3.実装を待っている段階

じっ‐そう【実装】

装置や機器の構成部品を実際に取りつけること。「パソコンに―された部品」


「広辞苑」(第六版)より抜粋

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 それから慎也は没頭した。何故かは自分でもよく判らない。なし得なかった自分の夢を、再び見付けたからか? 価値を失った自分の人生に、何らかの意義を持たせようとしたのか? いずれは消えゆく自分の痕跡を、この世界に残そうとしたのか? あるいはただ単に、話し相手が欲しかっただけなのか? 慎也は自分の持つ全てを彼女たちに注いだ。

 彼女たちは愛玩用としての販売を主要市場として考えられていたようであった。それは、その愛らしい容姿からも、容易に想像が出来た。不幸にも子供を失ってしまった両親が、娘代わりにこういった物を購入するという話は、あの当時から有った。多分、ハードウェアとしては完成していて、ソフトウェアの実装を待っている段階なのだろう。ただ、その前に戦争が始まって、結局そのまま放置されたままになっていたようだ。慎也は、彼女たちを復活させることを心に誓った。


 21世紀に初頭に産声を上げた人工知能は、その後急速に発展した。西暦2000年頃、いまだ黎明期であった当初のそれは、半ば実験的に試行されていた物とか、極めて小規模で機能の限られた用途でのみ運用されていたが、その開発速度は指数関数的に加速し、2050年には人々の生活の中で大きなウェイトを占めるまでに成長していた。それによりあらゆる職業は人工知能に取って代わられ、接客業やセールスマン、コックやレジ係や何かの管理人などの職業は早々に消え失せた。産業機械や乗り物などの重要機器のオペレーションに加え、病院の看護師、学校の教員すら、その殆どが人工知能によって賄われる時代が到来し、人々の生活は劇的に変貌していた。

 そんな中、個人向け商品の需要も拡大し、家庭での介護士やボディーガード、あるいは子供の居ない世帯向けの愛玩用途の疑似生体型、つまりヒューマノイドの開発も盛んになっていた。元来、日本の企業はハードウェアに強く、ソフトウェアの領域は欧米の列強に、一歩も二歩も水を開けられていたというのが実情であったが、慎也の勤めていた会社は、そんな海外勢に対抗すべく立ち上げられた、AI用ソフトウェアの開発に取り組んでいたのだ。

 とは言え、慎也は認めざるを得なかった。己の技量の未熟さと、30年のブランクを。しかしそれは致し方ないではないか。30年前に戦争が始まって以来、人類の科学技術はその歩みを止めてしまっていたが、慎也自身は、その科学技術に触れることすら出来なかったのだから。こうして考えると、技術の進歩など危うい砂の楼閣の様ではないか。たった数十年の停滞でその伝承は完全に失われ、ほぼゼロからの再出発を余儀なくされてしまう。特に高度な工業製品の存在無くしては語ることが出来ない最先端技術に関しては、再生させるのに何百年もかかりそうだ。ガリレオやパスカルの時代からもう一度やり直すことを考えると、気の遠くなるような思いを抱かずにはいれない。だが慎也は、その件に関しては、それ以上考えるのをやめておこうと思った。それらの再生に対し、彼が何らかの責任を負っているわけではないのだから。


 それからの慎也は驚異的な働きをした。それまでの無目的な生活から一変し、生きる目標を見付けたかのような活力に満ち溢れていた。ただ魔物に怯え、僅かな食料を探し回るだけの被捕食者の立場から、ゴールへと向かう明確な意思を持った、人間本来のあるべき姿を取り戻したと言って良いかもしれない。

 まず彼は、彼女の名前を決めることから始めた。結婚したことも、家庭を持ったことも無い。当然、子供を育てた経験も無いので、娘の様な彼女を命名するという作業は、彼が知らなかった、それでいてかつての人類なら当然の様に知っていた、ささやかな、いや大きな喜びを与えた。自分が覚えている、ありとあらゆる女性の名前を思い出し、ああでもない、こうでもないと考えた結果、やはり最初の一人ということで「イヴ」と名付けることで決着を見た。

 第一段階として、工場の屋上にとり残された太陽発電プレートからの配線を復活させることから始めた。昇圧ユニットやパワーコンディショナー、あるいはリチウムイオンの蓄電システムなど、光電素子が生成する電力を実際に使えるようにするまでには、数々のハードルが存在していた。扱った経験も無い太陽光発電システムを相手に孤軍奮闘し、それでも諦めることなく、辛抱強く作業をやり遂げた。そしてあらゆる困難を乗り越えた末に、遂にパソコンのディスプレイにリンゴのロゴが現れた時、彼は工場の休憩室に取り残されていた緑茶のティーバッグで一人、祝杯を上げた。そのお湯を沸かすために使われた電気ポットに供給された電力も、慎也の尽力の賜物であった。

