エピローグ
よし判った! 京子ちゃん!
あたしゃぁもう、疲れたわよ。銭湯の番台が、こんなにも神経をすり減らす仕事だなんて、きっと世の中の人々は知らないでしょうよ。泣いたり笑ったりして、ホント大変なんだから。普通の人が普通に来てくれればいいのだけれども、実際は一癖も二癖もある輩が、それこそ大挙して押し寄せるって感じよね。コレが人生経験になるって感じもしないし、私の様な可憐な乙女には荷が重いってもんよ。
そこのアナタ、もし家にお風呂が有るなら、決して銭湯なんかに来ちゃいけないわよ。酷い目に遭っても知らないから。
あぁ~、でも私は、もう少しココで頑張るつもり。だってまだ高校生なんですもの。でも、卒業して大学生になったら、綺麗さっぱり足を洗ってやるわ。どこか遠くの大学に行って一人暮らしよ、一人暮らし。冗談じゃないわよ。私の女子としてのキャラ形成に、重大な悪影響を及ぼしているに違い無いのだから。だって、そう思わない、世の男子諸君。彼女が男の裸を見続けた女だなんて知ったら、引くでしょ? えっ、引かない? 嘘よ。嘘に決まっているわ。
だって、私の彼氏が女の裸を見続ける人生を歩んで来たとしたなら、私は決して許さないもの。当たり前じゃない。そんな男が、私の裸を見ようなんて百万年早いってぇの。
そんな妄想に浸っていると、左下の方から何やら視線を感じた。ふと見下ろすと、500円玉を番台に置いた手をそのままにして、信之が固まっていた。
「あっ、いらっしゃい、信之さん」
固着した表情を無理やり崩して、ぎこちない笑顔で信之は話し始めた。
「あのさぁ、京子ちゃん・・・」
「???。 あっ、この前の話ね!? ごめんなさい、何の話だったかしら? 」
それでも信之の表情に変化は無かった。
「俺たちって幼馴染みじゃん?」
「そうだよ。それがどうかしたの?」
お釣りの40円を手渡しながら京子は答えた。
「もちろん京子ちゃんは、まだ高校生で未成年だし、俺は成人だってことは判ってるんだけど・・・」
なんだか、いつもの信之とは違う。
「何、何? どうしたの信之さん? 何か変だよ」
「だからさぁ、京子ちゃんももう直ぐ高校も卒業じゃん? そうなったら大学生なわけだし・・・」
「えっ?」
「そうなったら京子ちゃんをデートに誘っちゃったりしてもいいのかなぁ・・・ なんて・・・」
京子は信之の目を正面からまともに見つめた。信之はその視線に耐え切れず、目を逸らした。次に京子が「ふぅ」と溜息を洩らし、肩を落とすと、その様子を見た信之が慌てて付け加えた。
「い、いや。別にそんな深い意味じゃなくて・・・ やっぱりダメかな? やっぱり俺って、幼馴染みのお兄ちゃんかな?」
京子がため息をついた理由は、それではなかった。高校を卒業したら何処か遠くの大学に行って、この『華の湯』とはおさらばするという、夢というか希望に向けた行動を開始する前に、早々に計画が頓挫しそうな予感がしたからだ。それで、つい溜息が漏れてしまったのだ。やっぱり自分は、『華の湯』と縁を切ることなど出来ないのかもしれない。祖父の代から続く家業の看板娘として、いつまでも番台に座り続けるのが自分の運命なのだろう。
でも、それも悪くはないと今なら思える様な気がした。自分は、ここで産湯に浸かり、この番台で育ったのだから。この『華の湯』に育てられたのだから。
モジモジする信之に京子は言った。
「じゃぁ卒業するまで、もう少しだけ待ってくれる?」
それを聞いた信之は、はち切れそうな笑顔で京子を見上げた。
「よし判った! 京子ちゃん!」
京子も微笑み返した。
ラプソディ・イン・ザ・バス ~銭湯狂想曲~ 大谷寺 光 @H_Oyaji
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