10.「マイルーム」

 あの電車の一件からあまり会話することなく、僕たちが家に帰宅したのは午後六時頃。

 それから橘が夕食を作る間に僕がお風呂に入り、午後七時頃に夕食。

 で、午後八時。今に至る。

 洗い物が終わったのか、橘が結んでいた髪を外しながらこちらへ。

 同時に僕は口を開く。


「そう言えばさ、僕の服とかはどこに片付ければいいんだ?」

「もちろん楠君の部屋です」

「ぼ、僕の部屋? そんなものがあるのか?」

「はい。見ての通りこの家にはたくさん部屋があります。その一部屋を楠君の部屋にしました」


 確かにこの家にはたくさんの部屋がある。

 だが、橘の言っている言葉の意味が分からない。

 橘の「楠君の部屋にしました」という言葉。

 まるで、僕のために部屋を作ったような言い方。

 でも、ずっと僕と橘は一緒にいた。

 そんな時間はなかったはずだ。

 一体、どういうことなんだろうか?


 僕は不思議に思いながら、黙り込んでいると橘が口を開く。


「では、案内しますね」

「え、ああ」


 僕は軽く返事を返し、橘の小さな背中を追う。

 案内された場所は橘の部屋の横の部屋。


「ここです」


 そう言いながら、ゆっくりとその部屋の扉を開ける橘。


「えっ……」


 僕は目の前の光景に凍り付いた。

 だって、そこにはベッドや机、タンスなど、必要最低限のものが揃っていたのだから。

 橘は一人暮らしだ。

 間違いなくこの部屋を使っていない。

 まず使った痕跡すらない。


 もしかして、友達が出来た場合のお泊まり部屋とか?

 いや、あり得ない。

 それなら家具に埃を被っているはずだからな。

 さっきも言ったが、この部屋にあるものは全て新品。

 木の匂いまでする。


「入らないのですか?」

「え、いや――」

「もしかして、気に入りませんでしたか?」

「そ、そうじゃない。それよりこの家具はいつからあるんだ?」

「今日からです」


 は?

 何て言った?

 今日から?

 は?


 恐らく今の僕はかなり驚いた顔しているに違いない。

 頭がおかしくなりそうだ。


「い、いつ用意したんだ!?」

「実はですね。昨晩、知り合いの業者に頼んで、今日買い物しているうちに部屋に家具を置いてもらったのです」

「そ、そうだったのか」


 何がそうだったのか分からないが。

 知り合いの業者に頼んで、昼間に僕の部屋を作ったなんて、な。

 考えただけで冷や汗が出る。

 もう一度お風呂に入りたいぐらいだ。


「楠君の好みも聞かず、勝手に頼んでしまってすみません」

「いやいや、謝ることじゃない。こっちこそわざわざありがとうな」


 それにしても、本当に全て新品でピカピカ。

 家具だけじゃなくて部屋まで綺麗だ。

 クローゼットまであるし。

 橘の部屋とは違い、窓がないのは残念だけどそこは仕方がない。


 ところで、いくらしたのだろうか?

 五十万円? 百万円? それ以上?

 はぁ……僕は昨日、今日で橘にいくら出してもらったのだろう。

 貧乏だった僕からすれば、考えられないレベルだ。

 気になるけど、聞いたら胃が痛くなること間違いない。


「ふふっ、楠君。意外と気に入ってますね」

「な、何でそう思った?」

「少し口角があがっていたので」


 僕の口角があがっていた?

 信じられない。

 笑顔の仕方なんて、もう忘れたさ。


「気のせいだろ。そんなことより僕は今日買った物を持ってくるよ」


 僕はそれだけ言い残し、なぜか嬉しそうに笑う橘を軽く見て部屋を出るのであった。

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