14.「叫び」

 飛び降りるとはとても不思議な感覚だった。

 バンジージャンプはこんな感じなのだと思うが、何しろ今回は命綱なし。

 けしてゴムによって返ってくることはない。

 もちろんこの世界からも帰ってくることはないだろう。

 飛んでみて分かったが、何となく死ぬと確信した。


 目を閉じ、最後を迎えようとした時。

 僕の体は急に空中で停止した。


「楠君っ! な、なに……しぃ、てるのですかぁ!」


 聞き覚えのある声に視線を向けると、橘が必死な表情で僕の右腕を掴んでいた。

 体は半分以上、窓から出ており、今は銀の棒で体を支えている状態。

 このままでは橘まで地面に落ち、死んでしまう。


「君こそ何をしているっ! 離せ、死ぬぞ!」

「は、離しませんっ! ぜぇーったいに!」


 苦しいはずなのに、軽く笑みを向ける橘。

 でも、橘が僕を持ちあげることは不可能だ。

 この折れそうな腕、柔らかな手、小さな体。

 今このように僕を支えているだけでも、本当に奇跡と言える。


「パンティー丸見え〜」

「黒のパンティーとは大人だね、学級委員長」

「写真、写真!」


 そんなクソ野郎たちの声が橘の奥から聞こえてくる。

 恐らくこの態勢だとスカートが捲れあがり、パンツが普通に見えているのだろう。

 女子高校生のパンツだ。

 普段は滅多にお目にかかれない代物。

 クソ野郎たちのテンションがあがるのも仕方がない。

 だが、このままでは橘が可哀想すぎる。

 僕を助けるために被害を受けているのだ。

 それも年頃の女子としては、死にたくなるほどの恥ずかしい被害を。


「橘、もういい! 離せっ! このままじゃ――」

「だーかーらぁ! 離しません! それに……パンツは見せパンなので気にしてません!」


 そ、そのタイミングで見せパン発言するとは、な。

 こっちは驚きで一瞬、脳内が混乱したぞ。

 でも、見せパンならセーフか。セーフ!


「だとしても、何でそこまでする? 君が僕にここまでする理由などないだろ?」

「そ、そんなの……友達だからに決まってるじゃないですかぁ!」


 橘は「うぅっ~」と唸りながら、こちらに強い視線を向け、続けて口を開く。


「また、また! 私を一人にする気なんですか!

 私はやっと楠君という人を見つけたのですよ!

 あなたは大切な大切な友達で!

 あなたは私のたった一人の友達で!

 私の初めての友達!

 そんな楠君をまだ失いたくはありません!

 そ、それに私は楠君がいなくなるのは寂しいです……。

 だから……もうっ! もう私を一人にしないでくださいっ!

 それと……」


 一度息を吸い、大声こう叫んだ。


「もう少し……命を大切にしてくださいっ!」


 と、その瞬間、橘の「はっ!?」という声と同時に力が抜けたのか、滑ったのか。

 橘の手が僕の腕から滑り落ちるように離れる。

 こうなってしまえば、もう僕を支えるものはない。


 橘の気持ちは伝わった。

 まさかここまで思われているとは考えもしてなかった。

 橘は僕のことしか考えていなかったのに、僕は僕のことしか考えていなかった。

 命の使い道は個人の自由だと思っていた。

 でも、それは間違い。

 もう僕は橘に一度命を救われている。

 それはもう僕の命が少なからず橘の物に近いことを意味する。

 なぜなら、橘は失われるはずだった僕の命を自分の手で救ったのだから。

 それを早く知っていれば、こんな真似もしなかったんだがな。

 僕とはとても……とても大馬鹿ものだったようだ。


 体が落ちる。

 風と重力を受けながら、止まることはない。

 景色はゆっくりと動き、不思議と時間が遅く感じる。

 頭には母の顔が浮かび、懐かしの日常が駆け巡る。

 これは走馬灯か。それとも母が僕を呼んでいるのか。

 そう考えているうちに地面は近づいていく。

 足で着地も出来そうな気もするが、鳥でもないので空中では体のコントロールが効かない。

 このままだと背中から落ち、首が曲がって頭を打ち、死ぬに違いない。

 先ほど橘の言葉が蘇る。


 ――もう私を一人にしないでくださいっ!


 残念なことにその願いは叶えることは無理そうだ。


 もう落ちる。

 そして死ぬ。

 僕は最後に天を、否、橘を見上げ、口角を上げて瞼を閉じた。

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