6

 それは、翌木曜日に実行に移された。いつも通り、一人で浴室から出て来たハルカに、児童相談所の女性職員三名が近付いた。

 「ハルカちゃんかな?」

 ハルカはポカンとしながら答えた。

 「うん・・・」

 「ちょっとお姉さんたちと一緒に来てくれるかな」

 「えっ・・・ でも・・・」

 「大丈夫。ママにはちゃんと言っておくから」

 「でも、ママが・・・」

 「ちょっと来てくれるだけでいいんだ」

 そう言って職員はハルカの手を掴んだ。しかしハルカは、その手を振り切った。

 「ママと一緒じゃなきゃ行かない」

 それを聞いた職員は、グイと強い力でハルカの腕を掴んだ。ハルカの顔には、明らかな恐怖が浮かんだ。

 「やだ! 行かない!」

 それでも職員は腕を離さず、ハルカを引き摺ろうとした。ハルカは大声を上げた。

 「いやーっ! 放してーっ!」

 それを見ていた京子は、たまらず番台から飛び降りて叫んだ。

 「やめてっ! そんな酷いやり方、しないでっ!」

 「おねぇちゃん!」

 ハルカは京子に助けを求めた。でも京子は動けなかった。ハルカの声は絶叫に変わった。

 「やだーーーっ! 離してーーーっ! ママーーッ! ママーーッ!」

 脱衣所のただならない雰囲気を感じ取った母親が、浴室から飛び出して来た。

 「ちょっとアンタらっ! 何やってんのよっ!」

 すると控えていた婦人警官二人が、母親の前に立ちはだかった。

 「児童福祉法ならびに児童虐待防止法に基づいて、児童相談所がお宅のお嬢さんを保護します」年嵩の方の婦人警官が言った。引き続き若い方も言った。

 「警察は児童相談所の援助要請を受け、必要な措置を講じる権限が与えられています。従って、本件の執行を妨害する場合は、公務執行妨害と判断し、速やかな排除を行います」

 それを聞いた母親は逆上した。

 「ふざけんじぇねぇぞ、オメーらっ! 勝手なことしてんじゃねーーっ!」

 婦人警官を押しのけようとした母親は、あっけなくその場に取り押さえられた。女性とはいえ格闘技の心得もある婦人警官だ。華奢な母親など、一瞬で組み伏せられた。母親はうつ伏せの姿勢で抑え込まれ、その右腕は後ろ手に固定され、じたばたとあがくのみであった。

 「くっそーーーっ! 離せ、ふざけんなお前らーーーっ!」

 それでも婦人警官が母親を離す事は無かった。

 「ママーーーーッ! ママーーーーッ! 助けてーーーっ!」

 ハルカは絶叫した。取り押さえられながら母親も叫んだ。

 「はるかーーーっ、はるかーーーっ!」

 比較的体格の良い職員がハルカを小脇に抱え、持ち上げて脱衣所を出ようとした。それでもハルカの叫びは止まらなかった。

 「ぎゃぁーーーーっ! やだーーーっ!」

 今度は京子に向かって痩せ細った腕を伸ばし、懸命に助けを求めた。

 「お姉ちゃん! 助けてーーっ! お姉ちゃん!」

 京子はその姿を直視できなかった。ギュっと目をつむり、顔を背けた。

 「ゴメンね、ハルカちゃん。ごめんね・・・」


 ハルカが連れ出された後には、いまだ婦人警官に押さえつけられている母親が残った。母親はそのままの姿勢で泣いていた。年嵩の方の婦人警官が目くばせをすると、若い方が母親の腕の拘束を解いた。その瞬間、母親は立ち上がり、京子に掴みかかった。

 「てめぇだなっ、余計なことしやがって!」

 そう言って京子の胸ぐらを掴み、それを前後に揺すり始めた。

 「親でもねぇくせに! 勝手なことしてんじゃねぇ! おめぇに何の権利が有るんだっ!」

 その時、脱衣所に強烈な音が鳴り渡った。

 『パァーーーン!』

 京子のビンタが母親の左頬に炸裂した。

 「母親面してんじゃないわよっ!」

 京子の声も絶叫に近くなっていた。

 「アンタがハルカちゃんを守ってあげないから、こんなことになったんじゃないのっ!」

 母親はぶたれた頬に左手を添えて、その場に崩れ落ちた。京子の絶叫は続いた。

 「ハルカちゃんがどんな思いでいたか、ちっとは考えなさいよっ! それでもハルカちゃんは、ママのことが好きだって言ってくれるんだよっ! パパも好きだって言ってくれるんだよっ!」

 涙が止まらない。でも、言葉も止まらなかった。

 「ハルカちゃんのちっちゃな心が、どんな悲しみでいっぱいだったか。あのちっちゃな心が、どんなに辛い思いで溢れていたか・・・」

 もう弱々しい泣き声しか出なかった。

 「アンタ、母親なら考えてあげなよ・・・ アンタが守ってあげなきゃ、誰が守ってくれるのさ・・・ 可哀そうじゃないか・・・」

 母親は泣き崩れた。拳で床を叩きながら、いつまでも泣き続けた。

 「あぁぁぁぁーーーっ、はるかぁぁぁっ、あぁぁぁ・・・」

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