4

 後日、京子はサブを『華の湯』に呼び出した。大切な話が有るという理由で。まだ開店前の銭湯に、サブはキョロキョロしながら現れた。そして京子の姿を見つけると、その背中に声を掛けた。

 「どうしたんです姐さん。話って何ですか? てか、セーラー服なんか着て、コスプレですかい?」

 その声に応じて京子が振り返ると、サブの表情が固まった。口をポカンと開けながら、目を見開いたまま動きが止まった。

 「リ、リン・・・」

 「サブちゃん・・・」

 サブはゆっくりとリンに近付いた。何が起こっているのか判らなかった。彼女に向けて伸ばされた手はブルブルと震えていた。そしてリンがその震える手をそっと掴み、自分の頬に添えると、二人はしかと抱き合った。誰も居ない『華の湯』の脱衣所で。リンの頬には涙がとめどなく流れた。サブもみっともないほどの声を上げて泣いた。一しきり、お互いを確かめ合ってからサブは聞いた。

 「なんでお前がここに?」

 リンは答えた。

 「京子ちゃんが呼んだ」

 「京子ちゃん? あぁ姐さんか!?」

 リンは黙って頷いた。

 「で、でもなんでセーラー服なんか着てるんだ?」

 「それに関しては、俺が答えよう」

 番台の上から信之が顔を出した。そこに居たのかい!? と思わなくも無いが、サブはそんなことには気づかずに言った。

 「兄貴っ!」

 「京子ちゃんのセーラー服を借りたのさ。さすがにこの辺では、何処に猪熊の組員が居るか判ったもんじゃねぇしな。それを着て眼鏡かけたら、そりゃもう普通の女子高生だ。組の奴らも気付かないって寸法さ」

 リンはポケットに仕舞ってあったメガネをかけると、ペロリと舌を出して悪戯っぽく笑った。

 「さすが兄貴!」

 「いやぁ、考えたのは京子ちゃんさ」

 本当は、ここから先が京子が考えた計画なのだが、信之はそんな様子は御くびにも出さず答えた。

 「姐さんが・・・ 兄貴、姐さんは何処です?」

 「うん、俺も声を掛けたんだが・・・ 湿っぽいのは苦手だって言ってきかねぇのさ・・・ だから、ここには来てねぇ。何処かで暇潰してるはずだ」

 「そ、そうですか・・・」

 「じゃぁ俺は席を外すよ。一時間ほどしたらまた顔出すから、そしたらリンさんを前橋まで送ってゆく」

 そう言って信之は『華の湯』を後にした。


 二人きりになったサブとリンは、再び抱き合って再会の喜びを噛み締めた。サブがリンの首筋に顔を埋めると、暫く嗅ぐことの無かったリンの匂いがした。甘い甘い匂いだ。サブはその愛しい匂いを、肺いっぱいに満たした。

 そしてリンは言った。

 「サブちゃん」

 「何だい?」

 リンの一世一代の芝居が始まった。京子が考えたアイデアだ。

 「私、赤ちゃん出来たかも」

 「?!」

 「まだ判らない。でも、もしかしたら」

 それを聞いたサブの顔は、みっともないくらいに崩れた。そしてワンワンと号泣しながら、また強くリンを抱き締めた。あまり強く抱きしめるものだから、リンが「痛いよ」と言うと、「すまねぇ、すまねぇ」と言いながら、今度は優しく抱きしめた。

 「リン・・・ 本当かよ~・・・ 俺たちの子供かよ~・・・ 俺、絶対お前を守るよ~。お前と子供を幸せにするよ~・・・」

 そうやっていつまでも子供のように泣くのであった。

 リンは、そんなサブの頭を、優しく抱き寄せた。



 児童公園のブランコをキィキィいわせながら、京子はボンヤリと空を眺めていた。そこに信之がやって来た。

 「いいのかい、京子ちゃん? あいつらに会わなくて」

 「うん、いいの。私、リンさんに会ったら泣いちゃってダメだと思うから」

 「それにしたって、一目会うくらい・・・」

 「ううん、いいの。二人が幸せになってくれれば」

 信之は隣のブランコに座った。

 「そっか。そうだな」

 信之のブランコもキィキィと軋んだ。二人は暫く黙ってブランコに揺られた。

 「それにしても『子供が出来たかも』なんて、ずいぶんベタな手を考えたもんだな?」

 「あははは。だってサブみたいな単純な奴には、そういうのが一番効くでしょ?」

 「違ぇ無ぇや。がははは」

 二人はまた暫く、沈黙を共有した。子供の頃からいつも一緒にいた仲である。お互いに無理して喋らなくとも、別に気まずい感じにはならないのだ。こんな時間の過ごし方が、かつての二人の間には、よく有ったような気がした。今度は京子が沈黙を破った。

 「昔よく、この公園で遊んだよね」

 「そうだな。つまらないことで大騒ぎして遊んだもんだよな」

 「ねぇ、二人で神楽坂に行っちゃったこと、覚えてる?」

 「当たり前じゃん! 京子ちゃんが『もう歩けない』とか言うから、俺が背負ったんだぞ!」

 「あははは。そんなことも有ったね」

 二人はその当時を思い出して笑った。かけがえの無い大切な思い出であった。暫く忘れていたけど、改めて思い出すと、心の中がほんのりと温かくなるような気がした。

 二つのブランコは、キィキィ、キィキィと輪唱のように下町の公園に木霊した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る