第8話 魔法
チュチュチュン!
と、すかさず母の契約獣たるブルーバードが飛び出てきて、その羽で破片を弾いて俺たちの身を守る。
「ひゃっ! どうしたの!?」
騒音に身体を起こす母。
「だぁ……」
俺は、説明する代わりに、もはやただの革紐の首飾りになった元アミュレットを掴んだ。
意図しないエラーとはいえ、兄から貰ったばかりのプレゼントを壊してしまったのだ。
ここまでお行儀の良い赤子だった俺ではあるが、ついに初めてのお叱りを受けるだろう。
「まあ! まあ! まあ! まあ! ヴァレリー! まさか、あなたがこれをやったの!?」
しかし、俺が予想していた反応とは違い、母が示したのは歓喜。
「ひょっとしたら、あなたにはサージュ様のような魔法の才能があるのかもしれないわ! だとしたら、これはとても素晴らしいことよ! ちょうど、今日は、サージュ様が賢者様から家庭教師をお受けになる日だったわね……」
今すぐ外に飛び出して行きそうな勢いだった母は、それでも部屋の中を行ったり来たりしながら、律儀に時を待った。
「では、サージュ様。次回までに、ワシが申し上げた課題を」
「はい。お師様」
ドアに耳をくっつけて、聞き耳を立てていた母は、その声が聞こえて瞬間、俺を抱えて慌てて部屋の外に飛び出した。
「あ、あの、賢者様、サージュ様、少々お時間頂いてもよろしいでしょうか!」
別れの挨拶をしているサージュと、賢者と呼ばれた『いかにも』な白髭の老人に声をかける。
「これは、カチュア夫人。もちろんです」
「どうしたの?」
「あの、この子が、サージュ様から頂いたアミュレットを壊してしまったのです! それで、自分でも親馬鹿だと思うのですが、かつて、アレリア十二将の『大賢者エレミヤ』の赤子の頃の『要石を壊す』の逸話を思い出しまして、もしやと思いまして――」
こちらに意識を向けた二人に、母がおずおずとそう切り出した。
「ほうほう。それはそれは。では、ワシの力の及ぶ限りで検分致しましょう。アミュレットの破片はありますかな?」
「これです」
母はカーディガンのポケットからアミュレットの破片を取り出して、賢者に差し出した。
「ふむふむ。なるほど……。なるほど……。――サージュ様、魔力判定の練習です。弟君がアミュレットを壊した原因が、お分かりになりますかな?」
賢者は一瞬で答えを得たらしく、手にした破片をそのままサージュへと渡した。
「はい、お師様。……ヴァレリーは、無属性? このアミュレットは主要四属性にしか対応していないから、エラーを起こして壊れた」
サージュが確かめるように呟いた。
「おお! お分かりになりますか。左様。この子は無属性で相違ありません」
賢者が弟子の答えに満足げに頷く。
「無属性! あの、浅学な私のうろ覚えなのですが、ヒューマン種には極めて無属性は稀なのですよね。確か、万に一人の才能とか」
母が目を輝かせる。
「左様。エルフには多くみられるが、ヒューマン種には極めて少ない属性ですな」
「確か、大賢者エレミヤ様も無属性魔法の使い手でしたわよね。では、この子にも、大賢者になれるほどの魔法の素質がありますか?」
「いえ、その、申し上げにくいのですが、アミュレットを見る限り、残念ながら、それには魔力量が足りぬようです。決してこの子の潜在魔力量は低くはないが、無属性魔法は『何でもできる』代償に、魔法を現象に変換するにあたって、他の属性より膨大な魔力を要求されますからな。大賢者は、無属性でありながら、エルフ以上の潜在魔力を備えた、例外中の例外であられた」
賢者が静かに首を横に振る。
「僕たちヒューマン種がエルフ以上の魔力を持つ確率もまた、万に一つほど。さらに、それが同時に無属性である確率だと、億が一つになる。ほとんど、奇跡だよ」
「その通りです。サージュ様のような膨大な魔力に恵まれながら、その上さらに無属性を得るのは、奇跡なのです。そうそうあり得ることではございません」
賢者が諭すように呟いた。
つまり、サージュはそのエルフ以上の潜在魔力を備えた方の『万に一人』ということらしい。
これはメディス家も安泰か。
「それでは、あの、ヴァレリーの将来はどうなるのでしょうか。私には、無属性の魔法を使う職というと、旅一座の奇術師くらいしか思い浮かびません」
母が心配げに呟く。
色々、考えすぎだと思うが、本来、母とはこのようなものなのだろうか。
「いえいえ。良い契約獣に恵まれれば、英雄は無理でも、近衛としての道はありましょうぞ。無属性は魔法の特性が読めない故に、対策も取りずらい。少人数相手での戦闘ならば、日の目を見ることもありましょう」
賢者は優しげな口調で呟くが、その言い方はどうにも気休めにしか思えない。
「兄さんたちみたいに、魔法ではなく、剣の才があるかもしれないよ」
サージュも、賢者に追随するように付け加える。
「そうでしょうか……。アレン様やデレク様は、赤子の頃より、お父様譲りのご立派な体格を備えられておりました。ですが、この子は私に似て線が細く、どう見ても、そのような荒事に向いているとは思えません」
「赤子には無限の可能性がありまするぞ。これはワシの名に誓って申し上げるが、世界中旅をしてきたワシにも、このような美しい赤子はついぞ見たことがない。それこそ、万に一つではない、億が一つの美形です。これに無属性の万が一の偶然。二つの偶然が重なれば、これもある意味で奇跡と申せましょう。さすれば、大賢者エレミヤ様とはまた別の類の大英雄になられるやもしれません」
賢者はそう言って、答えになっているのかなっていないのかわからない言葉を繰る。
長く生きていれば、こういう親馬鹿のあしらいにはなれているのかもしれない。
「はい……。ありがとうございます。お時間を取らせて申し訳ありませんでした」
母は深々と礼をして、すごすご部屋に引き上げた。
どうやら、明らかにがっかりしているようだ。
しかし、一方、当の俺本人は、全く別の感想を抱いていた。
(将来は奇術師? 悪くないな。俺にぴったりだ)
話のとっかかりとして女の気を引くのに、手品や記述の類は中々有効な手段である。
旅一座によくいるようなのならば、色々な派手な自己演出にも使えそうだし、遊び心もありそうだ。
そもそも、俺は元々軍人になるつもりはないし、大賢者にも興味はない。
傍目にもそれらの才能がないならば、両親が俺に変に期待することもないだろうし、むしろ人生の自由度は上がったのではないだろうか。
そんなことを考えながら、俺は、きつく抱きしめてくる母の頬を、慰めるように撫でつけていた。
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