第7話 無聊

 赤子とは、すなわち暇である。




 母の乳をすすり、出す物を出し、惰眠を貪るくらいしかやることがない。




 窓の外からは、毎日三兄弟の威勢のいい修練の掛け声が聞こえてくるが、さすがに今の俺はあれに参加するほどの力を持たない。




 そんな不自由な俺は、ただ母の胸の中で、彼女が絵本を朗読するのを拝聴していた。




 ちなみに、絵本はアレンから貰った出産祝いである。




「『王様は言いました。〈もはやこれまでだ。北からは世におそろしきエルフの帝国の蛮兵、南からは貪欲たる獣人の大軍が、一気呵成に我が国へと攻めかかる。余は国を興した責ある故に、この身朽ちるまで戦うが、臣たるそなたらまでこの無謀な戦いの道連れにするつもりはない。余からの最後の命である。生きよ。生きて、この戦争の義が我らにありと、天下万民に述べ伝えるのだ〉』。まあ! まあ! どうしましょう!」




 母は王のセリフを読み上げた後、過去のそれが、今、現在進行形で起こっていると錯覚させるほどの哀切な声で叫ぶ。




「『〈王よ! 王よ! 恐れながら申し上げます。歴史は勝者が作るもの。敗者の言に価値はございません。そもそも、主君を見捨てて、おめおめと逃げさらばえたとして、我が真竜グレゴールにどう申し開き致しましょうか。賜るならば、惨めな生より、誇りある死を。どうか、どうか〉』


 あっ。これがお父様の――あなたのご先祖様よ! ご立派ねえ。あなたも、誇り高いメディス家の一員として、お国の役に立つような立派な子に育って欲しいわ」




 母は顔に喜色を浮かべて、俺の頭を撫でた。




「『竜公の嘆願をきっかけに、広間はまさにドラゴンの咆哮にも負けないほどの決起の声で満ちました。夫を失った女侯爵から、果ては、今まで一度も役に立ったことのない、【無駄飯食らいのアルルカン】までもが、王のために戦いたいとしきりに訴えます』グスッ。ああ、なんて素敵なお話かしら」




 母は感動のあまり目尻を拭う。




 もう五度目の朗読であるのに、よくもまあ、こうも毎回よく心を動かせるものだ。




 しかし、まあ、俺にとっても、この話を聞くことは無駄ではない。




 童話とは往々にして教訓と真実を含んでいるものであり、今の話などは、多分にプロパガンダ的な内容を含みつつも、俺たちの国の状況を正確に伝えている。




 どうやら、俺たちのアレリア王国は、北と南を大国に挟まれた、その中間地点にあるらしい。




 他の兄や、使用人たちの会話の端々から察するに、この国は両国の緩衝地帯であり、大っぴらには取引しずらい両国の、中継貿易地点として栄えている。




 国力的にみれば、経済においても、軍事力においても、世界的には、中くらいの国であるといえる。その国において、俺が中の中くらいの貴族ということは、まさに可もなく不可もない立ち位置ではなかろうか。




 ここにも、徹底的に公平な、神々の意思を感じた。




「だぁ」




 そこまで考えて、俺は小さく欠伸をした。




 絵本の内容はとっくに覚えてしまったし、何か感じる前に、俺の分まで母が喜怒哀楽全て表現してしまうので、もはや欠伸くらいしかやることがない。




 もっとも、俺とて、最初は母を喜ばせるため、彼女に共感するような反応を律儀に演じてやっていた。しかし、そうすると、母は俺がこの絵本を好きだと思い込み、執拗に繰り返すようになったので、そろそろ『飽きた』と意思表示する必要があった。




「あらあら。お眠かしら」




「ぶー……」




 どうやら俺の意図は正確には伝わらなかったようだ。




 母が俺を一定のリズムで揺する。




 仕方がないので眠るフリをしてやると、母の方が俺より先に寝息を立て始めた。




「みょー」




 俺はこっそり目を開くと、間の抜けた声を出しながら、首から革紐でかけられたアミュレットに手を伸ばした。




 アミュレットは、銀にも似た材質で出来た、半透明の丸い金属板である。




 これを俺にくれたサージュによれば、アミュレットは所有者の魔力と意思に反応して、様々に形を変えるそうだ。




 要はこの世界における、知育玩具といったところだろうが、魔力をコントロールする練習にもなるというので、あながち馬鹿にしたものでもないだろう。




(ただ、まだ一度も玩具として使えていないのだがな)




 暇を見て小まめにいじってはいるが、アミュレットは未だ俺にとってただの板に過ぎない。




 だが、言語化できないものの、手の先に『うずき』のようなものを感じており、もうそろそろだと思うのだが……。




(やはり、想像するモチーフが良くないのか?)




 一応、赤子らしく、蝶だの小鳥だの、母が喜びそうな意匠を想像していたが、それらはもちろん、それは俺が心底欲しているものとは言い難い。




 ならば――自分に素直になろう。




 ミラーボールに照らされた、白銀色の美酒の怪しい輝き。




 すなわち、夜を彩る生者が築く、欲望のピラミッド。




(出でよ! シャンパンタワー!)




 アミュレットを両手で握り念ずる。




 瞬間、アミュレットがシャンパングラスに形を変えた。




 いや、それどころか、平面が立体となり、弾ける気泡の音まで聞こえてくる。




 ああ、愛しの酒よ。




 俺がホストとしての本能に従って、それに口づけようとしたその刹那――




 バキ、バキ、バキ、バキーン! と、アミュレットが豪快な音を立てて四方に弾け飛んだ。

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