2.人類の生存に希望の光を差す接触とはならなかった

せっ‐しょく【接触】

①近づきふれること。さわること。「電球の―が悪い」「―事故」

②他人との交渉を持つこと。つきあうこと。「―を保つ」


「広辞苑」(第六版)より抜粋

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 アジャイは街を駆け抜けた。この福音を皆に知らせる必要が有った。でも、誰に? 誰でもいい。誰かに知らせれば、その人が更に誰かに知らせ、その輪は少しずつ広がって行くはずだ。その小さな波紋が、やがて大きなうねりとなり、いつかはこの国を動かす様な怒涛となるかもしれない。自分は、この何もない静かな湖面に投げ込む石を受け取ったのだ。

 角を曲がると、井戸から水を組み上げている婦人が居た。婦人の方は、突然現れたアジャイにびっくりした様子であったが、魔物ではないことを認めるとホッと胸を下した。

 「人類の反撃が始まったよ!」

 「何だって? 反撃がどうしたんだって?」

 「日本だよ! ロボットだよ! 日本製のロボットが魔物をやっつけるんだよ!」

 婦人が次の質問をする暇も与えず、アジャイは走り去っていった。婦人は暫く、彼の言った言葉の意味を考えていた。


**********


 それまでに、何人かのアマチュア無線局とは接触出来ていた。同じくインドのデリーに住む男性、スウェーデンの女性、それからシリアの男性は、放棄された政府軍の通信設備を使って交信していた。しかし、どの局も、人類の生存に希望の光を差す接触とはならなかった。しかし彼は、どうしても諦めることが出来ず、今日も国外との長距離通信が可能な周波数帯をサーチしては、新たな情報源を探索していた。自分には力が無い。魔物を倒すことも出来ない。だが、世界中と交信できる無線機が有るではないか。そうして得られる情報によって、この状況が幾らかでも良い方向に向かう可能性が有るのなら、それをやめることは出来なかった。

 そんな彼に、過去にコンタクトしたことの無い新たな無線局が、アクセスを申し出て来た。イヴたちの通信部門であった。

 「ハローCQ ハローCQ、こちらは、セブン キロ スリー ケベック ロメオ ホテル、7K3QRH。アフマダーバード、インドです。432.96 432.96にてコンタクトお願いします」

 暫く待っても反応は無かった。アジャイは再びコールした。

 「ハローCQ ハローCQ、こちらは、セブン キロ スリー ケベック ロメオ ホテル、7K3QRH。アフマダーバード、インドです。どなたかお聞きの方いらっしゃいましたら、交信お願いします。受信します。どうぞ」

 「7K3QRH、こちらは、ホテル アルファ ワン ゴルフ ホテル ケベック、HA1GHQ。よろしくどうぞ」

 「やった!」

 アジャイはガッツポーズを決めた。

 「HA1GHQ、初めまして。こちらは、7K3QRH、アフマダーバード、インドです。名前はアジャイと申します。今後とも宜しくお願いします。どうぞ」

 「了解。7K3QRH、インドのアジャイさんですね。こちらは、HA1GHQ。ヒューマノイド軍司令本部です。これから私の言うことをしっかりと聞いて下さい。どうぞ」

 「はい?」

 「現在日本では魔物が駆逐されつつあり、戦闘が終息段階に入っています。我々は海外への展開に着手しています。どうぞ」

 「何だって? 魔物が駆逐されつつあるだって!?」


**********


 日本からもたらされた情報は、アジャイを驚愕させた。そんなことが可能なのか? 悪い冗談ではないか? いや、かつての工業先進国であった日本なら、あり得ない話ではないのかも。いずれにせよ彼は、その情報を信じることにした。何故なら、それを疑ったところで得る物は何も無いし、信じたところで失う物は何も無いからだ。であれば、疲弊する生存者に一縷の希望を与えることで、生き残りをかけた戦いへの活力とすることが、彼にとって最善の方策と言えた。それ以降、彼は毎日ヒューマノイド軍との連絡を密にし、戦況の情報更新を怠らなかった。同様に、各国のアマチュア無線局とのコンタクトも絶やさず、非常に小さな矢印ながら、同じ方向を向くベクトルが世界各国に形成されつつあった。

 とは言え、インドに限らず、他の国においても、人々の反応は冷淡であった。ロボットが軍隊を形成し、魔物と闘っているなど、荒唐無稽な冗談としか受け取られなかった。それでもアジャイは諦めることなく、情報を流布し続けた。インドと言えばソフトウェアの領域では世界の最先端国だ。日本に比べればハードウェアの工業基盤は脆弱かもしれないが、この国でも同様の対抗手段を実現できる可能性は有る。そのためには、それを成し得る人に、それを成そうと思って貰う必要が有る。アジャイに出来るのは、そういった人々に “腰を上げて貰う” ことしか無いのだ。

