第26話 三歳 秋(1)

 澄んだ空をいわし雲が流れていく。




 屋敷の屋根で寝転ぶ俺の頬を、秋風が優しく撫でた。




 涼しさと暑さの絶妙なバランス。




 まだ夏の余韻を残しながら、収獲の歓びに湧き立つ村々の熱気が、麦のかぐわしさと一緒にここまで伝わってくるようだ。




「ヴァレリー。そこは私の指定席でしてよ?」




 日向ぼっこの定位置を奪われたアコニが、口ひげをピンと立てて、不満げに呟く。




「早いもの勝ちだろ?」




「あら。あなたらしくもないですわね。レディーに譲るのが紳士というものですわよ」




「アコニこそわかってないな。男が頑な時は、俺に全てを委ねろってことさ」




 俺はアコニを抱き寄せて、掛け布団代わりに上に乗らせる。




 ちょっと前まではこの大きな猫すら見上げなければいけない身長だったが、三歳となった今ではちょうど釣り合いが取れていた。




「もうっ。私はそんな安い女では――」




「そんなこと言って、ほんとはこれが欲しかったんだろ?」




「ニャニャニャん。ニャー。全く悪いヒトですわね」




 ごちゃごちゃ言っていたアコニだったが、しばらく喉をゴロゴロしてやるとやがて大人しくなった。




 どこまでいっても、所詮は猫である。




「それで、ヴァレリー。いつものアレのことなのですけれど」




 アコニが恥ずかしげにそう切り出す。




「なんのことかな?」




「いじわるしないでくださいまし。ここに入っていると、私の鼻が告げていますの。ねえー。いいでしょう? 私にパピルナの木を融通してくださる約束なのですから」




 アコニが甘い声でニャニャーおねだりしてくる。




「これは俺が、パピルナの木をベースに自分で調合して魔力も込めた特別な香だ。約束のパピルナの木はちゃんと納めてるだろ? 約束は守っているぞ」




 俺はとぼけて言う。




「うう……やっぱりあれをしろというの。ひどい人。また私を辱めるつもりなのね」




 アコニが泣き真似をしながら、顔をクシクシとつくろう。




「アコニが美しすぎるのが悪いんだよ。身体の中までな」




 俺は慰めるようにその肉球を揉んだ。




 どういう仕組みなのかはしらないが、アコニに森で採れるムーニの実を食わせると、彼女の腸内で発酵し、とても香高い豆となって出てくることが判明した。




 地球にはジャコウネコの糞から取る最高級コーヒーなんていうものがあったが、あれの数倍美味い。




 特に、満月の夜に採取したムーニの実から作った一品は最高だ。水か、野草のハーブティーくらいしか出てこないこの家において、俺にとっては、もはや必需品となっていた。




 もちろん、ムーニの実を集めてきているのは妖精である。




「でも、考えてもごらんなさい。私のひり出した豆から淹れたお茶を、目の前でザラにおいしく頂かれる私の気持ちを。もう、恥ずかしいやら、腹立たしいやら」




「恥じることはない。誇るがいい。人間の腸からはあんな立派なものはできやしないぞ」




「うう……この家では贅沢品は禁止されておりましたから、私も安心しておりましたのに」




「他の貴族への贈答品に使えるからな。ザラの説得もあって、父も目を瞑っているようだ」




 アコニのように、基本的にケットシーは綺麗好きでプライドも高い。




 しかも彼女は最上位の高貴なクイーンの名を冠しているとなれば、自身がどこで排泄しているかなど、他人に教えはしないし、徹底的に隠蔽したがる性なのも当然だ。




 また、ムーニの実もどこでも採れるという訳ではなく、月光を溜めこむという性質上、森で採取したらすぐにケットシーに食わさないと質が劣化する。




『田舎に住んでいる都会的なケットシーしか作れない糞』。二つの矛盾した条件が相まって、通称『月の落とし物』は生産困難な最高級品となっていた。




「それがもっと嫌なのですわよ。私の糞が貴族の間で有名になるなんて、もしいつか中央に戻ったら、他の契約獣たちからなんて言われるか、考えただけでもぞっとします」




「まあザラも喜んでいるみたいだからいいじゃないか。契約獣と契約者は一心同体なんだろう? 協力してやれよ」




 名物の少ないこの田舎においては、季節の挨拶と一緒に同封できる洒落た贈り物なんてものは中々手に入らず、ザラも色々苦心していたらしい。




「ザラも私をからかって楽しんでいるんですわ。全く、素直な人ばかりでやりやすいお家でしたのに、ヴァレリーのせいで、ザラが二人になってみたいで全くいい迷惑です!」




「ほう。俺がいないとこれもなかったんだがな?」




 俺はやおらアコニが欲していた香を彼女の鼻先に近づけた。




「そうやっていつも誤魔化して! ――ああ! でも、この香り、ああ、ダメ! もう離れられない!」




 アコニがもだえながら屋根の上を転がった。

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