第4話 とあるメイドの述懐

「くっ、うっ、んああああああああああああ!」




 階上の第二夫人の苦悶の声が激しくなるにつれ、メイドたちの忙しさも増す。




 炊事担当のソバカスのミディは契約獣の火蜥蜴を急かしながらにわかに湯を沸かし始め、私も清潔な布と産着を持って階段を上った。




 私のお仕えするメディス家は、尊き公爵を頂く、アレリア王国における名門。




 代々名だたる将軍を排出してきた、軍人の家系だ。




 南のアティア家と共に『王の双剣』と並び称させるメディス家は、王国の北方防衛の要。




 その家風は良くいえば質実剛健であり、悪く言えば吝嗇である。




 貴族にありがちな、見栄を張って、必要以上のメイドを雇うようなことはしない。




 むしろ、『戦場においては従者に着替えさせてもらっているような軟弱者は死ぬ』という当主様の方針の下、身の回りの世話をするような使用人も最低限しか置いていない。




 とはいっても、広いお屋敷を維持するには雑事をこなすメイドは一定数は必要な訳で、結果として、一人当たりの仕事量は他家と比べても若干多くなっていた。




 決して楽をさせてもらえる職場ではないが、それでも、比較的長くメイドが勤続しているのは、『貴族的な理不尽』とは無縁であるからだろう。




 いざ戦場に出向くとなれば、貴族以外の者を指揮してその命を預けることになるメディス家は、民草の扱いもよく心得ている。




 好色に任せて戯れにメイドに手を出すような男もいないし、使用人に貴族的な優越感から無体を働くような底意地の悪い子どももいない。




 懸命に働く者の過ちには寛容だが、不正は決して許さない。この前も、三十年に渡り仕えていたベテランメイドの一人が芋を一つ盗んだ罪で首になり、恐る恐るその事実を報告した新人の私には報奨金が支払われた。




 徹底された信賞必罰は家の隅々まで行き届いており、少し息苦しくもあるが、それ以上に安全であった。




『きちんと働けば、定められた給料が貰える職場』。言葉にしてみれば、当たり前のようであるが、実際、貴人の『気まぐれ』で罰せられない、安心して働ける貴人の家というのは、中々どうして少ないもなのだ。




