラウスのボタンが胸元まで開いてた点。

 髪が少しボサボサだった点など。

 感覚的には二度目の高校生活を送ろとしている感じがする。

 まぁ生徒には寄り添ってくれそうなので、榎本先生よりかは良いだろう。

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