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信之は前橋駅に降り立った。消防署が非番の時に、サブに聞いた住所を訪ねてきたのだ。もちろん京子の差し金である。駅前のロータリーでタクシーを拾うと、信之は運ちゃんに行き先を告げた。
普段は工場でパートとして働いていると聞いている。この平日の昼間の時間帯では留守に違いない。信之はタクシーに待っててもらい、リンの住むアパートの一室のドアベルを押した。表札には「山田」と、カモフラージュの表札が掛かっているのも、サブからの情報通りだ。築何年かは判らなかったが、そのくすんでくたびれた様子はいかにも低所得者向けという感じだ。あえて目を向けることを意識しない限り、普通の人間であれば、それが視界に入ることは無いような気がした。あるいは無意識に、思考の外に追いやっているのだろうか?
案の定、人気は無く、信之は直ぐにタクシーに戻り、今度はリンが働く工場の名前を告げた。すると運ちゃんは言った。
「そこなら、このアパートの裏にある工場だよ。タクシーで行くほどの所じゃないね」
顔を上げ運ちゃんの指し示す方を見やると、確かにそこには工場らしき平屋の建物が見えた。元々は白を基調にした建物であったろうと思わせるそれは、今では埃や油の染み付きが目立つ。信之は礼を言って料金を支払うと、工場入り口に向かって歩き始めた。どうやら、仕出しの弁当を作っている工場のようだ。壁の向こう側から、湯気や揚げ物の香しい匂いが漂っていた。
信之は入り口横の守衛所に立ち寄り、リンを呼び出してもらうことにした。守衛は突然現れたがたいの良い男に、明らかに胡散臭そうな顔を向けたが、東京消防庁小石川消防署の名刺を差し出すと、途端に態度を軟化させた。どういう訳だか判らないが消防署員という職業は、警官や教師、医者に通じるような信頼感を、それを聞く者に持たらすらしい。それは特に田舎に行くほど顕著な傾向だ。そのことを知っている信之は、そのアドバンテージを最大限に利用した。
暫くすると、工場の建屋の奥からリンらしき女性が現れた。見慣れぬ信之を猪熊組が振り向けた追っ手だと思ったのだろう、最初リンは疑うような視線を寄越すだけで、決して自分の素性を明かそうとはしなかった。だが、サブから聞いた話を語って聞かせたところ、やっと信之のことを信じることが出来たようだ。リンはまず、信之に聞いた。
「サブちゃん、元気?」
こんな状況に置かれながらも、なおもサブのことを気遣えるなんて、なんと心根の優しい娘なのだろう。信之はまたしてもオイオイと号泣しそうな気分に捕らわれたが、ここは気をしっかり持たねばなるまい。その感情の波を飲み込むように腹に力を入れた。そして、工場の仕事が引ける時間にリンのアパートの前で待っているから、そこで詳しい話をするということで、そこでは一旦別れることにした。サブがヤクザから足を洗えるように、リンに一芝居打って欲しいという計画だ。もちろん、その計画立案は京子が行った。
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