最終章 勝算

1

 「知っていたのか、PUZ?」

 「軍のデータベースに記録が残っていました。あと、地元新聞にも小さな記事が」

 「あの船に行けば、彼女に会えるのかい?」

 「いいえ、タカヒサ。彼女はMSSボーズマンに乗船してはいません。我々が地球に居る間に除隊した様です。その後の消息は不明です」

 「ありがとう、PUZ」

 「どうして私が感謝されるのか、私には理解できません」

 「とにかく、ありがとう。人からの感謝は素直に受け入れるもんだ」


 タカヒサは、あの明るく豪快で口数の多いローズを思い出していた。

 ローズに本当の夫は居なかった。いや、この表現は不適切である。そもそも“本当の”とはどういう意味だ? ローズにとってスティーヴンは、本当の意味での夫であったはずだ。そう、彼は戸籍上の夫ではなかっただけなのだ。そして、戸籍上の息子も居なかった。ただ、彼女の中には、確かに次の命が息づいていた。それらを彼女の家族ではないと、誰が言えるのか。


 タカヒサは思う。死とはなんと相対的な物であろうか。己に死が訪れる時、人は得も言われぬ恐怖と未練に全身を苛まれるはずだ。その体を引き千切らんばかりの後悔が、人の心を漆黒の闇へと引きずり込む。そして、あがない難い無気力感が全てを呑み込んだ時、生命の灯は徐々にその光を失ってゆく。その先に別の世界が待っているのか、タカヒサには判らない。ひょっとしたら、本当に何らかの救いが待っているのかもしれない。

 しかし、愛する人々がこの世を去り、自分だけが生き残ったとしたらどうだろう。それは、自分だけが死ぬ事と同義ではないか。自らがこの世を去る間際、あるいは、愛する人を失う時に、人はその相対的な意味に初めて気が付くのかもしれない。死とは残酷な現象だ。しかし、その圧倒的な冷酷さとは裏腹に、その意味はあまりにも曖昧だ。


 ただ、タカヒサには判らなかった。どうしてローズが嘘をついていたのか? 彼女を取り巻く全ての人間は、夫や息子の話を信じていた。己を慰める為? そうでもしなければ、正気を保つ事も出来なかったとしたら、なんと痛ましい事だろう。いずれにせよ、タカヒサに亡き息子を投影していたのは間違いない。ひょっとしたら、タカヒサの様な人間が現れるのを待っていたのかもしれない。その時が来るまで、彼女は自分をも騙していたのか。


 タカヒサは、ローズに貰ったカワセミの羽が収められている胸ポケットに、そっと手を置いた。

 「地球の南極は緑色でしたよ。真っ赤な火星しか知らない我々の想像を遥かに超えた、生命が躍動する新世界でした」

 涙がこぼれた。

 「カワセミを見つけたよ、お母さん。お母さんの言った通り、本当に美しい鳥だったよ」

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