5.「フカフカベッド」

「そろそろ眠たいのだが、布団とかはあるか?」

「はい、こちらです」


 僕が目を擦りながらそう言うと、橘は立ち上がり寝床だと思われる場所に案内する。

 しかし、この家は広いな。

 一人で暮らしていると言っていたが、僕が住んでいた一軒家より広いのではないかと思ってしまう。

 いや、実際広いはずだ。

 家具も必要最低限で、綺麗に部屋が整っている。

 ゴミ、否、チリ一つなく、とても綺麗。


 家の中を見渡してそんな感想を抱きながら、橘の背中を追うとすぐに橘の足が止まる。

 そして目の前の部屋の扉をゆっくりと開けた。


「布団ではなく、ベッドなのですが大丈夫でしたか?」

「ああ、大丈夫だ。ベッドなんて初めてだけどな」


 ずっと床に布団を敷いて寝ていた。

 ふかふかベッドには憧れはあったが、そんなものを買うお金は僕の家にはなかった。

 だから、少し楽しみ、ワクワクする。


「モチモチのフカフカなのでぐっすり眠れると思います」


 ベッドを押しながら、僕にニコニコとした笑みを向ける橘。

 本当に気持ち良さそうだ。

 弾力が見るからに半端ない。


 それにしても、この部屋だけ物が多いな。

 部屋の色もキッチンとは違い、薄いピンクに染まっているし。

 クマのぬいぐるみや丸いウサギのクッション。

 可愛い物がよく目に入る。


「なぁ、ここって寝室だよな?」

「ええ、一応そうですけど、私の部屋でもあります」

「……」


 橘の後半の言葉に僕は言葉を失う。

 私の部屋?

 つまり、橘の部屋?

 だから、こんなに可愛らしいのかぁ~。

 って、じゃない!


 いきなり自分の部屋に入れるとはどういうつもりだ。

 警戒心の欠片もない。

 見られて恥ずかしいものとかはないのか?

 エロ本とか……いや、男の部屋ではあるまいし、それはないか。

 ならBL本か?

 いや、こんな可愛いクマのぬいぐるみにBL本があるわけもないか。


「どうかされましたか?」

「橘は何で自分の部屋に僕を案内した?」

「それは寝る場所がここしかないからです」


 なるほど。

 シンプルな理由だ。

 何も言い返せない。


「で、ベッドは一つしかないが橘はどこで寝るんだ?」

「もちろん、このベッドです」

「ん? 僕はどこで寝る予定だったけ?」

「もちろん、このベッドです」

「ということは、二人でこのベッドで寝ると?」

「そうですね。ダブルベッドなので二人でも狭くないと思いますよ」


 言葉と同時に純粋な笑顔が飛んでくる。

 完全に二人で寝ることになっているだがどうしたものか。

 橘は僕を誘惑しているわけではない。

 これは単純にベッドが一つしかないから一緒に寝ようと言っているだけなのだ。


 しかし、僕も年頃の男子。

 それを何とも思わないわけではない。

 とてつもなく困っている。

 同い年の女子から今同じベッドで寝ようと言われているのだから無理もないだろう。

 別に何もする気はない。本当にない。

 まず唯一の友達を襲う勇気などない。

 そんな勇気があったら一緒にお風呂に入っている。

 とにかくどうにかしないとな。


「僕は床で寝るよ」

「なぜですか? 私の寝相はイイ方ですよ?」

「いやいや、そういう問題じゃ――」

「何か問題でも?」


 僕の言葉を遮り、そう問いながら不思議そうに首を傾げる橘。

 本当にベッドを目の前に何も頭に浮かばないのか。

 信じられない。

 正直、察してほしいのだが無理そうだ。


「ほら、男子と女子でベッドで寝るのは……な?」

「ダメなんですか? ルールがあるとか?」

「特にそんなルールはないが、嫌じゃないか?」

「全然嫌じゃないです。むしろ嬉しいです。いつも一人で寝ているので、えへへ」


 斜め下を見ながら、頬を人差し指でかく橘。

 何だ、その仕草は……普通に可愛い。

 なんかこんな純粋な姿を見ていると、自分が橘と一緒に寝ることを拒んでいるのが、バカバカしくなってきた。

 一緒に寝て喜ばれるなら、養われる恩返しにもなるだろう。


「そうか。僕も最近はいつも一人だったよ」

「一人は寂しいですよね」

「だな。まぁそろそろ寝ようか」

「ですね」


 僕は初めてのベッドに入る。

 モフ、フワ、モフモフ、フワフワァ~。

 手から足、それから全身にその感触が伝わってくる。

 超柔らかいわけでもなく、何とも心地良い柔らかさ。

 恐らくそれを実現しているのはこの弾力。

 押された分だけしっかり押し返してくれる。

 まるで、大きなマシュマロに包まれているような感覚。

 何という気持ち良さ。

 こんなものがこの世にあったとは、まだまだこの世界に生きる価値はあるな。

 はぁ……気持ち良すぎて布団がダンボールに思えてくる。


 続けて頬が緩んだ橘もベッドの中へ。

 すると、何故か近付いてきて小声で話しかけて来た。


「どうですか? モフモフでしょ?」

「ああ、ぐっすり眠れそうだ」


 僕も小声でそう返す。

 そして「おやすみ」と言い、「おやすみなさい」という柔らかな声を聞いて、僕は橘の顔を数秒見つめて瞳を閉じた。

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