まずい中華屋

@kaede0808

まずい中華屋

「ものすごくまずい中華屋があるんだけど、行ってみない?」と、友達に言われて私は「行ってみよう」と即答した。

そのお店は歩いて30分のところにあった。友達は私にその中華屋がいかにまずいかを熱心に話した。特に麻婆豆腐がおいしくないらしい。友達は10年ほど前にはじめて行って、それ以来一度も行ったことがないらしいのだが、とにかく、私は話を聞いていてわくわくしていた。今どき、おいしくない料理屋を探す方がむずかしい。

その中華屋はしかし見た目は立派だった。小奇麗にしているというわけではない。むしろ清潔感に欠けていた。看板の文字は剥げていて読めないし、店内はぜんたいてきに油でまみれていた。手書きのメニューは端が少し焦げている。けれどそれが返って食欲をそそった。

私たち以外に客はおらず、店内には年老いた夫婦と、その息子らしき人物がいた。彼らはテレビを観ていて、私たちが入ってくると一瞬すこし驚いた表情をした。「いらっしゃい」の言葉もなかった。私たちは戸惑いつつもカウンターの席に黙って座った。しばらくしたらお水が出て来たからいちおう客として認識されているのだろう。

友達はチャーハンを頼むと言った。私はもちろん麻婆豆腐定食だ。生まれてからいままでおいしくない麻婆豆腐など食べたことがない。十年前に友達はその麻婆豆腐を半分も食べられなかったらしい。私は義務感に駆られた。そんなものは私が必ず食べなければならない、と。そして少し不安も抱いていた。友達はまずいまずいと繰り返し言うが、じっさいに食べてみると普通においしいのではないか? 普通に考えてまずい中華屋が何十年もお店を続けられることなどできるはずがない。私たちは無愛想な店主に注文し、それから特に喋ることもなく料理が来るのを待った。

まずチャーハンからやってきた。昔ながらのチャーハンといった感じの色合いだった。やたらと赤みがかっていた。健康には悪そうだが、おいしい食べ物は得てしてそういうものだ。それから麻婆豆腐がやってきた。しかしまず視界に入ったのは麻婆豆腐の隣にある白いご飯だ。いくらなんでも多すぎる。壁に大盛りは50円増と書いてあるが、もしかして間違えて大盛りを注文してしまったのだろうか? そんなはずはない。よく見てみるとチャーハンの量も相当なものだった。ここは安さと量を売りにしているのだろうか。近くの大学に住んでいる学生向けに親切で赤字覚悟でやっているようなお店。そんな想像をしてしまう。

まず友達がおそるおそるチャーハンを一口食べた。しばらくの間があった。表情が変わらない。私はそれを黙って見つめる。後ろで流れているテレビの音だけが響く。それを観ている店の親子がぶつぶつ喋っている。「もう七時になったんけ」「うん。お母さんチャンネル変えて」「ああ、広瀬すずちゃん出てるやん。かわいいねえ」「この子は朝ドラに出てた子かね」友達はまだ喋らない。

そんなにまずいのだろうか。冗談で、ちょっとした悪ふざけで、あえてまずいものを食いに行こうなんて誘った自分の愚かさを恥じているのだろうか。友達は、私を一瞥して、それから、言葉を慎重に選んでいるようだった。お水を一口飲んで、一口で飲みほして、またいっぱいにお水を注いで、それもまた一口で飲みほして、もう一度チャーハンを食べた。そしてひとりごとのように言った。

「……おいしい」

そう言ってからは止まらなかった。ほとんど私の存在を忘れてしまっているようだった。食べて、食べて、食べ続けていた。途中で何かを思い出したかのようにスマートフォンを取り出し、写真を撮った。そしてまた食べはじめた。

なるほど、やはりこの中華屋はそれほどまずいというわけでなく、むしろおいしい部類に入るお店なのだろう。友達が十年前に食べたときの記憶は、時間が経つにつれて少しずつ歪曲され、妄想に変わっていったのだろう。もちろんそれは意図してできることではない。そういう物語にしたほうがきっと都合がよかったのだ。私はなんだか拍子抜けしてしまって、同時に安心して麻婆豆腐を一口食べた。

口に入れた瞬間は気が付かなかった。というか、何が起こったのかよくわからなかった。自分がなんという行為をしているのか、よく思い出せなくなった。何かが私を刺激していたが、それがなんなのかわからなかった。そうだ。私は麻婆豆腐を食べている。口に入れて、それがいま、広がっているのだ。そしてそれは、いままで感じたことのない感覚だった。どういうことか。私はお水を飲んだ。先ほど目の前の友達がしたように。それから、再び麻婆豆腐を食べた。そしてようやく気が付いた。なんというか、これは、とてもまずいのだ。

まずいというか旨味がないと表現したほうが正しい気がする。おそらくたくさんの食材が使われているのに、そしてその一つ一つに旨味があったはずなのに、それらが合わさってすべてをだいなしにしている。奇跡のようだった。とろみが絶妙に気持ち悪く、食べるたびに吐き気を催す。口に入れるとすぐに身体が反応して自動的に吐きだそうとしているみたいだった。

友達は気が付くとチャーハンを食べ終えていた。私は、吐き気を押し殺しながら食べていたが、半分を食べ終えたころには限界が来ていた。一口食べるごとにお水を飲んでいたからお腹はいっぱいだった。食べ物を残すことはできるだけしたくなかったが、もはやそんなことはいってられなかった。私は友達に向かってもう行こう、といって立ち上がった。

「いやー、チャーハンおいしかった」

店を出、友達は感動しているかのようにしみじみ言った。確かにチャーハンはおいしそうであった。しかしそもそもはお前がまずい中華を食いに行こうと言ったのではないか。そんなことは忘れたかのように満足している友達を見て苛立ちを覚えたが、それと同時に私は正体不明の幸福感につつまれていた。

ほとんど私たちがやったことは当たり屋みたいなことで、傍から見れば悪趣味でしかないのだろうが、まずいものを食べに行き、じっさいにそれがまずかった。それが何故かとてもうれしい。お水で口をきれいに流したつもりなのにまだあの麻婆豆腐の不愉快なとろみが残っている。気持ちが悪い。と同時に、とても気持ちいい。どうしてかなつかしい気持ちになった。私は子どものころを思い出していた。ピーマンが嫌いで母親に怒られながらまずいまずいと思いながらも細切れにして何とか飲みこんでいくあの感じだ。嫌な思い出も時間が経てば何もかもが愛おしくなっていく。

11月の夜は暗い。夜といっても季節によってまったく別物だ。もうすぐ吐く息が白くなるだろう。私は途中で友達と別れたあと、口直しに自動販売機で缶コーヒーを買って、中華屋のことを考えた。

きっともう二度と行くことはないだろうあの中華屋。きっとこれから私はあの麻婆豆腐よりおいしい物をたくさん食べるだろう。しかし今日食べた麻婆豆腐のことは、きっといつまでも忘れずに私の中で残る気がする。忘れようとも忘れられない。それがいいことなのかわるいことなのか。その判断はいったん保留にしておきたい。というか、そんな判断はする必要がない。すべてはただ流れていく。

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