 こうしたアジャイの努力の甲斐もあって、一部の人々は、ヒューマノイド軍の奮闘を周知の事実として ―― 相変わらず洟も引っかけない様な態度の人が多いことには変わりはなかったが ―― 受け入れ始めていた。そういった “希望を持つことを恐れない” 人々に朗報がもたらされたのは、アジャイと日本が繋がって暫く経った頃のことであった。


 「それは本当かい! どうぞ」

 「えぇ、本当よ。我々はベトナム、カンボジアを抑えたわ。ここからは南下する部隊と西進する部隊に分かれる予定よ。どうぞ」

 「ってことは、もう直ぐインドにもやって来るってことだよね? どうぞ」

 「もう直ぐ、って約束は出来ないけど、その方向なのは間違いないわ。どうぞ」


 今日の通信を終えたアジャイは街に飛び出した。皆に知らせねば。

 彼の話に好意的な人々は「本当かい!? そりゃスゴイ!」と言った。あまり好意的ではない人々は「あぁ、そう。そりゃ良かったね」と。批判的な人々は「うるせぇ! あっち行ってろ!」と返した。それでもアジャイは気にしなかった。ヒューマノイド軍がこちらに向かって進軍してくるという事実だけで、彼は有頂天になれた。そして思い出した。街の外れに住む祖母にも、この話を聞かせてやろう。彼が無線機にかぶりつくようになって以来、ずっとご無沙汰していた、一人暮らしの祖母だ。一人ぼっちにさせてすまないと、日々心の何処かで詫びていたのだ。


 アジャイが坂を上り切ると、ガジュマルの脇に小さな平屋が見えて来た。それが祖母の住む家であった。そのガジュマルは、アジャイが子供の頃に登って遊んだ、思い出深い樹である。家の前の洗濯紐にはいくつかの服が干されていることから、元気でやっているようだ。それがかえって、今まで放っておいた自分に罪の意識をもたらした。玄関に駆け込むと、彼は声を張り上げた。

 「おばぁちゃん! 居る? アジャイだよ!」

 しかし返事は無かった。祖母の日課からすると、この時間帯に家に居ないはずは無かった。アジャイは玄関を出て、裏庭に回ってみた。最近、耳が遠くなって、声が聞こえないことが良くあるのだ。家の角を曲がり、そこから覗き込んだところで、彼は祖母を発見した。無残な姿で横たわっていた。そして、それを見下ろす魔物も同時に認めた。

 彼の頭に血が上った。怒りで我を忘れた。もう少しで日本製のロボット軍がやってきて、自分たちを解放してくれるのに。もうちょっとの辛抱だったのに。彼は家の外壁に立てかけてあった鶴嘴を手に取ると、魔物に向けて飛びかかった。

 「くそーーーーーっ!」

 彼が振り下ろした鶴嘴の先端は、魔物の肩に食い込んだ。しかし魔物は「グフッ」と喉を鳴らしただけで、平気な顔をしていた。次いで魔物がその右腕を振ると、アジャイは鶴嘴ごと数メートルほど吹き飛ばされた。その衝撃で何処かを痛めたかもしれない。しかし、そんなことに構っている暇は無かった。アジャイは再び立ち上がると、わきに転がっていた鶴嘴をもう一度掴み、更に魔物に向かって突進した。

 「うぁぁぁぁーーーーっ!」

 しかし今度は、アジャイの鶴嘴が魔物に届くことは無かった。それよりも先に、魔物の腕がアジャイのみぞおちに食い込んでいた。その鋭利な爪を持つ指は、彼の表皮を容易く突き破り、胃袋と一緒に、更に奥の脊椎を掴んでいた。強靭な力により、妙な形に変形させられた彼の背骨はその部分で断裂し、脳へと送られる信号の伝達経路が寸断されたことで、そこから下の感覚をアジャイは失った。それでも彼は力を振り絞り、絞り出すように言った。

 「俺たちは・・・ 人類は決してお前たちの前にひれ伏したりしない・・・ いつの日か必ず・・・」

 アジャイの口からは、切り裂かれた胃袋から逆流してきた血潮が噴出した。その血糊は魔物に吹きかかり、不気味な顔を赤く染めた。魔物は顔から滴る血液を、その舌で舐め取りながら、残る一方の手で彼の顔面を掴んだ。アジャイは叫んだ。

 「必ずだ! 必ず人類は、お前たちを殲滅する! もう直ぐだ!」

 熟れ過ぎたトマトを強い力で握ってしまったかのように、アジャイの頭が潰れた。

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