「ご当主様! カチュア様! 入室してもよろしいでしょうか」




「入れ。後の者も来るだろう。面倒だから扉はそのまま開け放っておけ」




 当主様が慣れた調子で答えた。




 それはそうだろう。




 私がこの家で出産に立ち会うのは初めてだが、当主様には、すでに六人の子どもがいる。




 当主様の契約獣たる、かの有名な真竜グレゴール。




 代々メディス家を守護獣でもあるその竜は、契約者たる当主に強靭な生命力と莫大な魔法の力を付与するという。




 その加護もあってか、メディス家は多産で知られていた。




 戦場に立ち、命の危険に晒されることの多い軍人の家系においては、ある意味、この上ない祝福だろう。




「かしこまりました。失礼致します!」




 扉を開けると、そこには、椅子に座り、ベッドに横たわるカチュア様の手を握る大男の姿があった。




 筋骨隆々として、体長二メートルを超えんとする当主様が座ると、女性用の椅子は、まるで人形遊びのミニチュアのようにさえ見える。




「ルカ。あ、ありがとう。もう少し、待っていてくださいね」




 第二夫人――カチュア様は、額に苦悶の皺を刻みながらも、精一杯笑顔を浮かべて答えた。




 彼女は決して美人ではないが、愛嬌のある顔立ちであり、第一夫人とはいろんな意味で対照的だ。




「はい。カチュア様。どうかお気を確かに」




 私はベッドの側のテーブルに持ってきた道具一式を置いて、いつでも指示に対応できるように側で待機する。




「お湯、できましたー」




 後から入ってきたミディが、金ダライに入った湯をえっちらおっちら運んできて床へと下ろす。




「キエエエエエエエエイ! 出てきんしゃい! キエエエエエエエエエ! ああこりゃ頑固なお子だ! こりゃこりゃ」




 前歯の突き出た産婆が、彼女の契約獣たるウサギと共に、カチュア様のまたぐらの間を拝んでいる。




「前の二人は、もう少し聞き分けがよかったのだがな」




 当主様がカチュア様の額の汗をぬぐいながら呟く。




「んっ。き、きっと甘えん坊なんですよ。お腹の中にも長くいましたから」




「軍人の子どもが甘えたがりでは困る」




 そう言いつつも、当主様の声にはどこか心配そうな気色がにじみでていた。




 そもそも、貴族、庶民を問わず、男が出産に立ち会うことは珍しい。だが、どうやらこの様子だと、当主様は毎回、お産に付き合っているようだ。




 雇われた当初は、恐ろしい印象しかなかったのだが、最近は、その実、愛情深い性格なのではないかと思い始めている私がいる。




「キエエエエエエエエエエエエイ! ああ! キエエエエエエエエイ!」




「お婆さん。何かご入用のものはありますか」




 何か助けになればと産婆に声をかける。




「いんや。わしゃこの腕一本でずっとやってきたんでな――」




「んんんんんんん!」




 産婆が首を横に振った瞬間、カチュア様が身をよじる。




「なんじゃ!? 急に出てきよって! ほーれ! ほれほれほれ。頑張れ! 頑張れ」




 産婆がそうはやし立てる。




 私は邪魔にならないようにそっと距離をとった。




「あああああああああ!」




「なんじゃまた踏ん張りはじめよった! ――もしや……。あんた、こっちきんしゃい!」




「はい?」




 私は言われるがままに近づく。




「ふうふうふう」




「思った通りじゃ! べっぴんが近づいてきよった途端にするする出てきよる。しわくちゃのババアにゃあ取り上げられたくないというか。まだ頭の先しか見えんけど、こんりゃ絶対男じゃよ――ほら、あんた。ぼけっとしとらんと手伝わんか」




「しかし……」




 私は当主様を横目で見た。




 別に手を出すのは構わないが、何かあったらどうするのか。




「構わん。子宝は恩寵だ。万が一のことがあろうとお前を責めることはない」




 当主様は私の意図を汲んだように即答した。




「かしこまりました」




「ただ手で頭を支えてやるだけで構わんから。後はワシの魔法でやる」




「はい」




 言われた通りに出てきつつある赤子の頭を支える。




「むるんむねむねんむにゅるそむんやむん」




「あああああああああああああああああああ」




 産婆がなにやらうんうん唸りながら呪文を唱え、それが奇妙にカチュア様のいきむ声と重なって、出来の悪いハーモニーを奏でた。




 瞬間、ぬるんと、驚くほどのスムーズさで、その新たな命はこの世に生まれ出で、私の手の中に納まる。 




 温もりと、弱弱しくも確かな鼓動が、はっきりとその生を主張していた。




「んみゃあー。んみゃあー」




 赤子が産声をあげた。




 それは、今まで私が聞いたこともないような、優しく甘やかな泣き声。




 まるで、ハープを奏でるような、もしくは、吟遊詩人が愛を囁くような美声だった。




「ソバカスのあんた! 濡れ布巾を!」




「はい!」




「よしよし。ようがんばりなさった」




 産婆が、私に抱かれたままの赤子の顔と身体の汚れを拭き取る。




「む……」




「ふぁあ」




「ああ」




「たまげたぁ」




 瞬間、その場にいた誰もが息を呑んだ。




「ルカ! さあ、早く私の赤ちゃんを抱かせてちょうだい!」




「は、はい」




 一瞬、自失の体にあった私は、抱いていた赤子をカチュア様の胸に寄せる。




「ああ! なんてかわいい男の子なんでしょう!」




 カチュア様は歓喜の声を上げ、自身の胸にくっつけた赤子の頭を撫でた。




 おそらく、有史以来、何万、何億の母という母が口にしてきたであろう平凡なセリフ。




 しかし、今、この場所において、その言葉は特別な意味合いをもって響いた。




 私は、女性ではあるが、どちらかというと母性が薄い性格だという自覚がある。赤子を無条件でかわいいとはとても思えないし、むしろ、『生まれたばかりのガキは皆ゴブリンのようだ』という男たちの無思慮な軽口の方に同意するような性質だ。




 しかし、そんな私でも、この赤子の美しさを認めざるを得なかった。




 透き通るという言葉では生ぬるい、一度だけ見たことがある王冠の上に頂く宝玉の輝きに似ている。




「ご領主様。ワシゃあ、長い事、この仕事をやってるが、こんなに綺麗な赤子をみたことがない。こりゃあきっと大物になりなさる」




「メディスの男に美しさはいらん。飾剣かざりつるぎで国は守れぬ」




 産婆とご当主様が、会話になっているのかなっていないのかわからない言葉を交わす。




「将来のことなど良いではないですか! 今はこの子が無事産まれたことを喜んであげてくださいな。ねえ、ルカ!」




 カチュア様が赤子を掲げてこちらに向け、同意を求めてくる。




「はい。おめでとうございます」




 私は静かに一礼する。




 瞬間、まだ目も見えてないはずの赤子が、私に向けて笑いかけながら、見事なウインクをした。




 もちろんそう感じたのは、ただの気のせいだろう。




 しかし、私は、その笑顔に、この正しくも重々しい家に、一抹の涼風を吹き込んでくれるような、そんな予感を抱くのだった。

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