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次の木曜日も二人は『華の湯』にやって来て、そして帰っていった。その帰り際にハルカが、番台の京子に向かって「バイバーイ」と手を振り、京子も手を振り返した。それを見た母親は不審な目で京子を睨んだが、結局、何も言わなかった。
二人が去った後、脱衣所に居た女性が京子に声をかけた。
「間違いありませんね」
児童相談所の女性職員が一般客を装って入浴し、ハルカの身体に残る虐待の痕を内偵していたのだ。富坂署の婦人警官も一緒に入浴し、その内偵に同行していた。
「やっぱり・・・ そうですか・・・」
声を落とす京子に女性職員が言った。
「今後の対応に関して、少し打ち合わせたいのですが・・・ ご同席頂けますか?」
最後の客が『華の湯』を出た後、京子は児相職員、婦人警官と共に、誰も居なくなった脱衣所で話をした。デッキブラシで浴室を清掃している父が、何事かと心配そうにこちらを見ていた。後で話をしておかねばと思った。
「これは児童保護対象案件ですね、間違いなく」児相職員が言った。
「親の承諾無く、子供を保護するなんて出来るんですか?」もっともな質問を京子が投げかけた。
「大丈夫です。2000年に施行された児童虐待防止法により、児童相談所の権限が強化されて、親権者の承諾無しに子供を親から引き離すことが出来ます」
京子は「へぇ、そうなんだ」と思った。児童相談所にそんなことが出来るなんて知らなかった。
「じゃぁ、ハルカちゃんの家に乗り込んで・・・」
これには婦人警官が答えた。
「いや、それは出来ないんですよ」
「へっ?」
「今日の内偵結果を裁判所に提出しても、実際に命令書が発行されるのは何か月も先だったりするんです。裁判所命令が有れば強制立ち入りも可能なのですが、それが無いとなると、警察の捜査令状が必要で・・・」
「だって、ハルカちゃんの身体に虐待の痕が有ったじゃないですか? その為の内偵だったんですよね?」
「でも、その傷が親の行為によるものだという証拠は有りませんよね。そういった場合、警察が令状を出すことは無いんです、残念ながら・・・」
「そんな・・・」
「だから家に行っても、玄関を開けて貰えなかったら保護は出来ないんです。そこを無理やりやったりすると、逆に不法侵入とか人権侵害の罪に問われることに」
京子は法律のまだるっこしさにイライラした。そんな杓子定規なことを言っていては、市民を守ることなんて出来ないではないか。
「学校はどうなんですか? 何か助けてはくれないんですか?」
「基本、学校は家庭内の問題に対しては、タッチしませんね」
でしょうね、と京子は思った。バカなことを聞いてしまった。
「じゃぁ、通学途中で保護する、とかですか?」
再び児相職員が答えた。
「そうですね。それはよく用いられる手の一つです。でもそれは、あまり使いたくはない手なんですよね・・・」
「と言うと?」
「つまり、その手を使うと、どうしても近所の方に見られてしまいます。そうなると色々と噂が立ったりして、児童本人も両親も社会的ダメージを被ってしまいます。もし後から虐待ではなかったということが判明したとしても、一度立った噂が消えることは有りませんからね」
確かに言われてみればそうだが・・・
「では、どうするんですか?」
「そこで相談ですが・・・ あちらで掃除されているのはお父様ですか?」
「はい・・・」
「チョッと、お父様にも同席願いたいのですが・・・」
光男だって江戸っ子だ。ハルカを取り巻く状況を聞いて、知らん顔など出来るはずもない。むしろ積極的に、児童相談所の計画に参画してくれた。
「そっか・・・ うちの客に、そんな可哀そうな子が居るのか・・・」
光男は京子の説明を聞いて、涙を浮かべすらした。
「よし! その子がこの『華の湯』に来たのも、何かの縁だ。京子! 俺たちゃぁその子のために、出来ることは何だってしようじゃねぇか!」
その真剣な眼差しを見た京子は、我が父親ながら頼もしいと感じずにはいられなかった。こんな人が自分の父親で良かったと、切に思うのであった。その一方でハルカの父親のことを思い、改めて怒りに身体が震えた。自分がもし、ハルカの父親に育てられたのだったら、いったいどのような人間になっていたのだろうか? どの様な人格を形成したのだろうか? それを考えると、空恐ろしい様な気がした。一刻も早く、ハルカをあの父親の元から引き離さねばならない。もう猶予は無いと、京子は決意を新たにした。
あの家庭にどんな事情が有るのかは知らない。ひょっとしたら、あの父親とハルカは血縁関係に無いのかもしれない。だが、どんな事情が有るにせよ、子供が親を選ぶことなど出来ないのだ。ハルカが身を置く環境は全て、大人の「選択」による結果なのだ。子供はその与えられた範疇で生きて行くしかないのであって、だからこそ親に対する無条件の愛と、信頼と、依存を抱くのだ。抱くしかないのだ。その心を踏みにじる様な奴を、京子は決して許すことなど出来なかった。
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