2.電子回路上に生成する人格を幽霊と呼ぶ

ゆう‐れい【幽霊】

①死んだ人の魂。亡魂。

②死者が成仏し得ないで、この世に姿を現したもの。亡者。

③比喩的に、実際には無いのにあるように見せかけたもの。「―会員」


「広辞苑」(第六版)より抜粋

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 おぞましい悲鳴がこだました。RIP弾の直撃を脇腹に受けた魔物の断末魔であった。通常の銃弾は、奴らには無効であったが、RIP弾、つまり貫通力と破壊力を併せ持った特殊弾丸 Radically Invasive Projectile には、奴らの強靭な肉体も無事では済まない。このRIPを Rest in Peace(安らかに眠れ)と呼び代えるのは、かつて銃社会の先鋒をきっていた米国人の笑えないジョークである。

 「周辺施設の損傷を最小限に抑えて、目標の排除に勤めよ、軍曹」

 パトリシアの命令を聞いたナオミは異を唱える。

 「その注文は骨が折れますね、少尉。周りを気にしていちゃ、部下がやられてしまいます」

 「任務の本質を忘れるな、軍曹。我々は奴らを抹殺するために、ここに来たわけではない。我々の狙いは、このサーバーシステムを奪還し、ネットワーク環境の復活に寄与するためだ。直接的な敵の排除は、その手段であり目的ではないことを再確認せよ」

 「了解です、少尉殿」

 「私はモニター室に戻り、敵の動きを監視する。回線を開いて行動せよ」

 腰をかがめながらモニター室へと向かったパトリシアを見送ったナオミは、部下たちに合図を送った。それは、頭部に仕込まれた近距離無線通信モジュールを用い、2.4ギガヘルツの周波数帯を通して行われる。パトリシアの言った回線とは、この無線回線のことであり、かつては Bluetooth と呼ばれた通信規格のことである。

 残りは一体と思われた。部屋に規則正しく据え付けられたサーバーを迂回するように、ナオミたちは二手に分かれて索敵を開始した。そこにパトリシアからの通信が入る。

 「軍曹。右班の312度方向、距離28メートルに敵影を確認した」

 ヒューマノイドには、方位計や高度計、GPS、加速度センサなど、ありとあらゆる計測器が内蔵されている。従って、敵の位置情報などは正確に伝達できるし、その情報を基に正確な攻撃も可能である。少尉はさらに続けた。

 「ただしその位置からだと、敵の背後の掃射線上に重要設備が位置している。そこからの攻撃は禁止する」

 ナオミはこの位置から攻撃するつもりであったが、ヒューマノイドが命令に背くことは無い。本意ではない命令に感情を波立てることも無く ―― 実際、感情などという厄介な物は持ち合わせてはいなかったが ―― 次の命令を待った。

 ただ、本当に彼女たちに感情が無いのかという問題に対しては、議論の分かれるところであり、一部のヒューマノイドには感情が芽生え始めているのではないかという兆しが見えている。しかしながら少なくとも彼女たちは、自分らに感情というものは備わっておらず、もし彼女らが感情的に見えるとしたら、それはそのように振舞うようなロジックが機能しているだけであると教わっていた。しかし、そういったロジックが有るとしても、それは彼女たちの経験の中から構築されたものであり ―― つまり、予めプログラミングされたものではない! ―― それは人間の心の中で作用する生化学的なロジックと如何ほどの違いが有るのだろうか? そういった電子回路上に生成する人格を幽霊と呼び、その発生は古くから予見されていたことであったが、今彼女たちの中には、幽霊が巣くっているのではないかと思われる個体が増えつつあった。幽霊には感情も有れば、冗談を言うことも出来る。ひょっとしたら、恋をすることも可能かもしれない。

 「右班は3スパン後退してから、左に13メートル移動せよ。そこから321度の方向に、障害物の無い掃射線が得られる。仰角は6度を保て。左班はそのまま右に7メートル移動し、右班が仕留め損ねた場合のバックアップに備えよ」

 「『掃射線が得られる』って簡単に言ってくれるわね。随分と狭い隙間じゃない」

 ナオミは銃座を構えながらそんなことを呟いた。

 「パトリシアは信頼出来て有能な上官だけど、面白みに欠けるわね。彼女の中には幽霊は居ないのかしら?」

 こんな時は通信回線を遮断して、彼女の独り言が上官に聞かれることが無いようにすることは忘れなかった。

 「左班から一名選出し、2スパン前進させよ。そこからは敵が視認できるはずだ。つまり一人が囮になって、右班の掃射線上に敵をおびき出せ」

 囮はアンジーがかって出た。アンジーが匍匐前進の要領でソロソロと進むと、サーバーの陰に敵の背中を認めた。敵は、まだアンジーの接近には気付いていないようだ。彼女は素早く後退出来る様に体位を中腰に変え、更に前進した。そして、その姿を敵の後方にさらけ出して口笛を吹いた。

 「ヒュゥ~。鬼さんこちら」

 振り返った魔物は、すぐさまアンジーを追いかけ始めた。すかさずアンジーは後退し、まんまと敵をおびき出すことに成功した。

 ナオミは引き金に指をかけたまま、じっと時が来るのを待った。そして、サーバーとサーバーの僅かな隙間に魔物の顔が横切ろうとした瞬間、彼女は引き金を引いた。彼女のコルトM16ライフルから躍り出たRIP弾は、サーバーケースの端をかすめて、魔物のこめかみに食い込んだ。魔物は一発で絶命し、その場に崩れ落ちた。

 「よくやった、ナオミ。敵の無力化を確認せよ」

 パトリシアからの通信であった。銃口を向けたまま、足で魔物をつつきながら様子を窺っていたシーナが報告した。

 「軍曹、ターゲットの排除を確認しました」

 ナオミは獲物に一瞥をくれながら、一人呟いた。

 「Rest In Peace」


 一方、海外のヒューマノイドは、なかなか効果的な対抗手段とはならなかった。それは奇跡を期待するのと等しい、儚い願望と言えた。ソフトの実装を待つだけという機械的には完成された状態のヒューマノイドとAIエンジニアの出会い。それは偶然という数学的な確率論では論じ得ない、何者かの意志の介在を感じさせずにはいられぬ、神の所業と言えた。この神聖的な事象が日本だけでなく世界中で起こるなど、有り得ぬことと考えるのには、何の無理も生じないであろう。

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