第5話 現状把握 

 ともかく、俺は新たな世界に生まれ落ちた。




 どういう仕組みになっているのか、脳の発達も十分でないはずなのに、地球にいた頃と同じような思考ができるのは良い。




 また、赤子は本来、まだ視力がほとんどない時期のはずであるが、俺には不思議と地球にいた頃と同様の視力が確保されていた。




 しかし、それ以外の身体機能は赤子そのものであって、ある種の金縛りに近い感覚である。




 自らを商品として演出することを生業にしてきた俺にとって、排便すらセルフコントロールできないであろう現在の肉体は中々の苦痛である。




 しかし、あれこれ不平を言っても始まらない。




 今できることは、少しでも多くの情報を手に入れ、世界に馴染めるよう努力することくらいだ。




 とはいっても、動けない以上、自分で情報収集するのには限界があり、誰かに喋って貰うしかない。




「よくやった。仕事に戻る」




 そう言って、椅子から腰を上げたのは、ゴリラだった。




 いや、状況から見て、今は俺の父親に当たる人間であろう。そんなことはわかっている。しかし、どう見ても、数年前にリメイク版が流されていたあの映画に出てくる、武装したゴリラ軍人を彷彿とさせるのだ。




 あのゴリラ軍人の体毛をちょっと薄くして人間に近づけたらこうなる、といった感じの外見だ。




 上半身も下半身もはちきれんばかりの筋肉の鎧が覆っている、体毛は鋼のような黒の剛毛、腰には剣を佩いている。




 武骨なその顔は、決して不細工という訳ではないが、強面であった。




 じっとしていても他人に威圧感を与える雰囲気があり、間違いなくホストには向いていない外見だ。




「はい。お忙しい中、ありがとうございました」




 そう言って微笑むのは、俺の母らしき女。




 結んで垂らしたおさげは、やわらかげな金髪。




 俺が身体を預けている胸は、柔らかく、母性をたたえていた。




 顔はどこか子犬じみており、美人ではないが庇護欲をそそる顔をしている。




 ゴリラを――いや、これからは父と呼ぶべきか――父を見る目は愛情深げで控えめながらも、満ち足りたものだった。




 すなわち、今自らの手の中にある物で自身を満たせる『足るを知る』タイプの女であり、ホスト時代の俺の客になりそうな女ではなかった。




 逆にいえば、世間が押し付ける価値観でいうところの『良妻賢母』ということだろう。俺自身の女の好みからは大きく外れていたが、母とするにはこの上にない人物に思えた。




 ヴィーナスが言っていた通り、俺に『温かい家庭』とやらを恵んでくれるということらしい。地球で俺が置かれていた幼少時代とはかけ離れた環境ではなるが、せっかくの第二の人生だ。斜に構えていてもつまらない。




 本当に存在するならば、心ゆくまで教えてもらおうか、無償の愛というやつを。




「うむ。ルカ、ミディ、後のことは委細取り計らってやってくれ。――では、老師、わずかばかりではあるが、礼をしたい」




「へえ。こりゃかたじけないことで」




 父はそう言って、助産師らしき、老婆かジジイかすら判別できない老人を連れて部屋を出て行った。




「カチュア様、何かご入用のものはありますでしょうか」




 俺を取り上げた、釣り目の美人メイド――ルカが呟く。




「私どもでできることなら、なんでもさせて頂きますよー!」




 ソバカスの目立つリスのような顔をしたもう一人のメイドが追随するように頷く。




「ありがとう。でも、今は大丈夫よ。しばらくはゆっくり休ませて。何かあったらこの子を使いに出すわ」




 そう言って、カチュア――母は、手を虚空に挙げる。




 すると、いつの間にかその細い指に、半透明な、青い燐光を放つ小鳥がとまっていた。




 いつの間に出現したのか。




 いや、もしかした初めからそこにいたのかもしれない。




「かしこまりました。では、失礼致します」




「失礼致します!」




 二人のメイドが、諸々の道具を片付けてから部屋から辞し、周囲が静寂に包まれる。




 窓から指す木漏れ日が、俺たちを優しく照らしていた。




 この世界の気候は不明だが、俺には春めいているように感じる。




「さあ。こんにちは、私の赤ちゃん。あなたは、今日からヴァレリーよ。私はカチュア。この子は、私の契約獣のルトゥー。幸せを運んできてくれる善い精霊なのよ。あなたはどんな子と契約して、どんな大人になるのかしら。とっても楽しみだわ」




 母はそう諸々の紹介を終え、抱き上げた俺の額に口づけする。




 ともかく、0歳と1日目の今日。この世に生まれ出た第一の収穫として、俺は自分の名前を知ったのであった。

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