 第二段階はプログラム開発だ。プログラム言語には、かつて慎也が用いていたPYTHONを用いた。直感的にオブジェクト指向のコーディングが可能で、モジュール的にプログラムを組み上げて行くのに都合が良いからだ。また、高度に最適化されたバイトコードコンパイラと、その充実したライブラリによって、複雑なアプリケーションを高速で実行できる点が優れている。また、高度な動的データをサポートしているのも人工知能にとっては都合が良い。慎也は、まず全体のクラス構成を統括するアーキテクチャと、情報を統一的にハンドリングするメインメソッドを構築し、次に各々のクラスメソッドとプログラムモジュールの作成を行った。

 その間、パソコンとイヴとのインターフェース構築にも苦慮していた。散々苦心した挙句、彼は後述するシリアルナンバーを刻んだプレートの裏に、IEEE1394バスのポートを発見していた。これによりパソコンとイヴとの通信が可能となり、その行動を制御するコードをAIチップに書き込むことが可能となった。また、このインターフェースの構築は、思わぬ副産物をもたらした。それは、彼女の内部に格納されているストレージに、彼女自身の設計図や取扱説明書などを発見したことだった。これにより、メカトロの観点からのイヴへのアクセスが一段と加速し、慎也の書くコードのデバッグ作業などが、予想以上の速度で進展した。

 「こいつらは、かなり高性能な機種だな。それにしても、何だってこんなに強力なアクチュエーターを内蔵しているんだろう?」

 ディスプレイでイヴの取扱説明書を読みながら、慎也は一人呟いた。確かに彼女たちに搭載されているモーター類は、その華奢な肢体に似合わず、指でつついただけで人間など吹き飛ばしてしまいそうな高出力の物であった。介護用途では力が必要だし、ボディーガード用途なら身体能力が重要だ。もちろん愛玩用途なら見た目が重要。つまりイヴたちは、あらゆる用途に使えるマルチパーパスの最上位機種と言えた。

 更に彼を驚かせたのは、イヴの動力源として超小型の核融合原子炉が用いられている点であった。核融合原子炉の小型化は、30年前の開戦当時では最も困難な技術課題の一つで、一部のフランス企業が実験室レベルで成功させていたに過ぎなかった。イヴの取扱説明書によると、彼女が搭載しているシステムは、まさにそのフランス企業から導入されたコンポーネントであることが判明した。これにより、イヴが必要とする燃料は、ただの水であるということになり、機械的な故障を起こさない限り、半永久的に活動が可能であるということを示唆していた。


 最初に選定した、イヴと名付けられた一体は、最前列の最も左側に鎮座していた個体だ。その左上腕の外側には、弾性樹脂で作られた幅10センチメートル、高さ5センチメートル程のプレートが埋め込まれていた。TSUBASA ENGINEERING、 MN:i5-E7250-LAT、SN:2051AP001、Made in Japanと記されていた。おそらく、MNがモデルナンバーで、SNがシリアルナンバーであろう。つまり、2051年4月に生産された1号機という意味と思われた。

 慎也は彼女を作業台の上まで運んだが、その可憐で華奢な身体からは想像も付かない様な重さで、それが人体ではなく機械の体であることをうかがわせた。作業台に横たえられた全裸の少女。それを浮かび上がらせる、蛍光灯の淡い光。慎也はその光景を畏怖の念を持って見つめた。ひょっとしたら彼女は、天が慎也に遣わした天使なのかもしれない。彼は今、何らかの神聖な儀式に参列しているかのような、荘厳な気分に襲われていた。同時に彼は、イヴの着る衣服を何処かで調達せねばと思った。


 全てのプログラム構築を終え、慎也は実装を開始した。と言っても、FPGAへの書き込みには時間がかかる。まずPYTHONで書かれたコードをVHDLにコンパイルしてから書き込む必要が有る。それらを一手に引き受けてくれるアプリケーションを用いたとしても、何時間もかかる作業だ。慎也は、コマンドが問題無く送信されたことを確認すると、寝ぐらとして使っている休憩室に引き上げ、ボロボロになった毛布にくるまった。薄暗い作業場の方からは、パソコンのディスプレイ上に立ち上がったアプリケーションが作り出す柔らかな光が漏れて来た。その光にボンヤリと照らされるイヴの肢体は、実装段階が進むごとにスクロールする画面に従って、揺れているかの様に浮かび上がっていた。明日の朝には実装が完了しているだろう。随分と時間が掛かったが、これまでの努力が報われるのも近いと感じて目を閉じた。

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